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放課後の教室。
窓際の光はすでに傾いて、机の影が長く伸びていた。
遥はノートを閉じたまま、誰もいない黒板を見つめていた。
帰る時間をとっくに過ぎているのに、立ち上がる気力が出なかった。
──もう、話さないで。
怜央菜の声が、まだ頭の奥に残っている。
あいつに甘えたら、もっと酷くなる。
そう言われたとき、遥はただ頷くしかなかった。
だから、避けた。
廊下で目が合いそうになれば俯き、話しかけられそうになると足早に通り過ぎた。
日下部が何度呼んでも、振り向かなかった。
「……遥」
その声が、今日も背後から落ちてくる。
逃げようとしても、足が動かない。
次の瞬間、腕を掴まれた。
力は強くないのに、抗えなかった。
「なんで……避けるんだよ」
日下部の声が震えていた。
怒鳴るでも、責めるでもない。ただ必死だった。
それがかえって、胸に刺さる。
「……違う。そうじゃない」
「違うって、何が?」
近づく距離に、遥は息を詰めた。
日下部の指先がわずかに震えている。
焦りと、迷いと、どうしようもない痛みがそのまま伝わってくる。
「俺、待ってたんだよ。何か言えないことがあるなら、それでも……信じるって決めてた」
「……ごめん」
「謝るな。謝るくらいなら、理由を言え」
怜央菜の声が脳裏をかすめる。
──“言ったら、どうなるか分かってるよね?”
喉が焼ける。
それでも、言葉が出ない。
沈黙が、すべてを壊していく音のように響いた。
「俺、何かした?」
日下部の声が低くなる。
今まで聞いたことのない、抑えた怒りの色。
「遥、お前……俺が怖いのか」
その一言で、遥の肩が震えた。
違う、怖いのは日下部じゃない。
けれど、誰を怖いと言えばいい?
日下部は一歩、近づく。
「俺はさ、ただ一緒にいたかっただけなんだよ」
拳を握る音がした。
「それも、駄目なのか?」
沈黙の中、遥は唇を噛んだ。
言えば、また誰かが傷つく。
言わなければ、自分が壊れていく。
「……守りたい人がいる」
やっと絞り出した言葉に、日下部は息を呑んだ。
その瞬間、彼の表情から何かが崩れ落ちた。
「そうか。俺じゃないんだな」
短く、それだけ言うと、掴んでいた腕を離した。
遥が何か言いかけたときには、もう背を向けていた。
足音が遠ざかる。
残された教室に、夕陽が落ちる。
机の影が、まるで罰のように遥の足元を覆っていた。
——守ったつもりのものが、何を壊したのか。
答えを見つけられないまま、遥はその場から動けなかった。