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冷蔵庫のモーター音が、遠い地鳴りのように耳の奥を震わせていた。壁際の時計は同じ音を刻み続けているのに、時間だけが伸びていく。
ひとりでいることが、やけに鮮やかに形を持ちはじめていた。
窓の外、夜風がわずかにカーテンを揺らす。
その布の影が、ふと“誰か”の輪郭に見えた。
胸が、不意にざわついた。
日下部の背の高い姿が、頭の奥に浮かぶ。
名前を呼んだわけじゃない。
ただ、あの視線の重さだけが、音もなく近づいてくる。
スマホの通知が一度震えた。
光った画面に、日下部の名はなかった。
それだけなのに、遥は息をつめる。
あいつなら、こんな時間に連絡してくるはずもない――
そうわかっていながら、目を離せなかった。
部屋の隅に置いたスニーカーの白が、夜の闇に浮かぶ。
前に並んで歩いたとき、日下部が何気なく蹴った小石の音が甦る。
不意に、胸の奥に細い痛みが走った。
自分の中で何かがまだつながっている。
そのことが、ひどく怖くて、同時にほっとする。
(俺は、まだ……)
言葉の先が見つからない。
声に出した瞬間、全てが壊れてしまいそうで。
膝を抱いたまま、遥は肩をすくめた。
部屋の空気がほんの少しだけ温度を増す。
そこに、日下部の体温の記憶が重なる。
いつか二人で見た夜景。
高層ビルのガラスに映った自分の顔が、不意に頭をよぎる。
あの時、日下部は横で黙っていた。
何も言わない沈黙が、あまりに確かで、
今思えばそれだけが救いだったのかもしれない。
スマホを握る指が汗ばむ。
呼び出す勇気はない。
でも、彼の名前を心の奥でそっと反芻する。
息を吸うと、胸が軋む。
それはまだ“生きている”証拠のようで、
同時に、日下部が確かにどこかで息をしているという証でもあった。
窓の外、薄い雲が街灯を流した。
一瞬、光が部屋を撫で、また暗闇が戻る。
その暗さの向こうに、
“おい”と低く呼ぶ声がほんの刹那、響いた気がした。
幻だ、とすぐにわかる。
けれど遥は膝に顔を埋めたまま、
その気配をそっと胸の奥にしまい込んだ。