夕暮れの教室。窓の外では、部活帰りの声が遠くかすれて聞こえていた。
蓮司は机に突っ伏しながら、ノートの端に無意味な線を引いていた。
その音の中に、控えめなノックが混じる。
「……開いてる」
ドアがゆっくり開き、ひとりの生徒が入ってきた。
手にスマホを握ったまま、落ち着かない様子で立ち止まる。
「なんか……話してもいいですか」
「好きにすれば」
蓮司は身体を起こし、椅子を反転させて背もたれに腕をかける。
生徒はため息をつき、机の端に腰をかけた。
「最近、何してても楽しくなくて。
友達と笑ってても、ゲームしてても、なんか空っぽなんです。
笑ってるのに、心のどこかが冷めてるっていうか」
蓮司は頷きもせず、指先で机をとんとん叩いた。
「楽しいって感情、案外長持ちしないもんだぞ」
「……でも、みんなは楽しそうで」
「“みんな”って便利な言葉だな」
蓮司は口の端を上げて笑った。
「本当のところなんて、誰もわかんねぇのに」
生徒は言葉を失ったように黙る。
沈黙が流れる。
窓から差し込む夕陽が、机の上のペンを赤く染めていた。
「なぁ」
蓮司がぼそりと言った。
「“満たされない”って、自分が空っぽだからって思ってるだろ」
「……違うんですか」
「違わねぇよ。でもそれでいい」
蓮司は椅子を軽く回し、窓のほうを向いた。
「人って、満たされたら止まる。
腹いっぱいじゃ、何も食う気が起きねぇのと同じでさ。
空っぽだから探すし、探すから生きてる」
「でも、しんどいです」
「しんどいよ。
それに、“楽しい”ってのは、どっかで誰かと比べて感じるもんでもあるしな。
心の奥まで楽しくなるなんて、そうそうない」
生徒は俯き、スマホを見つめたまま小さく呟いた。
「……どうすれば、少しはマシになりますか」
蓮司は少しだけ笑って、言葉を選ぶように言った。
「満たそうとすんな。
“今、空っぽなんだな”って思えるだけで、けっこうマシだ」
「空っぽのままで、いいんですか」
「いいさ。
どうせまた、誰かや何かが勝手に入り込んでくる。
人間って、空いた隙間を放っとけない生き物だからな」
生徒は顔を上げ、少しだけ目元を緩めた。
教室には、もう夕陽の残り火だけが漂っていた。
蓮司は立ち上がり、カーテンを引きながら言った。
「満たされない時間も悪くねぇ。
そのうち、何かが勝手に居座るさ。
……たいてい、めんどくせぇもんだけどな」
彼の声は穏やかで、どこか遠くを見ていた。
沈む陽の色が、ゆっくりと教室の中に溶けていった。
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