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かしこまりました。
キスという突然の出来事の直後にも関わらず、葵はそれを「なかったこと」のように振る舞い、悠太はその動揺を抱えたまま、予定されていた**「秘密基地」**へと向かい、二人の関係がより親密になっていくシーンを書きましょう。
【場面】 沢からさらに山を登った丘の上。朽ちかけた古い小屋。
沢での出来事の後、葵は本当に何事もなかったかのように振る舞った。
「ほら、さっさと着替えないと風邪引くぞ。秘密基地まではもうすぐだから」
濡れた服は絞り、悠太は祖母の家から持ってきたタオルで髪を乱暴に拭いた。葵もまた、冷たいTシャツの上から薄手のパーカーを羽織り、悠太をぐいぐいと引っ張って、木々のトンネルを抜けた。
たどり着いたのは、町を見下ろす丘の上の、廃墟となった小さな小屋だった。
「これが、私の秘密基地**『サンライズ・キャビン』**だ!」
小屋は木造で、窓ガラスは割れ、戸棚は傾いていた。しかし、床は丁寧に掃かれており、奥には小さなテーブルと、雑誌が積まれた「書庫」のようなスペースがある。
「誰も来ないのか、ここ?」
「来ない。来る価値もないだろ? でもな、ここから見る夕日が、この町で一番綺麗なんだ」
葵は割れた窓枠に肘を乗せ、遠くの山並みを眺めた。濡れた髪が太陽の光でキラキラと輝いている。
悠太は、自分の頬がまだあの瞬間の熱を覚えているのを感じていた。口元に触れた、水のように冷たい、でも熱を持つように感じた葵の唇。
「さっきの……」
悠太が意を決して切り出そうとすると、葵は悠太から視線を外したまま、唐突に口を開いた。
「悠太はさ、都会の高校に行くんだろ?」
「え? まあ、そのつもりだけど……。なんで?」
「ふうん」
葵は小さく息を吐いた。その横顔には、沢で見せたいたずらっぽい悪戯心は微塵もなかった。彼女の瞳は遠く、町並みのずっと先、水平線の向こう側を見ているように見えた。
「この町には、何もないだろ」
「そんなこと……」
「そんなことあるよ」葵は強い口調で言った。「カブトムシやザリガニはたくさんいるけど、将来に繋がるものが何もない。中学を出たら、ほとんどの人は、ここの高校に進んで、卒業したら町を出ていく」
悠太は言葉を失った。いつもの葵からは想像もつかない、焦燥と不安が混じったような声だった。
「私、知ってるんだ。アンタが持ってきたリュックの中身。参考書と、受験用の問題集」
葵は悠太を振り返り、自嘲するように笑った。
「アンタはここでたった30日を過ごすだけ。でも、私はずっとここにいるんだ。だから私は、アンタが都会に帰ってから、『この夏、楽しかったな』って、思い出すだけの存在で終わりたくない」
悠太の胸が、ズキンと痛んだ。
先ほどのキスは、単なる「ときめき要素」のノルマ達成ではなかった。それは、この町から逃れたいという葵の焦りや、自分を見てほしいという、複雑な感情の爆発だったのかもしれない。
悠太は濡れた服の不快感も忘れ、葵のすぐ横に立った。
「葵は、この町が嫌いなのか?」
「嫌いじゃないさ。でも、夏休みが終わるのが怖い」
葵はそう言って、再び遠くを見つめた。
悠太は、勇気を振り絞って、沢でされたことのお返しをするように、葵の手を、そっと握った。
葵は一瞬、ビクリと肩を震わせたが、振り払うことはしなかった。悠太の冷たい手のひらが、葵の焼けた指先に触れている。
「俺は、葵と一緒にいるこの夏が、誰にも負けないくらい楽しいって、ちゃんと絵日記に書くよ」悠太は言った。「来年も、その次も、俺がまた会いに来たくなるような町だって、証明してみせる」
葵は何も言わなかった。ただ、夕日が差し込む小屋の中で、握られた悠太の手を、静かに握り返した。
彼女の手に込められた力は、夏の終わりの切なさと、未来への微かな期待、そして初恋の戸惑いが混じった、複雑な感情の塊のように悠太には感じられた。