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第7話 未来植物園
未来植物園は、昼なのに夜の底みたいだった。
天井は高く、
壁はゆるく曲がり、
道の両側には、
光る植物が並んでいた。
葉のふちが淡く光るもの。
花の奥だけが静かに光るもの。
根元から粒のような光をこぼすもの。
磁馬は入口で立ち止まった。
「いいなあ」
声が小さく落ちる。
植物の光は、
電灯の光とは違った。
急がない。
押してこない。
そこにいて、
ただ少しだけ明るい。
磁馬は肩掛け鞄を押さえた。
スケッチ帳。
ペンケース。
小銭袋。
訳機。
入館札。
ある。
一つ。
二つ。
三つ。
「初めてですか」
案内係が近づいてきた。
緑の制服。
短くまとめた髪。
胸元に葉の形のバッジ。
磁馬はうなずいた。
「初めて」
「私はユイです。光性植物区画をご案内できます」
「光る植物を描きに来た」
ユイは少し目を明るくした。
「では、ゆっくり回るほうがいいですね」
「うん」
「ただし、葉には触れないでください。光が弱る種類があります」
「触らない」
磁馬は両手を少し上げた。
ユイは笑った。
奥へ進むと、
空気が少し湿っていた。
足もとはやわらかい通路で、
歩く音が吸い込まれていく。
磁馬は最初の植物の前で座った。
細い茎の先に、
小さな花がいくつもついている。
花は水色ではなく、
緑に近い冷たい光を持っていた。
磁馬はペンを出した。
線を引く。
茎。
葉。
花。
花のまわりにできる薄い影。
「光をペンで描くのは難しそうですね」
ユイが言った。
「難しい」
「では、どう描くんですか」
「光ってないところを描く」
ユイは少し黙った。
「なるほど」
「たぶん」
その時、
横から小さな声がした。
「それ、月葉ランです」
磁馬が顔を上げると、
黄緑の上着を着た少年が立っていた。
手には観察帳。
目は植物に向いたまま、
息を少し止めている。
「詳しいね」
「ここに何度も来てるから」
少年は磁馬の絵を見た。
「絵描き?」
「うん。磁馬」
「じば?」
「うん」
「馬みたい」
「よく言われる」
少年は自分の胸を指した。
「ハルマ」
ユイが言った。
「ハルマくんは常連さんです」
ハルマは少し得意そうにした。
「次の光種樹も見る?」
「見る」
磁馬は立ち上がり、
ペンをしまおうとした。
その瞬間、
ペンケースの留め具が甘かった。
細いペンが一本、
するりと落ちた。
ころ。
通路を転がる。
磁馬は手を伸ばした。
届かない。
ペンは植物区画の低い柵の下へ入り、
光る葉の影に隠れた。
磁馬は止まった。
ハルマも止まった。
ユイがすぐに声を低くした。
「中へは入らないでください。根を傷めます」
「入らない」
磁馬はしゃがんだ。
「でも探す」
ハルマがのぞき込む。
「ペン?」
「うん」
「見つかるまで帰らない?」
磁馬は少し驚いた。
「よくわかったね」
「前にもそういう大人見たことないけど、顔がそうだった」
ユイは柵の向こうを見た。
「係員用の細い回収具があります。持ってきます」
「ありがとう」
ユイが足早に去る。
ハルマは柵の前にしゃがみ、
植物の光の間を見た。
「そこ、根っこが光ってるから見えにくい」
「うん」
「たぶん、葉の下」
「たぶん?」
「植物も落とし物を隠す」
磁馬は少し笑った。
「いい言い方」
「本当だよ。風で種も隠すし」
ユイが細い道具を持って戻ってきた。
先が柔らかく曲がる回収具だった。
「これで寄せます」
磁馬はじっと見た。
ユイが道具を柵の下から差し込む。
葉が少し揺れる。
植物の光が弱くなり、
また戻る。
ハルマが小さく言う。
「右」
ユイが右へ動かす。
「もう少し奥」
柔らかい先が、
何かに当たった。
ころ。
ペンが少し動く。
磁馬は息を止めた。
ユイが慎重に引く。
ペンは根の間を抜け、
柵の手前へ転がってきた。
