夕暮れの教室。机の上に置かれたペンの先が、わずかにカタカタと鳴った。
蓮司はノートに何かを書きかけて手を止め、ドアの気配に顔を向ける。
「入っていい?」
ドアの隙間から覗いた男子生徒が、遠慮がちに言った。
「どうぞ」
蓮司は淡々と答える。
少年は小さく頭を下げ、机の前に立った。
「……頑張れって言葉、苦手なんです」
「珍しくねぇな」
蓮司は軽く笑い、ペンを指先で回した。
「で、言われた?」
「はい。毎日みたいに。
でも……もう頑張ってるつもりなんです。
限界までやっても、まだ“もっと”って言われて」
少年は拳を握りしめ、俯いた。
「どうして分かってもらえないんだろうって……」
蓮司は椅子にもたれ、視線を天井に投げた。
「“頑張れ”って言葉は、言うほうの逃げでもあるからな」
「逃げ……ですか?」
「うん。
本当は、“しんどいね”とか“無理すんなよ”って言うほうが、ずっとエネルギー使う。
でも、それを言う勇気がないから、“頑張れ”で済ませる。
あの言葉は、優しさの形をした、距離の取り方でもある」
少年は顔を上げた。
「じゃあ、どう受け取ればいいんですか」
「好きにすればいいさ」
蓮司は小さく笑った。
「“うるせぇ”って思ってもいいし、“ありがと”って受け取ってもいい。
ただな、誰かの“頑張れ”より、
自分の中の“もう十分頑張った”を信じたほうがいい」
教室の外で、チャイムが鳴った。
短く、どこか遠く響く音。
少年は少し考えるように黙り、
「……もう十分、か」
と、かすかに呟いた。
蓮司はペンを置き、立ち上がる。
「そう。頑張るより、生き延びるのが先」
窓の外では、夕陽が沈みかけていた。
光の名残が、少年の横顔をやわらかく照らす。
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