夜の街は、音を飲み込んでいた。
人通りのない通りを抜け、遥はゆっくりと足を運ぶ。
ポケットの中のスマホには、短いメッセージが残っている。
――来い。今夜。
送り主の名前を見なくても、誰かは分かっていた。
拒む理由も、行く理由も、同じくらい曖昧だった。
ただ、行かなければ“何か”が起こると分かっていた。
その“何か”が、もう恐怖ではなく“当然のこと”として身体に馴染んでいることが、
遥自身いちばん怖かった。
蓮司の部屋は、夜の静けさの中に沈んでいた。
ドアを開けると、照明は落とされていて、薄いランプの光だけが床を染めている。
机の上には煙草の灰皿と、半分溶けた氷入りのグラス。
そして、ベッドの端に腰かけている蓮司。
「遅かったな」
その声には責める色も、怒りもなかった。
ただ、淡々とした“確認”。
遥は無言のまま立ち尽くす。
「なあ、今日……日下部、見てたぞ」
蓮司がグラスを揺らしながら言う。
氷の音が、やけに響いた。
「放課後のこと。お前に目、向けてた。まだ気になってるんだな、あいつ」
遥の心臓が、わずかに脈を強めた。
「……別に」
「別に、か。そういう言い方、日下部の前でもできるか?」
蓮司がゆっくり立ち上がる。
一歩ずつ、遥との距離を詰めてくる。
床が小さく軋むたびに、呼吸が浅くなる。
「俺が何したか、あいつに知られたくねぇだろ」
囁くような声。
その瞬間、遥の肩を軽く掴む。
力は強くない。だが逃げられない。
「お前が黙ってる限り、誰も助けねぇ。……でも逆に言えば、お前が壊れたら、俺の勝ちだ」
蓮司の目は、まるで何かを観察するように静かだった。
怒りでも、快楽でもない。
“支配を確かめる”視線。
遥は唇を噛む。
痛みでしか、現実を保てなかった。
「なあ、遥」
「……何」
「お前、俺の言葉が怖ぇか?」
蓮司が首を傾げる。
遥は答えない。
その沈黙を肯定だと受け取ったように、蓮司は軽く笑った。
「それでいい。……怖いままでいろ」
声が低く沈む。
「人は怖いものの前では、本音しか出せねぇからな」
その言葉と同時に、蓮司は遥の頬に指を触れた。
撫でるのでも、叩くのでもない。
ただ、“境界をなぞる”ような仕草。
遥の呼吸が止まる。
「明日、あいつの前で普通にしてみろ」
「……どういう」
「試してみたいんだよ。お前がどこまで“壊れずにいられるか”」
蓮司の声は、静かなままだった。
それがかえって残酷だった。
遥は、何も言えなかった。
身体のどこかが、もう“拒絶する力”を忘れていた。
部屋を出たとき、夜気が肌に刺さるように冷たかった。
蓮司の部屋のドアが閉まる音が、やけに大きく響く。
――また試される。
そう思った瞬間、胸の奥が空洞になる。
生きているのに、もう自分ではない感覚。
ただ、明日が来るという事実だけが、最悪の形で確かだった。







