テラーノベル
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深夜2時。都内にある事務所のレッスンスタジオ。
美裕はひとり、大型鏡の前で次のC小町新曲のステップを黙々と踏んでいた。汗が顎を伝い、床に小さな水滴を作る。
「……ッ、もう一回」
音楽を巻き戻そうとスマホへ手を伸ばした瞬間、スタジオの重いドアがゆっくりと開いた。
「——やっぱりここにいたか。いい加減にしろ、美裕」
入ってきたのは、双子の兄でありマネージャーの康弘だった。手には温かいほうじ茶のペットボトルを握りしめている。康弘は美裕の足元にタオルを投げつけると、鏡の前にどかっとあぐらをかいて座り込んだ。
「康弘……。まだ仕事残ってたの?」
「お前のスケジュール管理と、映画『透明な群青』の試写会後のオファー裁きだよ。……で、当の主演女優様は深夜に何やってんだ? 明日も朝からテレビ収録だぞ」
「舞台が終わってから、身体が勝手に動いちゃうんだよ。……沙也加ちゃんも灯ちゃんも、それに玲奈ちゃんも、みんなすごい勢いで追いついてくるから。センターの私が止まるわけにいかないでしょ」
美裕は笑ってみせたが、康弘の表情は硬いままだった。
康弘は深いため息をひとつ吐き出し、美裕の目をまっすぐに見つめた。
「お前……あいつの視線に気づいてないわけないよな? 神城玲奈の視線だ」
スタジオの空気が、ふっと冷えた。
「玲奈ちゃんの……?」
「ああ。俺はお前のマネージャーである前に、お前の双子の兄だ。博己だった頃から、お前が自分の身体と性別に苦しんで、血を吐くような思いで『美裕』として立ち上がるまで、全部一番近くで見てきた」
康弘は立ち上がり、美裕の肩をぐっと強く掴んだ。その手は微かに震えていた。
「美裕。あいつ……神城玲奈の目はお前を憧れてる奴の目じゃない。**『光に群がる羽虫』の目**だ。お前の持つ美しさや、トランスジェンダーとしての壮絶な葛藤、その『光と泥』に完全に依存してる」
「康弘、それは……玲奈ちゃんはただ、地下時代のトラウマがあって……」
「違う! 庇うな!」
康弘の声がスタジオに鋭く響き渡った。
「お前は優しすぎるんだよ。前世の記憶だか何だか知らねえが、芸能界の人間をどこか『物語の登場人物』みたいに捉えて、全員を受け入れようとしてる! でもな、あいつが抱えてるのはフィクションの闇じゃない。**『本物の狂気』**だ」
康弘はポケットから一冊のノートを取り出した。それは、康弘が独自に調べ上げた神城玲奈の地下アイドル時代の調査メモだった。
「玲奈が前にいたグループ『ルシフェル』が解散した本当の理由を知ってるか? アンチの嫌がらせじゃない。玲奈自身が『一番自分を推してくれていたファン』の狂気を煽りまくって共依存に陥らせ、現場を崩壊させたんだ。あいつは……自分を愛してくれる光を、自分の手でドロドロに壊すことでしか『愛』を実感できない病気なんだよ」
美裕は言葉を失い、息を呑んだ。
「今、お前は映画の評価で芸能界の最高峰へ手を伸ばしかけてる。B小町のルビーたちとも肩を並べようとしてる。……でもな、お前が輝けば輝くほど、玲奈はお前を『自分だけの暗闇』に引きずり降ろそうとするぞ。**あいつはお前の足を引っ張って、一緒に死のうとしてるんだ**」
康弘の瞳には、かつて「博己」だった弟を、そして今「美裕」として生きる妹を何としてでも守り抜くという、絶対的な決意が宿っていた。
「黒岩Pは『C小町の劇薬になる』と言ってあいつを入れた。でも、毒は回りすぎたら死ぬんだよ。マネージャーとして、兄として忠告する。……玲奈にこれ以上心を開くな。あいつの狂気に呑み込まれたら、お前が命がけで手に入れた『榊美裕』という光まで壊されるぞ」
静まり返るレッスンスタジオ。
康弘の切実な言葉が、美裕の胸を深く抉った。
前世の『推しの子』知識で「闇を抱えたキャラ」として捉えていた玲奈の存在。だが、康弘の言う通り、ここは本物の血が通う泥沼の芸能界だ。一歩間違えれば、すべてが崩壊する死角。
美裕は自分の胸に手を当て、静かに康弘を見つめ返した。
「……ありがと、康弘。心配してくれて」
「分かってくれたのか……?」
「うん。でもね、康弘」
美裕は鏡の中の自分——汗に濡れながらも、強く前を見据えるアイドルの瞳を見つめた。
「逃げないよ。玲奈ちゃんの狂気が本物なら……私の『アイドルとしての覚悟』も本物だから。壊させない。私自身の光も、C小町も、玲奈ちゃんの人生も……全部私が背負って、ステージの上で証明してみせる」
「美裕……お前……っ!」
康弘は呆れたように頭を抱えたが、その口元にはどこか諦めと誇らしさが混ざった苦笑いが浮かんでいた。
「……ハッ、本当に頑固だな。昔から博己の時もそうだったよ。……絶対に無茶するなよ。お前に何かあったら、俺はプロデューサーだろうが玲奈だろうがぶん殴るからな」
「ふふ、頼りにしてるよ、お兄ちゃん」
康弘がスタジオを去った後、美裕は一人、再び鏡に向き合った。
闇はすぐ隣で、爪を研いで待っている。
それでも——私は光のなかへ、走り続けるだけだ。
映画『透明な群青』の試写会の熱気がまだ冷めやらぬ週の半ば。
私は単独のグラビア撮影とインタビューの仕事を終え、都内にある大型映画館の控えスペースにいた。兄の康弘から受けていた「神城玲奈の狂気」についての忠告が、胸の奥で重く冷たく引っかかっている。