磁馬は両手で受け取った。
「見つかった」
ハルマが笑った。
「よかった」
ユイも安心したように息を吐いた。
「根を傷めずに済みました」
磁馬は深く頭を下げた。
「ありがとう」
ペンを布で拭き、
今度はペンケースをしっかり閉じる。
一つ。
二つ。
三つ。
それから、
磁馬はもう一度、光る植物を描き始めた。
ペンが落ちた場所。
葉の影。
根の光。
それを探すユイの手。
柵の前で身を乗り出すハルマ。
絵の中で、
植物の光が少しずつ強くなった。
現実の光は同じなのに、
紙の中では、
葉から花へ、
花から根へ、
ゆっくり光が移っていく。
ハルマがのぞき込んだ。
「動いてる」
「うん」
「植物の時間みたい」
磁馬はペンを止めなかった。
「植物の時間は、ゆっくりだね」
ユイが静かに言った。
「人が急いで見ると、止まって見えるんです」
「今日は少し見えた」
磁馬はそう言って、
さらに線を足した。
光種樹の前へ移動する。
そこには、
木のような植物が立っていた。
枝の先に、
小さな灯りのような葉がいくつもついている。
ハルマは観察帳を開いた。
「これは夜に一番光るんだ。でも昼でも少し光る」
「夜も見たい」
「閉館しちゃう」
ユイが少し笑った。
「夜間公開の日もあります」
磁馬はうなずいた。
「また来る」
ハルマが言った。
「たぶん?」
「たぶん」
ハルマは笑った。
磁馬は光種樹を描いた。
枝。
葉。
光の粒。
その下に立つハルマ。
案内するユイ。
絵の中では、
まだ昼なのに、
光種樹だけが夜を少し先取りしていた。
葉の光が濃くなり、
足もとの影が深くなる。
ハルマは息を止めた。
「夜だ」
ユイも絵を見た。
「これは、夜間公開の時に近いです」
「見たことないのに」
「植物が見せたのかも」
磁馬はそう言って、
絵の端に小さくペンを描いた。
落ちて、
見つかって、
また線を引くペン。
植物園を出るころ、
外の光は少し傾いていた。
磁馬は小さな紙を二枚出した。
一枚には、
回収具を持つユイを描いた。
緑の制服。
葉のバッジ。
光る植物の前で慎重に手を伸ばす姿。
もう一枚には、
観察帳を抱えたハルマを描いた。
黄緑の上着。
光種樹を見上げる顔。
息を止めている横顔。
ユイの絵では、
葉のバッジが淡く光っていた。
ハルマの絵では、
観察帳の上に小さな光が落ちていた。
「いいの?」
ハルマが聞いた。
「手伝ってくれたから」
「ペン探し?」
「うん」
ユイは絵を両手で受け取った。
「園の受付に飾りたいくらいです」
「飾っていい」
ハルマは自分の絵を観察帳に挟んだ。
「今日の記録にする」
磁馬は鞄を確かめた。
スケッチ帳。
ペンケース。
小銭袋。
訳機。
入館札。
ある。
一つ。
二つ。
三つ。
植物園の出口へ向かう道で、
磁馬は一度だけ振り返った。
光る植物たちは、
何も言わずに光っていた。
ゆっくり。
静かに。
人より長い時間を持って。
鞄の中で、
未来植物園の絵が少しずつ夜へ進んでいた。
花が光る。
葉が光る。
根が光る。
落ちたペンが見つかる。
ハルマが息を止める。
ユイがそっと手を伸ばす。
そして、
植物だけの時間が、
紙の中でゆっくり流れていた。
磁馬は外へ出た。
外の明るさは普通だった。
でも目の奥には、
まだ植物の光が残っていた。
コメント
1件
いやあ、すごく静かで美しい回でしたね。「光る植物」という設定の魅力もさることながら、「光ってないところを描く」「植物も落とし物を隠す」といった磁馬のものの見方やハルマの言葉の一つひとつが、この世界の空気を丁寧に紡いでいる感じがしました。あと、ペンが落ちて探す流れで、ユイとハルマの優しさが自然に出ていてじんわりしました。植物の「ゆっくりした時間」が紙の上で夜を先取りするラスト、とても好きです。
於田縫紀
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