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#恋愛
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開店初日の営業は、想像以上に慌ただしかった。眠れないからと港の船員が立ち寄り、ホテルの宿泊客が噂を聞いて顔を出し、町の人が差し入れと冷やかしを半々に抱えてやって来る。ラウールは宣伝文句を三回に一回は噛み、フレアは内装を褒められるたびに自分のことのように胸を張った。ベジラはぎこちないながらも注文を運び、ゲティは常連になる気満々で隅の席を陣取る。
忙しいのに、嫌ではなかった。働く手の音が、この店の鼓動みたいに重なっていく。
最後の客を見送り、看板を裏返すと、店はようやく静かになった。営業を終えた喫茶室には、カップを洗ったあとの水音と、遠い海鳴りだけが残る。
ディアビレが布巾を絞っていると、反対側からもうひとつ手が伸びてきた。ジナウタスだ。彼は客席ではなく、当然みたいな顔でカウンターの内側に立っている。
最初からそこにいるべき人みたいに。
「今日は合格」
「ずいぶん偉そうですね」
「採用された側だから、少しだけ」
その返しに、ディアビレは笑った。笑ってから、少しだけ胸が苦しくなる。こんな夜が来るなんて、前なら想像もしなかったからだ。
ジナウタスは磨き終えたカップを棚へ戻し、それからまっすぐ彼女を見た。
「毎晩見てた」
冗談の続きみたいに始まったのに、声だけは少しもぶれなかった。
「眠そうな顔で走って、怒って、助けて、強がって、でも本音を隠しきれなくて。見てるうちに、好きになった」
ディアビレは息を止めた。派手な言葉ではない。豪華な求婚でもない。けれど、そのどれより自分には響いた。毎晩の積み重ねを、ひとつも飛ばさずに告白へ変えてくる人なのだと分かる。
「惜しいって、何度も言いましたよね」
声が少し震える。ジナウタスはうなずいた。
「今は?」
前にもした問いかけだった。けれど今夜は意味が違う。
ジナウタスは一歩だけ距離を縮めた。
「もう惜しくない。ちゃんと好きだ」
ディアビレは笑って、同時に泣きそうになった。選ばれるのを待つばかりだった自分が、今はちゃんと自分の気持ちで返せる。
「私も」
喉が熱くて、一度言葉がほどける。それでも今度は半分で止めない。
「惜しくないくらい、本音で好き」
言ってしまうと、胸の奥がひどく静かになった。あれほど騒がしかった人生の音が、やっと居場所を見つけたみたいに。
ジナウタスが笑う。珍しい、ちゃんと笑う顔だ。そのまま彼はディアビレの手を取り、指先に軽く口づけた。
店の外では、海の向こうがゆっくり白み始めていた。水平線の向こうから来る新しい朝は、誰かに与えられるものではない。二人で淹れて、守って、続けていく朝だ。
静かな夜の続きに、ようやく二人の新しい一日が始まる。
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