テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
実家へ連れ戻された莉央は、翌日から遼介と会うために外出を繰り返した。
母が行き先を尋ねても、友人の家だと言い張る。けれど、莉央の鞄には、私が贈った腕時計と同じホテルのアメニティが入っていた。
仕事を終えたあと、実家へ向かった。
「莉央。話がある」
自室の扉は閉まったまま。返事の代わりに、鍵を掛ける音がした。
「開けなさい」
「もう、お姉ちゃんと話すことない」
「真帆が妊娠していると知っても、遼介と会うの?」
「真帆さんが産んでも、お義兄さんがあの人と結婚するとは限らないでしょう」
「私とは離婚しないと言ってる」
「今はね」
扉の向こうから、化粧品の蓋を閉める音がする。
「何をするつもり?」
「お姉ちゃんには関係ない」
「私の夫と関係を持っている」
「もうすぐ元夫になるんでしょう?」
母が廊下へ来た。
「莉央。出てきて話しなさい」
「お母さんは、どうせお姉ちゃんの味方でしょう」
「姉の夫を奪う娘へ、頑張りなさいと言う母親がいると思う?」
鍵が外れた。
外出用の服へ着替え、髪も巻いていた。目元だけが赤い。
「私だって、ずっと比べられてきた」
こちらを見ずに言った。
「同棲していた人と別れたのも、お姉ちゃんのせいだと思ってた」
「私、その人に会ったこともないよ」
「結婚の話が出た時、相手のお母さんが、お姉さんは医者なのに莉央さんは仕事を続けられるのって言ったの。私が家事を苦手だって知ったら、姉妹でも全然違うねって」
「それを私が言わせたわけじゃない」
「分かってる。でも、どこへ行ってもお姉ちゃんが先にいる気がした」
莉央は、高校を卒業してから進路を何度も変えた。
美容の専門学校へ入り、半年で辞めた。販売職へ就き、店舗を移り、企画職を目指すと言って資格講座へ通った。どれも途中までは熱心だったが、評価されない時期が続くと、向いていなかったと言って手放した。
私は、そのたび次の選択肢を探した。
受講料を貸し、履歴書を見て、引っ越しを手伝った。
「私が助けたことも、嫌だった?」
「最初は嬉しかった。でも、お姉ちゃんに頼るたび、自分がもっと駄目になる気がした」
「なら、頼らないと言えばよかった」
「断ったら、お母さんが心配する。受け取ったら、お姉ちゃんへ借りが増える。どっちでも負けるでしょう」
「私を勝手に対戦相手にしていただけよ」
唇を噛んだ。
「お義兄さんだけは、お姉ちゃんも完璧じゃないって言った」
「何を聞いたの?」
「家にいない。食事も作らない。仕事の話をすると上から正される。妻なのに自分を必要としていないって」
「遼介から?」
「うん。お姉ちゃんより、私の方が男の人を幸せにできるって」
遼介は、莉央の劣等感へ私への不満を流し込んだ。
妹にとっては、初めて姉より上へ立てる分野を与えられたように見えたのだろう。
「それで、私の家へ来る計画を立てた?」
「最初は本当に、少し泊めてもらうだけのつもりだった」
「来る前日に部屋を解約して?」
「戻れないようにしたかった。戻る場所がなければ、お義兄さんも追い出さないと思った」
「私ではなく、遼介が決めると分かっていたのね」
「お義兄さんが、千紘なら家族を見捨てないって」
『千紘なら家族を見捨てない』
遼介は、私の性格まで勝手に保証へ使った。
私が断れないことを知っていて、二人でそこにつけ込んだ。そう考えると、吐き気がした。
「私が断れないことを利用した時点で、助けを求めたのではないよ」
「分かってる」
「分かっていて、今も遼介へ会いに行く?」
「ここでやめたら、全部無駄になる」
その言葉は、沙耶と同じだった。
ここまで費やしたのだから、今さらやめられない。
失った時間を無駄にしないために、さらに同じ相手へ時間を渡す。そんなことを続けても、失うものが増えるだけなのに。
「既に払った代償を取り戻すために、次の代償を払うの?」
