テラーノベル
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放課後の日下部の相談室は、窓の外から運動部の声が少しだけ聞こえていた。
相談に来た男子生徒は、椅子に座ってからしばらく何も言わなかった。
日下部は急かさず、机の端に置かれたプリントを眺めている。
「……仲良くなりたい人がいるんです」
ようやく出てきた言葉に、日下部が顔を上げた。
「うん」
「それだけなら、別に普通だと思うんですけど」
男子生徒は膝の上で手を組み直した。
「その人の前だと、普通にできなくなるんです」
「普通に?」
「他の友達なら、適当に話せるんです。変なこと言っても、まあいいかって思える。でも、その人相手だと、言う前に考えます」
「何を?」
「これ言ったら変かな、とか。つまらないと思われないかな、とか。今の返し、変じゃなかったかな、とか」
そこまで言って、男子生徒は少し笑った。
「だから、話したあとめちゃくちゃ疲れるんです」
日下部はすぐには何も返さなかった。
男子生徒は続ける。
「しかも、仲良くなりたいから話しかけてるのに、話しかけるたびに自分で変な感じになるんです」
「相手は普通にしてる?」
「……たぶん」
「たぶん?」
「普通に返してくれます。向こうから話しかけてくることもあります」
「じゃあ、嫌がられてる感じは?」
「ないです」
男子生徒は少し間を置いた。
「ないから、余計に困るんです」
日下部が目を細める。
「嫌われてる証拠がないのに、自分だけ勝手に緊張する」
「そうです」
「相手が特別だからだろ」
男子生徒は黙った。
図星だったらしい。
「……特別っていうか」
「同じようなもんだろ」
「でも、意識しすぎると、逆に仲良くなれない気がして」
男子生徒は俯いた。
「普通に話したいだけなのに、普通に話そうって思った瞬間から普通じゃなくなるんですよ」
その言葉に、日下部が少しだけ笑った。
「それ、結構あると思う」
「日下部も?」
「ある」
「意外」
「何が」
「誰とでも普通に話せそうだから」
「そう見えてるだけ」
短い返事だった。
男子生徒は少し顔を上げる。
「……じゃあ、どうすればいいんですか」
日下部は椅子の背にもたれた。
「仲良くなろうとするのをやめる、とか」
「それができたら苦労しないです」
「別に、その人との関係を進めようとしなくていい」
「でも、仲良くなりたい」
「それはそのままでいい」
日下部は机の上のペンを指先で転がした。
「ただ、『仲良くなりたい』と『今の会話を成功させたい』は別だろ」
男子生徒が黙る。
「一回話したくらいで距離が縮まるわけじゃないし、一回変な返しをしたくらいで全部終わるわけでもない」
「……でも、失敗したら嫌じゃないですか」
「嫌だろうな」
否定されなかった。
「だからって、毎回成功させようとすると、相手と話してるんじゃなくて、自分の評価を確認する時間になる」
男子生徒の指が止まった。
「……それ、ちょっと分かる」
「相手が笑ったら安心する。反応が薄かったら焦る。次はもっと上手く話そうとする」
「はい」
「それを繰り返すと、仲良くなることより、嫌われないことのほうが目的になる」
男子生徒はしばらく黙っていた。
窓の外で、誰かが大きな声で笑った。
「俺、たぶん……その人と話すたびに、点数つけてたかもしれないです」
「自分に?」
「はい。今日の会話、七十点とか。変なこと言ったから三十点とか」
「しんどいな、それ」
「自分でもそう思います」
男子生徒は苦笑した。
「相手はそんな採点してないのに」
「そこ」
日下部の声が少しだけ低くなった。
「相手と仲良くなりたいなら、相手がどう思ったかは大事。でも、分からないところまで勝手に採点して、自分で減点する必要はない」
男子生徒はゆっくり頷いた。
「じゃあ、変なこと言っちゃった日は?」
「次に普通に話せばいい」
「謝らなくても?」
「本当に失礼なことをしたなら謝ればいい。でも、『あれ変だったかも』だけなら、次の日まで引きずる必要はない」
男子生徒は少し考えてから言った。
「……仲良くなりたい人ほど、ちゃんとしなきゃって思ってたんですよね」
「うん」
「嫌われたくないから」
「それもあるだろうな」
「でも、ちゃんとしようとするほど、変になる」
「そういうこともある」
日下部はペンを机に置いた。
「仲良くなるって、たぶん、毎回うまく話すことじゃないだろ」
男子生徒が顔を上げる。
「変な返事をしたり、沈黙したり、話題がなくなったりしても、その次にまた普通に話せる。その繰り返しじゃないか」
「……ああ」
男子生徒は小さく息を吐いた。
「完璧な一回を作るんじゃなくて、普通の一回を何回も重ねる」
「そのくらいでいいと思う」
帰りのチャイムが鳴った。
男子生徒は立ち上がり、鞄を肩にかけた。
扉の前で一度振り返る。
「明日、また話しかけてみます」
「うん」
「変なこと言うかもしれないですけど」
「そのときは、そのとき」
男子生徒は少し笑った。
今度は、自分の言葉を採点するような笑い方ではなかった。
仲良くなりたいからこそ、失敗したくない。
けれど、関係は一度の会話で決まるものではない。
上手に話せた日だけが、その人との時間になるわけでもない。
少しくらい変でも、次の日にまた話せる。
その積み重ねの中でしか作れない距離もある。
#暗い過去
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コメント
1件
なんだろう、これすごく分かる……「点数つけてた」って言葉、グサッときたわ。自分もつい「今の返し大丈夫だったかな」って考えすぎて会話に集中できなくなることあるし。でも「一回の成功じゃなくて普通を重ねる」って日下部の言葉、めっちゃ沁みた。静かな会話劇なのに心に残る描写多くて、良いエピソードだった🔥