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#現代ファンタジー
むぎ 🖤🪽
73
#死ネタ、流血表現、暴力表現
穏霞 乃矢
2,886
――青磁団地 スメラ自宅・十六階 自室
ドアが静かに閉まると同時に、電子ロックが作動し、カチリと軽い音を立てた。自動照明がふわりと灯り、室内に柔らかな明かりが広がった。
スメラは玄関に背をもたせかけ、そのまま力なく崩れ落ちた。胸の奥から、熱いものがせり上がってくる。こらえていた涙がとうとう溢れ出した。呼吸が浅くなり、涙は止めどなく頬を伝い、喉元へ、首筋へと流れていく。視界は滲み、世界が歪む。まるで、水のカーテン越しに現実を眺めているようだった。
(リヴァン。……私は、ずっとあなたを信じてきたのに……。どうして……どうして……)
(あなたの計画は、復讐だよ、そんなの、間違っている!)
静かな玄関の床には、小さな水のしみがいくつもできては消えていった。
やがて、震える手で涙をぬぐい、ゆっくりと立ち上がった。
リビングへ歩み寄り、ソファーに身を沈めた。
本棚の上には、昔の写真が並んでいる。
幼き日のリヴァン、ラッセル、カーン、そして自分。
孤児院で共に過ごした日々。
王国勲章を授与されたリヴァンの横で皆が笑顔を見せている記念写真。
王立科学アカデミーでジン博士とともに談笑するリヴァンと自分の姿もある。
スメラはそっと一枚の写真を手に取る。
幼き日の孤児院。
雨漏りする屋根の下、痩せた子どもたちが毛布にくるまっていた。
小さな机に、少年リヴァンと自分が寄り添って座っている。
「ねぇ、リヴァン。もし、私たちが大人になったら、どうしたい?」
「国を変える。争いのない国にする。泣く子どもが、もういなくなるように。強い大人になって、世界を護るんだ」
その声は幼いのに不思議と強く、瞳には揺るぎない炎が宿っていた。
青年期。リヴァンが政務官として頭角を現した頃。
深夜の庶民街を二人で歩きながら、彼は拳を握りしめて語った。
「この国は貧富の差が激しい。だが、政策次第で必ず救える」
その言葉に、スメラの胸は熱くなった。
「私も……あなたを支えたい。あなたと一緒に、やり遂げたいわ」
その誓いは、虹色に輝くエルフ・バリアの夜空へと溶け、未来を照らす希望の光に思えた。
そして、時は流れ。王宮付き護衛官を経て、秘書官として首相リヴァンを支えることになった。それは、何よりも生き甲斐だった。机を並べて、仕事をする時間も、政策の成功を共に喜ぶ瞬間も、どれもかけがえのない日々。
(もしかしたら、彼は私の運命の人かもしれない……)
そう思った夜もあった。だが同時に。
(いいえ、私はただの幼馴染。彼の隣に立つには釣り合わない
そんな自分の声が、いつも胸の奥で囁いていた。
首相就任の夜。群衆に囲まれ、花火が上がる中、リヴァンはバルコニーで演説した。
「私は戦災孤児として生まれた。だが今、国の未来を担う責務を授かった。敵味方を越えて、すべての民の幸を築こう!」
大歓声の中、ステージの影から涙を拭いながら彼を見上げたスメラは思った。
「私達の夢がようやく夢でなくなる。今日が本当のスタート。私、リヴァンをずっと支えるよ。一緒に頑張ろうね」
あの瞬間、彼を支えることこそが、自分の生きる意味だと信じていた。
「なのに……どうして……どうして」
かつて信じたリヴァン少年の“夢”が、自らの手で踏みにじられ、同志を裏切っていく、その痛みが、スメラの胸を強く引き裂いていた。だが、胸の奥でひと筋の声がかすかに響いた。
(でも……諦めない。リヴァン。私は、あなたのその過ちを……必ず止めてみせるわ……)
(どれだけ哀しくても。どれだけ苦しくても……)
(あなたを見捨てたりはしない……)
(だからこそ、私は、貴方を取り戻し、罪を償わすために、私……立ち上がるわ……)
リビングの窓の外、夜空を覆う“エルフ・バリア”が、虹色の光をたゆたわせていた。その揺らぎは、まるで彼女の祈りに静かに応えているかのようだった。やがて、スメラの意識は、虹色の光に吸い込まれるようにゆっくりと遠のいていった。
翌朝、目覚ましの電子音が静寂を破った。スメラは眠たい目をこすりながら、重い体をゆっくりと起こした。一瞬、すべてが悪夢だったのではないかと思いたくなった。けれど、テーブルの上には昨夜持ち帰った小型光結晶チップ。椅子にかけたジャケットは、破れ、焦げ付き、土埃にまみれていた。
「やっぱり、夢じゃないのね……」
窓の外は、皮肉なほど澄み切った青空だった。窓を開け小鳥のさえずりが聞こえ、柔らかな風がレースカーテンを揺らしている。だが、その穏やかな朝の気配は、スメラの心に何一つ届かなかった。
(この世界は、なぜこんなにも無関心なの……)
体に力が入らず、食欲も湧かない。スメラはため息をひとつついて、バスルームへと向かった。シャワーの熱が背中を流れても、心の傷は癒えなかった。香り高いシャンプーも、ただの“におい”として鼻を通り過ぎていく。鏡に映る自分。目は涙の跡で腫れ、目元に覇気がなかった。タオルで濡れた髪をざっと乾かし、化粧のノリも、どことなく悪く肌に馴染まない。リビングへ戻ると、ホログラムPCの電源を入れた。
(ラッセル、そして、国王陛下。このデータを届けなきゃ)
そう強く思っていても、心の奥には、誰よりも信じていた人への想いが裏切られた消えない痛みが刺さっていた。昨日抜き取ったデータの複製を作った。スメラは深く息を吐き、決意を込めて直訴状を書き上げた。簡易レターケースをバックに納める。ラッセルにも連絡を取ろうと、何度か携帯へ発信する。だが、返ってくるのは、冷たい自動音声だった。
「この電話は、通信圏外にあるか、電源が入っていないため……」
(そういえば、グラムスリム地区の魔物討伐作戦中とか言っていたわね……)
スメラは通話停止ボタンをタップし、黙って窓の外に目をやった。朝の日差しは眩しく、エルフ・バリアの虹色の光がまだ微かに空に残っていた。鳩時計が午前7時30分を知らせた。
「もう、こんな時間、急いで出勤しなきゃ」
コメント
1件
スメラの心情が細やかに描かれていて、胸がぎゅっとなりました……。特に、玄関で崩れ落ちる冒頭から、幼い頃のリヴァンとの約束を思い返すシーンの対比が切なくて。あの頃の「夢」が今は裏切りになって彼女を引き裂いているのが痛いほど伝わってきました。それでも「諦めない」と立ち上がるラストに、彼女の強さと優しさを感じます。朝の眩しい光が逆に彼女の孤独を際立たせている描写も、とても印象的でした。次が気になります……!