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#勧善懲悪
#勧善懲悪
その夜、工房では久しぶりに遅くまで灯りがついていた。
机の真ん中に、片目の壊れたからくり人形。
サペは両手を洗い、柔らかな布の上へ工具を並べる。こじ開けるんじゃない。組んだ時の気持ちを想像しながら、順番にほどく。
「手術みたい」
エリアが後ろで言う。
「野次飛ばすな」
「飛ばしてない。見守ってる」
見守りにしては口数が多いが、今夜ばかりはその声がありがたかった。
サペは背中の小さなねじを一本ずつ外していく。木の擦れる音。古いばねのかすかな反発。祖父の工房で何度も聞いた音だ。
やがて人形の胸板がわずかに浮いた。
「開く」
サペがつぶやく。
ズジが身を乗り出し、マイナは記録の準備を整え、ピットマンはなぜか息を止めている。
胸の中は空洞ではなかった。
細い歯車の奥に、真鍮の筒が一本、布で包まれて収まっていた。
「録音筒だ」
テオファイルが即座に言う。
「昔の簡易録音機用の」
サペの指が少し震える。慎重に取り出すと、筒の端に小さな紙片が巻きついていた。
読めるぎりぎりの祖父の字。
もしも舞台が止まったら。
工房の空気が、すっと変わる。
テオファイルが録音機を持ってくるまでの時間が、ひどく長く感じた。針を合わせ、回転を確かめ、筒をはめる。
やがて、ざらついたノイズの向こうから声がした。
『聞こえるか』
サペが息をのむ。
間違えようがない。祖父の声だった。少ししゃがれて、でも笑う前みたいなやわらかい声。
『これを聞いてるなら、舞台か工房のどっちかが困ってるんだろう』
エリアが思わず口元を押さえる。サペはまばたきもできない。
『名刺は助けるために配れ。困りごとを聞いたら、抱えられる場所へ渡せ。直せるやつは直す。無理なやつは、ひとりにしない』
録音は短い。けれど一言一言が、まっすぐ胸へ落ちてくる。
『恥は商売になんかするな。困ってる顔は、見世物にするもんじゃない』
その場にいた誰も、すぐには口を開けなかった。
工房の壁に掛かった工具が、しんと静まって見える。
サペは人形の胸の空洞を見つめた。
こんなものを、祖父はずっと仕込んでいたのか。誰かが未来で困った時のために。
エリアがようやく言う。
「……ずるいな。本人いないのに、ちゃんと届く」
サペは返事の代わりに、人形の胸板へそっと手を置いた。
でも録音は、そこで終わらなかった。
ノイズのあと、祖父の声がもう一度、今度は少し低く続いた。