サツキはダリルと唇を重ねて──
そして、手の中の指輪の石の中に吸い込まれてしまった。
あとに残るのは静かなオープンテラスと2人分のティーカップ。魂だけの存在であるその彼女が消えたことなど誰も気づかない。もとより無かったことになっているのだ。
ダリルが座るその対面で立ち昇る湯気とカップだけが、今までそこに人がいてそのお茶を口にしていたことを告げている。
幽霊。魂。それが実態を持ち、周りにも認識されて誰かと話して、触れ合い、喜び、楽しみ、恋をして、涙とともに愛を感じる。
そんな他の魂からすればズルいと言われそうな所業は、この街だからこそ叶ったことである。ダリルがいるこの街だからこそで、ダリルにしか出来ないこと。
誰もいないここにダリルひとり。工房とは違う。ここにあるのは幸せの、残滓だ。
雪山の小屋には変わらず巫女装束の娘と、見守るマイ。
「できたんだね。ダリルさま、この子、助けてくれて、ありがとう」
「ああ、他でもないマイの頼みだからな」
「照れる」
ダリルは小屋の床に横たえたサツキの指に指輪をはめる。先ほどは渡せなかった左手の薬指に。
指輪の虹色は石から溢れ出してサツキの身体を包み込む。その光は触れたものが自身の身体と知り喜ぶかのような輝きをみせて、全身をくまなく包んだと思うとそのまま身体に吸い込まれていった。残った指輪は透明に輝く輝石となった。
サツキは目覚めるだろう。だが、魂を幸福が満たしていても、記憶は違う。幽霊として過ごした日々も丸ごと幸福という感情へと置き換えられる材料でしかない。目覚めたサツキは俺たちを知らないサツキだ。
「では、あとは頼む」
「え?サツキが起きるの、待たないの?」
そうすることも可能だが、今はそれよりも
「吹雪を──止ませてくる」
呪いの化身はその身を散らされども、この吹雪とともに未だにここにあり続けているのだ。それはもしかしたら他の要因もあったからかもしれない。視界も不自由な吹雪のなかでたまに目に映る赤色の筋がそう思わせる。
それならばダリルの仕事と言って間違いないだろう。
そして魂珠に込められた願いが本来のダリルの客の願いでない方とはいえ、叶っていないのは沽券に関わる。
(いや、違うな)
ダリルは皮肉に自嘲する。これはただの八つ当たりだ、と。
小屋を離れ頂を越えた先。見渡す限りの大吹雪。
ダリルは白い棒に火をつけて一気に吸い込み、白煙と共に吐き出す。
ダリルの手には一対の巨大な扇子。
扇子の周りにはイタズラ好きな妖精たちのシルエットが踊る。つぶらな瞳には如実に好奇心が現れている。
「まあ、お前たちも今回は協力してくれよ」
ダリルが大きく手を広げると吹雪に閉ざされた国のあちこちに、昇り立つ巨大な光の柱が幾筋も現れる。白が支配したような視界でもそれがはっきりと映るのは、視力ではなく受け手の魔力に映されるからだ。
ダリルの左腕が豪快に振るわれれば吹雪の流れがその向きに揃えられる。
右腕が振るわれる。すると吹雪は左右からぶつかり、ちょうどダリルの正面に遠くで纏められる。
自然現象としてはあり得ない光景だが、吹雪の原因は出所不明の強く大きな呪いである。呪いを形にしたその吹雪の塊は光の柱に囲まれて閉じ込められた格好だ。
閉じ込めた吹雪の中から怨嗟の声が押し寄せる。
「その声が、呪いが、今は不愉快なんだよ」
妖精たちは舞う。女王のいる魔力に満ちた花園でさえ、これほどの魔力は感じたことがない。天候を変え、維持するほどの呪いをたったひとりで打ち破ろうというその行い。
「抗うこと叶わず──疾く散れ」
ダリルの発した言葉に光の柱はその全てが交わり一本になり、下の方から徐々に昇るようにして消えていった。
ダリルが交差させた扇子を払うように振り切った後には、吹雪の姿はなく、もう怨嗟の声もどこにもない。
ダリルは懐から取り出した飴玉を口に入れて晴れ渡った空を眺めた。