「お姉ちゃんには分からない」
「分からない。でも、遼介を得ても、あなたが私になるわけじゃない」
「私だって、お姉ちゃんになりたいわけじゃない!」
叫んだあと、莉央自身が一番驚いた顔をした。
「お姉ちゃんは現役で医学部。私は普通の大学にも受からなくて専門学校。お姉ちゃんは医者になって、医者と結婚した。私は仕事を失って、同棲してた人にも捨てられた」
「だから、私の夫なら手に入ると思った?」
「お義兄さんは私を女として見た」
「姉の夫だから近づけたのよ」
「お姉ちゃんがいなければ、もっと早く出会ってたかもしれない」
「生活圏も年齢も違う。私がいなければ、遼介はあなたを知らない」
「そうやって、すぐ正しいことを言う」
また、その言葉。
遼介とまったく同じだった。
正しいことを言われるのが嫌なのではない。自分に都合の悪い事実を、私の言い方のせいにしているだけだ。
「正しいことが嫌なら、嘘を本当に変えるつもり?」
「私はお義兄さんと結婚する」
「真帆にも結婚すると言ってる」
「真帆さんは既婚者でしょう。私ならすぐ結婚できる」
「遼介があなたを妻に選べばね」
「選ばせる」
莉央の手が、自分の下腹部へ触れた。
まだ変化のない腹部。けれど、その動きで言いたいことが分かった。
「妊娠するつもりなの?」
「子どもができたら、責任を取るでしょう」
「胎児を、私に勝つための道具にするの?」
「お姉ちゃんは子どもを作らなかった」
「遼介に待とうと言われたからよ」
「仕事を選んだ言い訳でしょう」
母が低い声で遮った。
「命を勝ち負けに使う話をするのはやめなさい」
「産むかどうかは私の自由でしょう」
「自由には、自分で責任を負うことも含まれる。男を繋ぎ止めるために子どもを作って、その男が逃げたら誰が育てるの?」
「お義兄さんは逃げない」
「妻と親友へ同時に嘘をつく男を、どうして信じられるの」
「お母さんまで、私を馬鹿にするの?」
「現実を見なさいと言ってる」
鞄を掴んだ。
「私の人生なんだから、好きにする」
「どこへ行くの」
「お義兄さんのところ」
母が腕を掴む。莉央は強く振り払い、玄関へ走った。
「待ちなさい!」
扉が閉まる。
成人した妹を、家へ閉じ込めることはできない。
母は玄関で立ち尽くし、握った手を震わせていた。
「私の育て方が悪かったのかな」
「お母さんのせいじゃない」
「でも、あの子があなたを妬んでいたことに、気づいてやれなかった」
「気づかなかったことと、莉央が選んだ行動は別よ」
自分にも言い聞かせる。
その夜、莉央は帰らなかった。
翌朝、遼介から私へ、唐突なメッセージが届く。
『莉央ちゃんとは避妊している。妊娠させるつもりはない』
私が尋ねてもいない内容。
続いて、莉央から写真が送られてきた。
洗面台に置かれた低用量ピルのシート。錠剤は、一つも減っていない。
『飲んでるって、お義兄さんには言ってる』
さらに、鏡越しに笑う莉央の顔が映っていた。
『お姉ちゃん、残念だったね。今度は私が家族を作るから』
遼介にも、妊娠の可能性を隠している。
私は画像を保存し、母と橘へ送った。
姉として何を言っても、もう届かない。
分かっていても、放っておくことはできなかった。
妊娠が成立する前から知っていた計画を、私は知らなかったことにはできない。莉央に嫌われても、母に責められても、そこだけは譲れなかった。
白波 灯
196
#王子
すっこ
376
コメント
1件
第十四話、読み終えました。 莉央の「今度は私が家族を作るから」――あの笑顔の写真がすごく怖かったです。妊娠を「勝ち手段」にしてる感覚に背筋が冷えました。妹が姉の夫を獲るという構図の裏で、わたしにはあの「お姉ちゃんなら家族を見捨てない」って遼介の言葉が一番胸に刺さりましたね。千紘さんの優しさを利用するその狡猾さと、それに気づいてもなお姉として妹を止めようとする千紘さんの強さ――この歪な関係の行方、次が気になります。本当の「家族」って何なんだろうと考えさせられました。