テラーノベル
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午後の光が沈みかけたころ、相談室のドアが小さくノックされた。
蓮司は紙の束を机に放り、気のない声で「どうぞ」と言った。
入ってきたのは、少し顔色の悪い男子生徒だった。
肩にかけたカバンが重そうで、
どこか、体の芯まで疲れているように見えた。
「……なんか、最近、よくわかんなくなるんです」
声は掠れていた。
「朝起きて、学校来て、授業受けて……
気づいたら、もう夜で。
動いてるのに、どっか遠くから自分を見てるみたいで」
蓮司はペンを指先で転がしながら、
ぼんやりとその言葉を受け止める。
「ふむ。魂が置き忘れモードってやつだな」
「……は?」
「身体だけ現実にログインして、心が別サーバーに行ってる状態。
よくあるよ。特に真面目な奴ほど」
生徒は小さく眉をひそめたが、
その軽い調子に、少しだけ空気が緩んだ。
「……そういうもんなんですか」
「そういうもん。
生きてる実感なんて、毎日あるほうが珍しい。
むしろ、時々“あれ、俺いま生きてるんだっけ”ってなるほうが健全だ」
蓮司は椅子を傾け、天井を見上げる。
「人って、痛みとか喜びがないと“生”を確認できない生き物なんだよ。
だから、何も起きない日々が続くと、
『あれ、自分消えてね?』って錯覚する」
「……じゃあ、どうすれば戻るんですか。
ちゃんと、生きてる感じに」
「んー、無理に戻さなくていい」
そう言って、蓮司は肩をすくめた。
「無理に“実感”を探すと、余計に遠ざかる。
生きるってのは、もっと雑な作業だからさ」
「雑な、作業」
「そう。呼吸みたいなもんだ。
意識してやると苦しくなるけど、
勝手にやってると、続いていく」
生徒はしばらく黙っていた。
窓の外では、風がカーテンを揺らしている。
その揺れが妙に穏やかで、
部屋の空気をゆっくり溶かしていった。
「……なんか、変な話ですね」
「変だよ。でも、生きるってだいたい変なもんだ」
蓮司は薄く笑う。
「実感なんて、いちいち確認しなくていい。
それより、ちゃんと飯食って寝ろ。
それができてるなら、もう十分“生きてる”」
生徒は、かすかに笑った。
ほんのわずかに、
胸の奥の霧が晴れたような顔をしていた。
蓮司はその様子を見て、またペンを指に挟む。
「実感ってやつはな、気づくときにはもう通り過ぎてる。
──でも、それでもいいんだよ」
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