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白波 灯
196
#王子
すっこ
376
莉央は顔面蒼白で、腹部を抱えていた。
「お姉ちゃん……赤ちゃん、助けて」
喉が詰まる。
私は当直責任者へ、自分が患者の姉であることを改めて告げた。
「診療判断の責任者にはなれません。必要な情報提供と、指示された補助だけにします」
「分かりました。こちらで指揮します」
別の産婦人科医が診察へ入り、私は家族として母の隣へ立つ。
超音波検査が始まる。
画面へ映った胎嚢を見た瞬間、胸の奥が冷えた。
担当医が角度と設定を変える。別の医師も画像を確認した。
「胎児心拍を確認できません」
誰かの聞き間違いであってほしかった。
もう一度確認しても、結果は変わらない。
莉央の出血に対する処置が優先された。説明を受け、本人が同意書へ署名する。力の入らない指を母が支えた。
指示された器具を渡し、必要な既往だけを担当医へ伝えた。それ以上は入らない。
処置後、手袋を外す担当医へ尋ねる。
「報告が早ければ、結果は変わったでしょうか」
「今の段階では断定できません。来院時に既に流産が進行していた可能性があります」
「ただ、出血と強い腹痛があれば、速やかな評価が必要だった」
「はい。対応経過は別に調べるべきです」
沙耶のせいだと叫びたかった。
あの人が待たせなければ助かったのだと、今すぐ決めてしまいたかった。
でも、医師である私は知っている。早く診ても流産を防げなかった可能性はある。
救えたかどうかと、意図的に評価を遅らせたかどうかは、分けて調べなければならない。つらくても、そこを混ぜるわけにはいかなかった。
担当医は、莉央と母にも同じ説明をした。
「もっと早く来れば助かった、と今ここで断定することはできません。ご本人が自分を責めないためにも、医学的な結果と対応上の問題は分けて確認します」
母は何度も頷いたが、莉央は目を閉じたままだった。
「じゃあ、誰も悪くないの?」
「そういう意味ではありません。調べずに、結果から原因を決めないということです」
私が説明すれば、姉だから沙耶を庇うのかと受け取られるかもしれない。
第三者である担当医の言葉が必要だった。
私は医療安全管理部へ連絡し、受付記録、電子カルテの編集履歴、ナースコール、勤務配置の保全を求めた。同時に、自分は患者の姉であり当日の補助へ入ったため、調査から外れると伝える。
病室で胎児の死を告げられた莉央は、しばらく天井を見ていた。
「さっきまで、いたのに」
「うん」
「私が病院へ来るの、遅かった?」
「今は自分を責めないで」
「桐生さんが待てって言った」
「その対応は、病院が調べる」
「お姉ちゃんが、あの人を止めてくれてたら」
その言葉が、まっすぐ胸へ刺さった。
私がもっと早く、もっと強く動いていれば。考えてはいけないと分かっているのに、頭の中へ別の未来が浮かんでしまう。
「接触させない申し送りはしていた。でも、夜間救急まで反映されていなかった」
「じゃあ病院のせい?」
「まだ、誰の何が結果へ影響したかは分からない」
「医者みたいに言わないでよ!」
莉央が枕を投げた。
「お姉ちゃんの妹なのに! 赤ちゃんが死んだのに!」
私は枕を拾い、椅子へ戻した。
「姉だから、間違った相手を犯人にできないの。あなたに起きたことを明らかにするために、事実を確認する」
「今くらい、私の味方をして」
「あなたの安全を守る。調査も求める。それが今できることよ」
顔を覆った。
肩へ母の手が触れた。
「ここは私がいるから、少し外へ出なさい」
廊下へ出ると、脚から力が抜けそうになった。
壁へ手をつき、呼吸を整える。
その時、医療安全管理部の担当者が来た。
「高瀬先生は調査へ関与せず、事実確認だけさせてください。ご家族から聞いた時刻と、先生が連絡を受けた時刻を提出してもらえますか」
「はい」
スマートフォンの履歴を示す。
母から最初に連絡が来たのは午後九時二十分。
その時点で、沙耶は莉央へ「妊娠初期にはよくある」と説明していた。
ところが、電子記録にある沙耶の初回接触時刻は午後九時五十八分。
ナースコールは九時三十四分と九時四十二分。
医師への報告は十時二分。
……時刻が噛み合わない。
「記録の原本と修正履歴を保全します」
担当者はそれ以上の推測を口にしなかった。
私は沙耶へ直接問いたださなかった。調査の公平性を損なわないためにも、今は話すべきではない。
病室へ戻ると、莉央は麻酔から覚めたばかりだった。
「赤ちゃん、本当にいないの?」
「……うん」
「お義兄さんへ連絡して」
「今は休んで。伝えるのは落ち着いてからでもいい」
「父親でしょう」
母が莉央の手を握った。
私のスマートフォンが震える。
遼介からだった。
『莉央の件、聞いた。流産したなら、これ以上騒ぎを大きくする必要はない』
胎児を失った直後だというのに、遼介が最初に気にしたのは、莉央の身体でも、失った子どもでもなかった。
自分の立場と、問題がどこまで広がるか。
画面の文字を追うほど、怒りより先に深い寒気がした。
続けて、もう一通届く。
『沙耶を追い詰めるな。俺の医局での立場まで壊れる』
画面を見たまま、指先が冷たくなった。
コメント
1件
うん……読んだよ。 第24話、すごく重かった。胸がぎゅっとなった。 莉央の「お姉ちゃんの妹なのに! 赤ちゃんが死んだのに!」って叫びが刺さったよ……。 お姉ちゃんとしての冷静さと、家族としての痛みの間で葛藤する姿がすごくリアルで、読んでるこっちまで息が苦しくなった。 沙耶の記録の時刻がズレてるところ、ゾッとした……。 それに、遼介からの最後のメッセージ、「自分の立場」って……あれは寒気するね。 重いけど、それだけちゃんと向き合って書けるお兄ちゃんを、私は尊敬してる。 ちゃんと読んだよ。素敵な作品をありがとう🌙🤍