放課後、空が急速に暗くなった。
ついさっきまで眩しいほど晴れていた空が、一転して鉛色に沈む。
遠くで雷鳴が低く響いた。
「……夕立か」
朔は窓の外を見ながら呟く。
晴れの日の彼との距離は、まだ痛いほど冷たいまま。
今日も、きっと――そう思っていた。
だがチャイムが鳴り、クラスメイトが一斉に帰り支度を始めたとき、
雨が激しく窓を打ち始めた。
「うわ、最悪」
「止むまで待とーぜ」
友人たちは口々に文句を言い、
部活へ向かう者、スマホをいじる者、様々だった。
朔は鞄の中を見て、嫌な予感が的中したのを悟る。
――傘、ない。
小さく落ち込んだとき、視線の先に彼がいた。
晴弥は立ち尽くし、窓の外の雨をぼんやり見つめている。
教室が徐々に空になっていく。
気づけば二人だけが残された。
沈黙が、雨音を際立たせる。
ポツポツから、ザァァ、と音が変わった。
朔は取り落としたプリントを拾おうと手を伸ばす。
その時、窓からの吹き込みでノートに水滴が落ちた。
「うわ、濡れる……」
慌ててノートをかばい、袖を折り返して拭こうとする。
しかし生地は水を含んでいて、余計に拡がってしまう。
焦った瞬間、ふいに視界に白い布が差し込んだ。
「……これ、使え」
その小さな声に、朔は顔を上げた。
晴弥が無表情のまま、ハンカチを差し出している。
戸惑いながらも受け取ろうと手を伸ばす。
その刹那――
布越しに、指先が触れた。
ハンカチ越しだというのに、驚くほど温かかった。
湿った空気の中で、その熱だけがくっきりと伝わってくる。
「っ……ありがとう」
言葉が小さく震えた。
晴弥は「別に」と視線を逸らした。
だが手が離れる瞬間、ほんの一拍だけためらった。
それを朔は見逃さなかった。
濡れたノートをそっと拭きながら、
朔は息を整えようとする。
布の柔らかさと、さっき触れた指の温度が
離れていってくれない。
「……昨日は、急に帰ってごめん」
どうしても言わずにいられなかった。
晴弥は驚いたように眉をわずかに上げる。
「謝るなよ。悪いのは天気だし」
肩をすくめる、その仕草が少しだけ柔らかかった。
雷鳴がまた鳴り、窓ガラスが揺れる。
雨音の壁が、二人を外と切り離していた。
まるで、また雨が二人の世界をつくってくれたみたいに。
朔は勇気を振り絞る。
「晴弥、今日は……帰り、また一緒に……」
手がハンカチを強く握る。
断られるのが怖かった。
晴弥は一瞬だけ黙り込み、
濡れた窓の外に視線を向ける。
そしてゆっくりと、
「……傘、あるから」
小さな返事が、朔の胸を打つ。
嬉しさと安堵と、少しの照れと。
晴弥が朔の手からハンカチを回収しようとする。
自然な動作なのに、その瞬間の触れた時間が延びた気がした。
「……もう濡れるなよ」
ハンカチをそっと握り直しながら言う声は、
雨の音に負けそうなくらい静かで――優しかった。
朔はハッキリと気づく。
雨の日の彼は、特別だ。
雨の下でだけ見える優しさがある。
――だけど、それが欲しい。
「ありがとう、晴弥」
今度はまっすぐに言えた。
晴弥の指先が微かに動いたように見えた。
窓に映る二人の影が近づき、
雨粒が光を受けて跳ねる。
夕立は、少しだけ弱まっていた。
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