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勝代が居間へ入ると、待ちわびていたとばかりに圭助が叫んだ。
「勝代!珠子に縁談だっ!」
「縁談……ですか?」
さすがに、勝代も、一瞬たじろいだ。
「いや、私も驚いたよ。まあ、座りなさい」
座布団を勧める圭助に頷き、勝代は、側へ腰を下ろした。
「どうやらな、あの、番付を見て、珠子のことを!」
その番付から、辞退しようと目論んでいるのにと、勝代は、ドキリとする。
「あの、旦那様、番付を見て……だなんて……」
「ああ、私もね、そんな軽々しく声をかけてもらってもと、思ったよ。だが、お相手は、高井子爵様だ!!」
「……はい?」
いつも、萎れたような辛気くさい圭助が、饒舌に語る事に、押されていた勝代だったが、求婚者の名を聞いて、確かに、弾けてしまう事態だと思う。
と同時に、間違いではないのかと、聞き返しそうになっていた。
世間では、豪商と呼ばれているが、一介の商人と、爵位持ちの華族。そんな、取り合わせが、あるはずがないからだ。
「ああ、私もね、流石に、からかわれている、はたまた、ただの気まぐれかと思ったのだが……」
店へ使いがやって来て、当主である子爵が、望まれていると、打診されたのだと圭助は続けた。
「勝代、人を寄越すとは、本気、ということだろう?」
「……ですわね……」
ははは、と、圭助は、軽快に笑っている。
ご機嫌な圭助を前に、勝代は、あれこれ考えていた。
確かに、番付を見て、求婚してくる者もいたが、まだ、学生であったり、ぱっとしない商人であったり、珠子目当てというよりは、柳原の名に飛び付いて来ているような輩が多かった。
しかし、華族ともなると、柳原の名前を気にするはずはなく、これ以上の縁談話は、出て来ることもないだろう。さすが、我が子と、勝代は悦に浸った。
「……あの、旦那様、お話は、結局……」
まさか、身分が違うと断りを入れたのではと、勝代は念のため、圭助へ探りを入れた。
「ああ、一応は、お断りしたよ。身分が違い過ぎるからね。それでも、あちら様は、是非にと。だから、一旦据え置き、考えるということで……。すぐに、返事をすると、珠子を安売りしすぎだろう?それに、世間様にも笑われるからね」
「ええ、そうですわね。華族様に、声をかけられ、立場もわきまえず舞い上がってと、要らぬ事を言われては……」
そうだろう、そうだろう。と、圭助は、朗らかに頷いている。
その様子から、この話は、ほぼ、決まったのだと勝代は思う。
「……旦那様、では、番付を……ご辞退した方がよろしいのでは?確かに、子爵様の目に止まったのは、番付のお陰ですが、そんな、俗な物に選ばれては、あちら様の品位に傷がつきましょう。それに、今ですら、素性のわからない者達に、珠子は付きまとわれているのですよ?」
「うん、そうなんだ。番付を、なんとかならないかと、あちら様も仰られていてな。それに、勝代、お前の言う通り、珠子に何かあっては、いけない。子爵様の事もだが、番付は、どのみち、辞退した方が良いと思う」
苦渋の選択とやらに、顔をしかめる圭助へ、勝代は、そうですわねと、いかにも、珠子が心配とばかりに同意した。
むろん、勝代は、ほっとしている。番付辞退について、圭助を説得しなくても良くなったからだ。
「旦那様、気が早いでしょうが、嫁入り支度を進めたほうが。着物の支度は時間がかかりますからねぇ」
「ああ、その事だよ。着物は、店の生地をいくらでも使えばいい。しかし、子爵様だぞ。ドレスも用意しておいた方がいいんじゃないかと思うんだが……」
「ドレス……ですか」
確かに、圭助の言う通りだ。普段着は、まさに、売るほど生地を扱っているのだから、どうにでもなる。しかし、ドレスとなると……。
「それで、築地の成田屋さんに頼もうかと思ってね。あちらとは、何回か取引きさせてもらったことがある。外国人専用の仕立て屋なんだよ」
「まあ、それは、それは」
「勝代、すまないが、明日、珠子と成田屋さんへ行ってくれないか。着物と違って洋服は、仮縫いしなければならないようだから、時間がかかるはずだ」
圭助の、用意周到ともいえる言いつけに、勝代は二つ返事で承諾する。そして、
「旦那様、私達も、店へ移った方がよろしいのでは?」
この別宅から、本家にあたる店へ、引越した方が良かろうと言った。
商家の娘なのだから、店に住んでいなければ、相手に要らぬ誤解を受けるかもしれない。
勝代の言い分に、圭助も、確かにと大きく頷く。
「では、そうゆう段取りで……」
晴れの日を迎えると、勝代は、張り切っているように見せかける。
しかし、その胸の内は、これで、山之内との計画、店の資金を横流ししやすくなるという思いで占められていた。
一方──。
金原は、怪訝な顔で、来客に接している。
金原家の玄関には、虎の言った通り、風呂敷包みを持つ、番頭風の男がいる。
「ハリソンの紹介らしいが?」
金原は、強い口調で男へ言った。
「は、はい。こちら様で、ドレスが必要とのことで伺いました。手前、築地で、ドレスの仕立を行っております、成田屋と申します」
男は、金原の勢いに、ひるみつつも、商人らしく深々と頭を下げる。
「……築地ということは……」
「はい、居留地、正確には、旧でございますが、在留されている皆様の仕立を専門に扱っておりまして……」
安政五年に結ばれた五カ国修好通商条約に基づき、横浜、長崎、神戸、大阪、東京の5ヶ所に居留地が、函館、新潟の2ヶ所に雑居地が作られた。
日本に滞在する外国人は、この指定された地域で、居を構えなければならず、その限られた場所では、電信、銀行、新聞、印刷、医療、演劇、西洋料理店、クリーニング店など、生活に必要な様々な店が立ち並ぶ。居留地は、日本へ西洋文化を広める、影の立役者となっていた。
だが、明治三十二年、条約改正によって居留地制度は、廃止された。しかし、在留外国人は、概ね、旧居留地内で固まり、従来の繋がりの中で暮らしているのだった。
「で、なぜ、ハリソンなのか、と、言いたいが、こちらも出かけるところだ。ざっと、持ってきた物を見せてくれ」
金原は、商人の男を煽るようにまくし立てる。
男は、慌てて玄関框に、持って来た生地見本等を広げた。
ふうーんと、やや、小馬鹿にした素振りで金原は、品物を見る。
「なるほど。すまんな、出かける時間だ。明日、店の方へ妻とお邪魔する。それで、構わんか?」
「勿論でございます。では、明日、店の方にて……」
言いながら、手早く男は、品物を仕舞うと、また深々と頭を下げ、帰って行った。
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