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海の匂いがする風は、少し塩辛くて、ほんのり湿っている。夏の放課後はいつもより色が濃く見える気がして、今日も私は、カバンを肩にかけたまま、ゆっくり歩いていた。
部活の帰り道、遠くに夕日が沈みかけているのが見える。
金色の光が海面を撫でるように伸びて、きらきら揺れている。
その光を眺めながら歩いていると、後ろから「夏海」と呼ぶ声がした。
振り返ると、翔太が立っていた。
部活のジャージの上着を腰に巻き、白いシャツが少し汗で背中に張りついている。
私より少し背の高いその姿が、夕日に縁取られて眩しかった。
「一緒に帰ろう」
そう言われて、胸の奥が急に熱くなる。
嬉しいはずなのに、顔がうまく動かなくて、ただ「うん」と頷くだけだった。
二人で並んで歩くと、足音が波の音に混じって、静かなリズムになる。
潮の香りと翔太のシャツの柔軟剤の匂いが、風に混ざって漂ってくる。
それだけで、なんだか世界が変わったみたいに感じた。
「夏休み、もうすぐだな」
「うん」
短く答えた私の声は、自分でも驚くほど小さかった。
もっと話したいのに、言葉が喉の奥で引っかかってしまう。
ふと、翔太の横顔を盗み見る。
夕焼けの光が頬の線を柔らかく照らしていて、その色が少し切なく見えた。
どうしてこんなに胸が苦しくなるんだろう。
港の方に差し掛かると、潮の香りが強くなる。
桟橋が遠くに伸びていて、その先は空と海が溶け合っているようだった。
私はポケットの中の小さな封筒を、そっと指で押さえる。
まだ翔太には渡せない。渡す勇気なんて、きっと今もない。
でも、こうして歩く時間がずっと続けばいいと、そう思ってしまう。