優羽は岳大の運転する車の助手席で少し緊張した面持ちだった。
それは先ほど舞子に言われた言葉が引っかかっているからだ。
(もし同じ部屋だったらどうしよう)
優羽は不安になる。
以前西村と交際をした経験があり子供を一人産んだ優羽が不安になるというのはおかしな話だがそれは確かな事実だった。
優羽が西村と交際したのは約1年半だが実際に男女の関係になったのは付き合い始めて1年が過ぎた頃だった。
優羽は長野を出る時母の恵子から口を酸っぱくして言われた事がある。それは『東京の男を信用するな』『すぐ深い関係になっていはいけない』という言葉だった。
だから優羽は西村と付き合う条件として最低でも一年はそういう関係にはならないと最初に告げていた。
西村はその条件を飲んだ。そして一年後二人は結ばれた。
しかし二人が男女の関係になって数ヶ月で優羽が妊娠する。そして別れるまでの最後の2ヶ月は優羽の体調不良が続きほとんど会わなかった。
西村との付き合いが順調だった頃も二人で長時間過ごすデートは月に1~2回あればいい方だった。
だから実質優羽が西村と身体を重ねた回数はそれほど多くなかった。
つまり優羽は女性としての悦びを知らないまま妊娠し出産したのだ。そして出産後から現在に至るまでもそういった事とは無縁の生活をしてきた。
だから岳大ともし今夜そういう状況になってしまったら正直不安の方が強かった。
自分の反応次第では岳大に嫌われてしまうかもしれない……優羽はそれが怖かった。
助手席でじっと黙っている優羽をチラリと見て岳大が言った。
「今日はずいぶん口数が少ないね」
「いえ、そんな事は…」
「大丈夫だよ、叔父はきっと君を気に入るさ」
「___はい」
岳大が全く見当違いの事を言ったので思わず優羽は微笑む。岳大は優羽が岳大の叔父に会う事に緊張していると思ったのだろう。
(こんなに心配してくれているんだもの……くよくよしないで私も旅行を楽しまないと)
優羽はとりあえず先の事は考えないようにして今を楽しむ事にした。
気持ちを切り替えた優羽は気になっていた事を岳大に質問した。
「『グレートクライマーR』で登る北穂高の3月はまだ冬山だってうちの兄が言っていましたが危険はないのですか?」
「うん、北穂高は滑落や遭難が多い山だから気は抜けないけれど一緒に登るスタッフがベテランばかりなんだ。だから僕的にはそんなに心配はしていないよ」
それを聞いて少しホッとする。
「そう言えば先日翔真君から電話が来たよ。既に体力作りと体調管理に入っているって言ってた」
「へぇ、やる気満々ですね。登山のドキュメンタリーに出るのが夢って前に話していましたからきっと嬉しかったんでしょうね」
優羽は張り切っている翔真を想像してフフッと笑う。
やがて車は高速へ入り順調に走り続けた。ハンドルを握る逞しい岳大の手を見ていると思わず心臓がドキドキしてしまう。
あの逞しい手が優羽の身体の上を這い回ったら一体どんな感じなのだろう? 無意識にそんな事を想像していたので優羽はハッとして頬を赤らめる。
その時優羽は高校時代の女友達との会話を急に思い出していた。それは理想の男性像についてだ。
親友の明日香はスマートな美形の王子様のような男性がタイプだった。
一方優羽は明日香の好みとは正反対で日焼けしてガッチリとしたワイルドな男性が好みだった。
「笑うと目が優しくて全てを大きく包み込んでくれるような心の広い人がいいわ」
優羽がうっとりして言うと明日香が笑いながら言う。
「そんなのすっごい年上のおじさんしかいないじゃん! 優羽の趣味はおっさんかーい」
優羽はそろりとハンドルを握る岳大を盗み見る。その時初めて気がついた。優羽が当時思い描いていた理想の男性像は岳大とぴたりと一致する事に。
優羽はあの日立山で岳大に会った時から強く彼に惹かれていた。しかしシングルマザーの優羽には恋をする資格などないと思っていた。だからあえてその思いに気付かないふりをして気持ちを封印したのだ。
しかし今優羽は岳大の親族の元へ結婚の挨拶をしに行こうとしていた。
優羽は夢でも見ているような気がしてこっそり自分の頬をつねってみる。
もちろん痛みを感じたので思わずフフッと笑う。
それに気づいた岳大が聞いた。
「何がおかしいんだい?」
「え? あ、うん、あのね。高校時代の事を思い出していたの」
「へぇ、高校時代の何を?」
「明日香っていう親友がいたんだけれど彼女と理想の男性像について話し合っていた時の事を急に思い出したんです」
「そうなんだ。で、どんな男性が理想だったの?」
「内緒です」
優羽はフフッと笑ってごまかした。
「ずるいなー、教えてくれてもいいのに」
岳大は微笑みながら左手で優羽の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
その大きな手のひらの感触は優羽の心をたちまち安心感でいっぱいに満たしてくれた。
今優羽はこの上ない幸せを噛みしめていた。
コメント
2件
お互い理想の人なのね(˶‾᷄ ⁻̫ ‾᷅˵)ニヤニヤ 大丈夫よー優羽ちゃん!心配することなんて何一つないよ😉 そのままの今の優羽ちゃんがいいんだから〜💘
優羽ちゃんなりに西村との事を含めて女性として経験が浅い事を思い悩んでたんだね… デリケートな部分の話だし異性の岳大さんに相談することもできないしね😥 ここはー、岳大さんにお任せしよう、優羽ちゃん。愛する人にお任せしたら優羽ちゃんの心も体も優しく満たしてくれるよ🥰❤️💘 だって岳大さんは優羽ちゃんのタイプど真ん中なんだから、ちゃんと分かってくれてるよ😙😚😋