※この物語はフィクションです。
実在の人物及び団体、事件などとは一切関係ありません。
〈File2:心象の矛盾〉
「まったく。カグヤ、お前なあ……」
お巡りさんに連れられて訪れた交番で私を待っていたのは、渋い顔をした伯父――冴島克己だった。
どうやら、私からの一報を受けて駆け付けたらしい。
伯父さんは気崩した薄いスーツ姿で、我が物顔でイスにふんぞりかえっていた。
「まあいい。そこ座れ、カグヤ」
そこ、と指すように、伯父さんの長い足がパイプ椅子を蹴飛ばす。
横目で一緒に来たお巡りさんを窺う。
お巡りさんは、虚を突かれたように伯父さんを凝視していた。
「あ、あの……」
伯父さんの険しい眼光を前に、お巡りさんは控えめに声をあげた。
すると伯父さんは、懐からおもむろに古びた手帳を出す。
チョコレート色のくたびれた革に、金色のエンブレム。
それはアメリカの連邦捜査局のバッジケースを参考にデザインされている。
「け、警部……!?」
伯父さんは刑事だ。
それも主に殺人事件などの重犯罪を捜査する捜査一課所属、叩き上げの刑事。
お巡りさんは、背中に定規でも入ってるように居ずまいを正して、敬礼をする。
「失礼しました!」
「そういうのはいらん。こいつは俺の姪だ。話は俺が聞くから、お前さんは奥にでも行っていいぞ」
「はい!」
気持ちのいい返事を残し、お巡りさんは交番の奥へと足を運ぶ。
その背中を見送って、私はパイプ椅子に腰かけた。
伯父さんは、これ見よがしに長い溜息をついた。
「……で、犯人は無事か?」
「ちょっと!人聞きの悪いこと言わないでよ、伯父さん!」
「骨3本までなら許すぞ?」
「……」
「冗談だ、冗談。逃がすなんてどうした。お前なら追いかけていきそうなもんだが」
冗談を言うような茶目っ気とは程遠い顔で、伯父さんは腕を組んだ。
私はムッと唇を曲げたまま、カツンと踵を鳴らす。
10センチ近いハイヒールを見て、「なるほど」と伯父さんが頷く。
「ンな気合の入ったもん履いてりゃ、追いかけられっこねーか」
「追いかけられないこともないけど……犯人に脅されてた店員さんが怯えてて、放っておけなかったの」
「ほーお。で、犯人はどんなだった?」
「ええと……」
瞼の裏に、犯人の姿を描く。
ほぼ正面から対峙した時、目線の高さが私と同じくらいだった。
「ヒール履いてる私と同じくらいだったから、身長は170センチくらい。服で体格までわからなかったけど、手首が細かったから大柄ではないと思う。あと体幹弱そうだった。目出し帽で顔はあんまり見えなかったけど、目はつぶらな一重で鼻は高くない」
「性別は」
「喋らなかったし、喉元も隠れてたから、どっちかわからない。目出し帽だったし。背の高い女の人にも、ちょっと小柄な男の人にも見えたかな」
「あとは」
「サバイバルナイフを左手に持ってたから、左利き。迷いなく住宅街の方に逃げて行ったから、地の利があるかも。それくらいかな」
あの強盗は自分の姿を徹底的に隠そうとしてた。
声を出さなかったのがその証拠。
けど目出し帽に、派手なインクを纏った恰好でうろつくのは、自分が不審者だって吹聴してるようなもの。
きっと目撃情報が集まるし、すべての防犯カメラを避けるのは難しいから、犯行前後の足取りを追えるはず。
「おそらく、お前が遭遇したのはここらで起きてる連続コンビニ強盗だろうな」
「何件目の犯行?」
「同一犯なら今日ので4件目だ。メディアが報じ始める頃合いだろうな」
やっぱり追いかけて捕まえればよかったかな、と独り言ちる。
動きが鈍くて、足もあまり速そうには見えなかった。
ハイヒールを脱いで追いかければ――という私の思考を 遮 さえぎるように、伯父さんが指を鳴らした。
胡乱な目に見据えられ、私は肩を竦める。
「俺が担当の刑事に話しておく。お前は仕事に戻っていいぞ。リンダが待ってるだろう」
「そうするわ。今日こそ退職願を受け取らせないと」
「……やっぱ辞めちまうのか」
「初めから、そういう約束だったもの」
そう言って、席を立つ。
伯父の物言いたげな顔に背中を向けるように、交番を去ろうとした。
けれど。
「……?」
戸口に男が1人立っていた。
まるでこちらの様子を窺うように、交番の中と周囲を見渡してる。
私と目が合うと、大きく肩を跳ねさせ、顔を俯かせたまま恐る恐る交番の敷居を踏んだ。
男が手になにかを持っていることに気づいて、私は「あっ!」と声を上げる。
「そ、それ……!」
男はその手に、カラーボールのインクがついた目出し帽を持っていた。
交番に自首してきた男は、立野恵一と名乗る男子大学生だった。
身長は170センチ、華奢で、左利き。
目鼻立ちの特徴も一致していて、立野恵一は4件の犯行を認めてる。
それに犯行に使った目出し帽を持参していたのもあって、立野は警察署の方へ連行された。
これで事件は解決。
だけど……。
「納得がいかないって顔だな、カグヤ」
「なんか違和感があって……」
「違和感?」
自首してきた立野恵一を見た時、私は彼があのコンビニ強盗だと気づけなかった。
言われてみれば体格なんかの特徴は一致してるけど、でもそれだけ。
華奢な170センチ、左利きの男性なんていくらでもいる。
「だが、お前は強盗の顔をはっきりとは見てないんだろう?」
「そうだけど……」
確かに私はコンビニ強盗の顔をはっきりと見てないけど、でも雲のようにあやふやな違和感が胸に立ち込めていた。
論理的に説明のできない感覚的なものだけど、見過ごすには大きなしこりだった。
伯父と別れて、私はコンビニへと戻ることにした。
あの場所に立てば、違和感の正体が掴める気がして、記憶の新しいうちにそれを見つけたかった。
交番からコンビニまで歩いて15分とかからない道を小走りに行く。
騒ぎを聞きつけてか、野次馬が集まり始めているようだった。
その中に、ひときわ様子のおかしい男がいる。
「な、なにあれ……」
駐車場に男が寝転んでいた。
正確に言うと、頬をアスファルトにつけるようにして蹲っていた。
アリの行列を眺める子供のように熱心な様子で、男がなにを見ているのかつい気になってしまう。
男の背中側に立ち、その鼻先にあるものをそっと見つめた。
「……カラーボールのインク?」
私のつぶやきに、男が顔を上げた。
頬に砂埃をつけたまま、私を仰ぎ見る。
男の緑の双眸が爛々と光っていた。
「……っ!」
経験に磨かれた伯父の鋭い眼光とも違う、見知らぬ男のまなざしの強さに私は息を呑む。
持て余すほどの情熱、本能と理性、大人と子供が瞳の中でせめぎあっているようだった。
相反する双方の本質は、純粋な知的好奇心であるように思えた。
まるで、恋でもしているように――。
男の唇が薄く開く。
「大体の話は店員から聞いたが、コンビニ強盗の目撃者の目は節穴だな」
……は?
「犯人は身長170センチもない。もっと小柄な人間だ」
〈続〉
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