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宙
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宙
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きゆう
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え ー た ん !
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鋼の城が止まった翌朝、北庭園に小さな緑が戻った。
「芽が出てる」
シュエルはしゃがみ込み、黒く枯れていた月白草の根元を覗いた。
土の隙間から、白みを帯びた新芽が一本だけ顔を出している。
城壁から響いていた低い振動はもうない。
葉の裏を走っていた不自然な銀光も消えていた。
「本当に止まったんだな」
隣に立ったサンタナが言う。
「はい」
シュエルは新芽へ触れず、植物図鑑へ記録した。
《停止翌朝。月白草、新芽確認》
《根部の黒化、進行停止》
書き終えたところで、サンタナが図鑑を覗く。
「昨日のことは?」
「覚えています」
「俺も。中枢へ行った。お前が庭園の弁を開いた。城が止まった」
「告白したことも?」
サンタナは一瞬黙った。
「……覚えてる」
「よかったです」
「そこ確認するの、ずるくないか?」
「大事なので」
二人とも笑った。
失ったのは、あの雨宿りの夜だけだった。
*
城内の人々の記憶は、朝までにほぼ戻った。
「昨日、私、この帳簿を三回書いた気がする」
レーネは記録室で苦笑しながら、重複した紙を束ねていた。
暴走中に思い出せなくなっていた数時間は、中枢停止とともに少しずつつながったらしい。
警備兵も使用人も、混乱した時間を互いの記録で照合している。
「戻らなかった記憶は?」
シュエルが聞く。
「今のところ、二人の雨の日だけ」
レーネは植物図鑑の記録を見た。
「照合鍵にした場面だけが、本当に固定材として使われたのね」
「内容は書いてあります」
「でも、映像として思い出せない」
「はい」
シュエルは革表紙を撫でた。
母が記録を分けて残した理由が、今なら少し分かる。
記憶は消える。
紙も消される。
硝子も割れる。
だから、一つだけを信じない。
「八年前のことも、正式記録にするわ」
レーネは新しい台帳を開いた。
停止誓約。
王都による公文書廃棄。
記憶硝子への移管。
今回の暴走。
城の停止。
「消された事実も含めて残す。誰が間違えたかだけじゃなく、どう直したかも」
シュエルはうなずいた。
「お願いします」
*
城外では、すでに臨時の防衛線が組まれていた。
近隣三砦から兵が移動し、鋼の城の警備隊も外周へ配置されている。
「王都も代替守備隊を出すそうだ」
トレヴァーが城門の上から北の街道を見下ろした。
「今度は早いですね」
サンタナが言う。
「結界が消えたからな。無視できなくなった」
トレヴァーは苦く笑う。
「これまで一つの城に頼りすぎた。これからは砦、人員、連絡路を分ける。どこか一つが止まっても守れるようにする」
「王都に反対されませんか?」
シュエルが尋ねる。
「されるだろう」
トレヴァーは肩をすくめた。
「でも、今度は自分で決める」
その言葉に迷いはなかった。
*
黄昏の映画館も、封鎖を解かれた。
イアクは割れた記憶硝子を一枚ずつ整理している。
「全部公開するんですか?」
シュエルが聞く。
「全部を誰にでも見せるわけじゃない」
イアクは淡々と答えた。
「本人の同意が必要な記憶は守る。でも、公的な判断に使われた記録は検証できるようにする」
「秘密の保管庫ではなく?」
「記録施設」
イアクは投影壁を見た。
「過去を信じるためじゃない。確かめるための場所」
夕陽が細い採光路を通り、白い壁を黄金色に染めた。
もう、ここへ来るために封印を破る必要はない。
*
数日後。
洗浄を終えた荷物の中から、サンタナが白いシャツを一枚持ってきた。
「これ」
北庭園で作業していたシュエルは受け取る。
「私が着たんですか?」
「らしい」
二人は同時に少し困った顔をした。
記録には残っている。
雨で濡れたシュエルが、警備宿舎でサンタナのシャツを借りた。
暖炉の前で話をした。
けれど、肝心の場面は思い出せない。
サンタナはシャツの袖を見つめた。
「変なんだよな」
「何がですか?」
「覚えてないのに、これを見ると安心する」
シュエルも同じだった。
胸の奥が少しだけ温かくなる。
出来事の記憶はない。
映像もない。
それでも、その夜までに積み重ねたものと、そのあと二人で選んだものは消えていない。
「思い出そうとし続けますか?」
シュエルが聞いた。
サンタナは考えてから首を振る。
「無理に取り戻さなくていい」
「私もそう思います」
シュエルは植物図鑑を開いた。
母が作った革表紙の内側。
その余白に、新しい文章を書く。
《忘れないことを約束しない》
《忘れても、記録を読み、話を聞き、また相手を知る》
サンタナが横から読む。
「それ、約束にするのか?」
「はい」
「じゃあ一つ足していい?」
彼はシュエルからペンを借りた。
その下へ、不器用な字で書く。
《そのたびに、もう一度好きになる》
「……恥ずかしくないんですか?」
「書いたあとで恥ずかしくなってきた」
シュエルは笑った。
「消します?」
「消さない」
即答だった。
シュエルは本を閉じる。
「では、消えない約束ではなくて」
「ああ」
サンタナが手を差し出す。
「消えても、また作る約束だ」
シュエルはその手を取った。
*
再生した北庭園を、二人で歩く。
枯れた場所にはまだ空白が多い。
けれど、その間から新しい芽がいくつも伸びていた。
黄昏の光が鋼の城を照らしている。
城はもう国境を守る巨大な魔法装置ではない。
過去の失敗を残し、そこから次を選ぶ場所になる。
シュエルは隣を歩くサンタナを見る。
「明日、この区画に新しい月白草を植えます」
「手伝う」
「植物の扱い、分かりますか?」
「教えてくれ」
「何度でも?」
サンタナは笑った。
「何度でも」
二人は手をつないだまま、新芽の続く庭を歩いていった。
コメント
1件
第12話、読み終わりました。とても温かい回でしたね。月白草の新芽が一本だけ顔を出した朝の描写から、静かな希望が感じられました。何より印象的だったのは、消えた雨宿りの記憶を「無理に取り戻さなくていい」と受け入れ、図鑑に「忘れても、また相手を知る」「そのたびに、もう一度好きになる」と書き足す二人の姿勢です。消えない約束より、消えてもまた作る約束——この言葉の重みが心に残りました。