薄暗いカフェの片隅。日下部は少し遅れて店に入り、蓮司を見つけた。蓮司はいつもの飄々とした表情で、コーヒーを片手にスマホを覗き込んでいる。
目が合うと、軽く眉を上げるだけで笑みは浮かばない。
「……よお」
日下部の声は低く、少し硬い。緊張を隠せず、手はテーブルの上で軽く握りしめられていた。
「おう。遅かったな」
蓮司の声も穏やかだが、どこか計算された余裕が漂う。
その余裕に、日下部は思わず身構えた。
「……あの、遥のこと、聞いたよな」
日下部は言葉を選びながら、蓮司の目を見た。
蓮司は少し肩をすくめ、スマホを置く。
「聞いたって……まあ、少しはね。どうやらあいつ、またやらかしてるらしい」
飄々と、しかしどこか冷たい。
「数日前から、夜中に街を歩き回って、危ない奴に絡まれて……自分で壊れに行ってるって話だ」
日下部の胸がざわつく。
「……何を考えてるんだ、あいつは……」
声に出さずとも、苛立ちと戸惑いが混ざり合い、胸の奥で絡まっていた。
蓮司は軽く笑ったような仕草をした。
「まあ……見てるこっちとしては面白いっていうか、興味深いっていうか」
日下部はその言葉に苛立ちを覚える。
面白い……? そんなふうに笑えるほど軽い話じゃない。
「おまえ……何を言いたいんだ」
日下部の声に力が入る。
蓮司は肩を軽くすくめ、真剣さを見せずに言った。
「別に説教するつもりはねぇ。事実を伝えただけ。あいつ、今どんな状態か知りたかっただけだ」
日下部は目を伏せる。
知らなきゃよかったのか、それとも知っておくべきなのか。
蓮司の言葉は、突き放しているようでいて、確実に日下部の心を揺さぶる。
「……俺にどうしろっていうんだ」
吐き出すように言うと、蓮司は軽く肩を回し、視線を外した。
「どうもしねぇよ。ただ、教えただけ。あいつのことは、結局自分で何とかするしかない」
しかし、その声には微かな皮肉と、楽しむような余裕が混じっていた。
日下部はそれを感じ取り、胸の奥が痛んだ。
「……わかってる、でも……」
言葉が途切れる。蓮司の目を見たまま、日下部は自分の無力さを思い知らされる。
蓮司はそれを見逃さず、軽く口角を上げた。
「まあ、あんまり考えすぎるな。お前が無理しても仕方ねぇだろ。あいつの問題だ」
その言葉の裏に、蓮司の観察眼と飄々とした嗜虐的な距離感が透ける。
日下部は深く息を吐き、手元のカップを握りしめた。
「……俺に何をしてほしいんだ、結局」
蓮司は少し間を置き、静かに答える。
「……そりゃあ、お前がどう動くか、だな。あいつを放っておくか、追いかけるか」
言い方は淡々としているが、その目は確実に日下部の反応を窺っていた。
日下部は沈黙する。胸の奥で、怒りと焦燥と恐怖が絡み合い、ぐちゃぐちゃに揺れる。
蓮司の声はもう聞こえないほどに、自分の思考だけがざわついていた。
遥のことを思うほど、どうすればいいのか分からなくなる。
そして蓮司は、何事もなかったかのようにスマホに視線を戻す。
ただそこに座り、日下部の動揺を静かに楽しんでいるようだった。
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