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放課後の廊下に、ゆるい夕日が差し込んでいた。相談室の扉が、控えめにノックされる。
「……入っていい?」
顔を覗かせたのは、同じ学年の女子だった。
小柄で、髪の毛の先が少しだけ跳ねている。
遥は机の上のノートを閉じ、椅子に肘をつきながら「どうぞ」と軽く顎で促した。
女子はおそるおそる入ってきて、妙にきちんとした姿勢で座る。
「えっと……今日の相談は……お弁当のことなんだけど」
「お弁当?」遥は目を瞬かせた。
「…あのさ、それは家庭科の課題とかじゃなくて?」
「違う違う」女子は首を振る。
「好きな人に、手作り弁当あげてみたいんだよね」
遥は思わず吹き出しそうになり、「なるほどね」と口の端を上げた。
地獄みたいな現実の中にも、こういう相談が舞い込むのは悪くない。
「それで? どうせなら凝ったやつにしたい、とか?」
「うーん……あんまり手が込んでると、“頑張りすぎ感”出ちゃうかなって思って」
「たしかにな。いきなりキャラ弁とかだと、引かれる可能性ある」
女子は真剣な顔でメモ帳を開く。
遥は腕を組んで、しばらく考え込むふりをした。
「じゃあさ、普通に美味しいけど、ちょっと気が利いてるやつ。卵焼きは甘い派か塩派かは事前にリサーチ。あと、彩りな。全部茶色だと“コンビニのほうがいい”って思われるから」
「彩りね……」女子はメモを走らせる。
「あとさ、弁当って見た目も大事だけど、開けたときの匂いもけっこう効くんだよ」
「匂い?」
「うん。冷めてもふわっといい匂いがするやつ。たとえば、ほんのちょっとだけバター混ぜたご飯とか」
女子は「へぇー!」と目を丸くする。
遥は、ふと彼女の顔を見て、なんとなく笑った。
この空気感なら、普段は絶対しないような軽口も許される気がした。
「でさ、その弁当渡すときは、“別に余ったから”とか適当な理由つけとけよ。ガチで“作ってきました!”って言うと、相手も身構えるから」
「なるほど……作戦だね」
「そう。恋も戦だからな」
女子は笑いながらメモを閉じた。
「ありがとう! なんか勇気出たかも」
「まあ、健闘を祈るわ」
遥は軽く手を振る。
扉が閉まると、部屋にはまた夕日と静けさが戻った。
遥は机の上のノートを開き、何事もなかったようにペンを走らせた。
だが、さっきまでのやり取りの中で、ほんの少しだけ空気が柔らかくなっていた。