(逃げちゃダメだ。でも、玲奈ちゃんの暗闇を私が全部受け止めきれるのかな……)
静かな廊下でひとり息を吐いていた、その時だった。
「——ずいぶん思い詰めた顔をしてるな」
低い、けれど静かに通る声。
影の中から現れたのは、黒のジャケットを羽織った青年——星野アクアだった。
「……! 星野、さん……」
前世で漫画のページをめくるたび、その壮絶な復讐劇と葛藤に息を呑んでいた存在。
以前B小町とのコラボ生放送の現場ですれ違って以来だったが、彼の瞳の奥にある「すべてを観測し、見透かすような冷たい光」は相変わらずだった。
「映画の試写、関係者試写で観させてもらったよ。『透明な群青』」
アクアは壁に背を預け、ポケットに手を突っ込んだまま私を見つめる。
「……どう、でしたか?」
「……酷い映画だったな」
アクアの口から出たのは、意外な言葉だった。
私が目を見開くと、彼は僅かに目を細めて続けた。
「お前の『生々しさ』が画面から溢れすぎていて、観ている側に嫌でも自分自身の醜さや過去を突きつけてくる。演技というより、お前という人間の存在そのものがスクリーンの毒になっていた。……役者としては最高の褒め言葉だ」
「……ありがとうございます」
言葉の裏にある彼なりの評価を感じ取り、私は深く息を吐いた。
「だが」
アクアの瞳が、一瞬で鋭い刃のように光った。
「今の C小町……お前たちのグループの中に、嫌な匂いが漂っている。特に……あのアクの強い黒髪の新人だ。神城玲奈、だったか」
(……! アクアさんまで……)
芸能界の裏のドロドロとした悪意や狂気を嫌というほど見てきたアクアだからこそ、玲奈の纏う「破滅の気配」を即座に感じ取っていたのだ。
「あいつの瞳は……かつて俺の周りにもいた、愛をこじらせて自他ともに壊そうとする人間の目だ」
アクアは一歩、私に近づいた。
「お前はトランスジェンダーとしての覚悟や前世(……いや、過去の自分)への決着を胸に抱いて光へ向かっている。だが、あいつはお前を『自分と同じ闇の底』へ引きずり降ろそうとしている。……このまま野放しにすれば、お前もC小町も、内部から食い破られるぞ」
冷酷なまでに正確な指摘。
アクアの言葉は、康弘の忠告と同じだった。
私は自分の胸に手を当て、まっすぐにアクアの瞳を見つめ返した。
「知っています。……玲奈ちゃんが抱えている闇が、どれだけ深くて危険かも」
「なら、なぜ切らない? 黒岩Pに掛け合って、あいつを外せばいい。グループを守るのがセンターの仕事だ」
「できません」
私は首を横に振った。
「私は……自分の過去から逃げずに『美裕』になりました。性別の壁も、世間の悪意も、全部飲み込んでステージに立つって決めたんです。……玲奈ちゃんの狂気が本物なら、私のアイドルとしての覚悟も本物です。闇だからって切り捨てたら、私はただの『綺麗な偽物』になっちゃう」
アクアは一瞬、完璧に計算された思考が狂わされたかのように、わずかに目を見開いた。
「……愚かだな。芸能界でそんな甘い理想を抱く奴から死んでいく」
「愚かでもいいです」
私は不敵に微笑んで見せた。
「星野さんたちのB小町が太陽の『光』なら……私たちC小町は、泥の中から這い上がる『異端』です。玲奈ちゃんの闇すら丸ごと抱えて、私たちはB小町を超えてみせます。……だから、見張っててください。私たちが壊れるか、それとも闇すら光に変えて見せるか」
アクアはしばらく私を無言で見つめていたが——やがて、フッと自嘲気味に口元を緩めた。
「……まったく。ルビーと言い、お前と言い……なんでアイドルって奴らは、どいつもこいつも自分の命を削ってまで笑おうとするんだ」
アクアは背を向け、去り際に肩越しに言った。
「……せいぜい死ぬなよ、榊美裕。お前が途中で壊れたら、ルビーが悲しむ」
「——はい! 壊れませんよ!」
背を向けて歩み去るアクアの影を見送りながら、私は強く拳を握りしめた。
原作の主人公・星野アクアが見抜くほどの狂気。
けれど、私はもう迷わない。
神城玲奈の闇も、世間の悪意も、全部私の『光』で塗り替えてやる。
C小町のセンター・榊美裕の戦いは、ここからさらに激しさを増していく。
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#【推しの子】
#SAKAMOTODAYS
おとうふ 紹介文読んで🙇
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りな
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コメント
1件
第16話と20話、一気に読ませる展開でしたね。康弘の「羽虫の目」という警告、そしてアクアまで同じ指摘をする——二人の視点から玲奈の狂気の本質が浮き彫りになる構成がゾクゾクしました。特にアクアの「愚かだな」の後に、美裕が「愚かでもいい」と笑い返す強さ。ここで逃げずに「闇ごと抱える覚悟」を見せる決断に、トランスジェンダーとしての人生を選んだ彼女の本質が凝縮されていて、胸が熱くなりました。玲奈の過去に「共依存を自ら作り出す」という具体性があるのも、この作品の重みを増してますね。