コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
放課後の相談室。窓際の席に、ひとりの男子生徒が座っていた。
手の中でペンを回しながら、何度もため息をついている。
「俺さ……気づいたら“ごめん”って言ってるんです」
かすれた声だった。
「遅れても、ごめん。ぶつかっても、ごめん。話しかけても、なんか、ごめんって。
誰かがちょっと眉をひそめただけで、反射的に謝っちゃう。
……たぶん、怒られるのが怖いんだと思います」
遥は向かいの席に腰を下ろし、静かにペットボトルの水を開けた。
「それ、わかる気がする」
言葉は軽いのに、声の奥には深い温度があった。
「謝るってさ、悪いことじゃないけど──
謝ることで、自分の居場所を守ろうとしてるときって、あるよね」
少年は少し驚いたように顔を上げた。
「……居場所、ですか?」
「うん。
“ごめん”って言えば、相手は怒らない。
その場が壊れない。
だから、“ごめん”って言葉で、自分の存在を小さくして、
空気を保とうとしてる。
でもそれを続けてると、だんだん“オレなんかが話すのも悪い”って思うようになるんだ」
少年の肩が、少しだけ震えた。
「……そうです。
何も悪くないのに、謝ってないと落ち着かない。
“ごめん”って言えば、嫌われない気がして。
でも最近、自分がどんどん小さくなってる気がするんです」
遥は視線を窓の外に向けた。
遠くで、グラウンドのボールが跳ねる音が響いていた。
「……オレも昔、“ごめん”ばかり言ってたよ」
「え」
「言わないと、叩かれるから。
黙ってても怒られるなら、先に謝ったほうがマシだと思ってた。
“悪いのは自分だ”って思えば、少なくとも世界を責めなくて済む。
そうやって、生き残ってきた感じ」
言葉が、静かに落ちる。
少年は何かを言いかけたが、唇を閉じた。
遥は少しだけ笑った。
「でもな、ある時気づいたんだ。
“ごめん”って言葉は、相手を守るためのものでもあるけど、
自分を縛るための言葉にもなる。
“悪くない自分”まで殺すのは、謝罪じゃなくて、自己否定なんだって」
少年は黙ったまま、机の端を見つめていた。
「……じゃあ、どうすればいいんですか」
「うーん」
遥は少し考え、ゆっくりと言葉を選んだ。
「“ありがとう”を、代わりに使ってみるといいかもな。
“ごめん、待たせた”じゃなくて、“待っててくれてありがとう”。
“ごめん、話しすぎた”じゃなくて、“聞いてくれてありがとう”。
謝ることで保ってた関係を、感謝で繋ぎ直す感じ」
少年の表情が、ほんの少し緩んだ。
「……それ、難しいけど、やってみたいです」
「うん。最初はぎこちなくてもいい。
“ごめん”の代わりに“ありがとう”を口にするだけで、
少しずつ、自分の存在を“消す”んじゃなく、“認める”方向に変わっていくから」
静かに風が吹き抜ける。
夕陽が差し込み、机の影が長く伸びた。
「……遥さんは、“ごめん”って、もう言わないんですか?」
少年の問いに、遥は少しだけ笑って答えた。
「言うよ。たぶん、人よりずっと多い。
でも、心の中で同時に思う。“それでもオレはここにいる”って」
少年は小さくうなずいた。
その手の中のペンが、わずかに光を返した。