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私には幼馴染の兄妹がいる。諒と栞という、近所にある整形外科医院の子どもたちだ。栞と私は同い年、諒は四才年上だ。彼らの母親は事務方としてそのクリニックを手伝っているが、私の母とは中学時代からの親友同士だ。その関係で、私と諒、栞の三人は、小さい頃から互いの家を自由に行き来するほど仲が良かった。我が家の食卓を一緒に囲む機会も多く、一人っ子だった私は二人のことを本当の兄妹のように思っていた。
諒には栞と一緒にずいぶんと遊んでもらったものだ。小さな妹分二人の子守は大変だったと思うが、母たちの話では、諒は文句一つ言わず、私たちの面倒をよく見てくれたらしい。そんな彼は、私にとって大好きで優しいお兄ちゃんだった。
しかし彼が中学生になってからは、一緒に過ごす時間が極端に少なくなった。栞に訊ねると、部活動だけではなく塾にも通い始めたのだと言う。
父親が医者だったこともあって、諒はクリニックを継ぐことを期待されていたようだ。だから彼自身もそれを当然のこととして勉強に取り組み始めたのだろうと、私は周りの大人たちの会話からそう理解していた。
いつまでも子どもの時と同じではいられないことは、理解できた。けれど、大好きな諒と今までのように会えなくなることを寂しく感じていた。そんな中で、たまに彼に会えた時は嬉しかった。戸惑った顔をしながらも優しく相手をしてくれる彼にますます嬉しくなって、私はその後にくっついて歩いた。
中学三年生になってからの彼は、高校受験のためにいっそう勉強に集中するようになっていた。
私はその邪魔をしないように、幼馴染たちの家に遊びに行くのを控えた。栞とは外か私の部屋で会った。
それから数か月後、諒が無事に志望校に合格したことを栞から聞いた時には、実の兄のことのように喜んだ。早く祝いの言葉を伝えたいと思いつつ、幼馴染たちの家を訪ねたのは四月に入ってからのこと。それは彼の高校の入学式の二日前で、私と栞の春休みが間もなく終わるという頃だった。
諒がドアをノックして入って来たのは、栞の部屋で宿題を広げたタイミングだった。
「飲み物持ってきたぞ」
数か月ぶりに会う諒は、背がぐんと伸びていた。
「ありがと」
栞はグラスの乗ったトレイを受け取り、テーブルの上に置く。それから壁際に立ったままだった諒に向かって、怪訝な顔を向けた。
「何?なんか用でもあるの?」
「そんな風に邪魔者扱いしなくたっていいだろ」
「だって、これから瑞月と宿題やるからさ。手伝ってくれないなら出てってよ」
「ったく、可愛くないやつ」
鼻の上に軽くしわを寄せて、諒はくるりと背を向けた。
それを私は慌てて引き留める。
「待って、諒ちゃん!」
ドアの前で立ち止まった諒は、不思議そうな顔をして私を見た。
私はトートバッグの中に手を入れて、リボンシールを貼った小さな紙袋を取り出す。彼の前に差し出して、にっこり笑った。
「高校合格おめでとう」
「え?」
諒は驚いたように目を見開き、私の手元を見た。
「お祝いに作ってみたの。普通のクッキーなんだけど、良かったら食べてね」
「瑞月の手作り?すごいなぁ。どれどれ、早速」
彼は私の手から紙袋を受け取って中を覗き込み、クッキーの一枚をそっと取り出した。
「上手に作ったな」
大げさに聞こえるような口調で褒められて、私は赤面した。
「変な形のも入ってるかもだけど……」
ごにょごにょと言い訳めいたことを言っている傍から、諒はぱくりとクッキーを口の中に入れた。
「うん、美味しい。瑞月って、こんなこともできるんだな」
「まだ一人じゃ難しくて、いとこに手伝ってもらっちゃったけど。美味しいって言ってもらえて良かった」
私はにこにこしながら諒を見た。
「ほんとにうまいよ。ありがとな」
諒もまたにこりと笑い、袋を持ち換えて私の頭を撫でた。
私たちの様子を黙って眺めていた栞が口を挟む。
「ねぇ、あたしにはないの?」
「もちろん、ちゃんと持って来たよ。後で一緒に食べようね」
「やった!」
喜ぶ妹に、諒がため息をつきながら言う。
「栞もさ、瑞月くらい器用だったら良かったのにな。こないだなんか、目玉焼きがスクランブルエッグに化けてたよな」
「悪かったわね。あたし、まだ小学生だもん。伸びしろあるもん。これから頑張るからいいの。だいたいさ、お兄ちゃんだって料理できないじゃん」
「俺はいいんだよ。料理上手な彼女を見つける予定だから」
「何よ、それ。今どきの男子は、料理上手な人の方がモテるんだから」
「あぁそうですか。つうか、ほんとお前って可愛げないよなぁ」
「実の兄に可愛げ見せたって、何もいいことないじゃん」
まるで掛け合いのような言い合いが繰り広げられ、私はため息をついた。この兄妹はいつもこんな感じなのだ。仲がいいからこその口げんかだと分かってはいるが、そろそろ止めた方が良さそうだ。
「瑞月みたいな素直で可愛い妹がほしかったよ」
「瑞月、今の聞いた?お兄ちゃん、瑞月を妹にしたいんだってさ。瑞月にあげるよ、こんなお兄ちゃん」
止めるタイミングを見計らっているうちに、二人の口げんかに私まで巻き込まれ始めたらしい。
「ちょっと、二人とも、そろそろいい加減に……」
言いかける私を見て、栞はふくれっ面をした。
「まったく、瑞月もこんなお兄ちゃんのどこがいいのかしら」
「え、どこって……」
一瞬戸惑ったものの、私は素直に答える。
「だって、諒ちゃんって優しいから」
そのひと言が、火に油を注いでしまうことになった。
「優しいのは瑞月にだけだよ。あたしにはこんなんだよ。ほんと、いつも口うるさいんだから」
「お前がそういう可愛くない性格してるからだろ」
「二人ともやめてよ!本当は仲良しなくせに」
私は苦笑しながら二人の間に割って入った。
「栞、宿題始めようよ。終わんなくなっちゃうよ」
「あ、やだ、そうだね」
私の言葉に、栞はやっと今日の目的を思い出したようだ。それから、諒を追い払うかのようにしっしっと手を振る。
「ほら、お兄ちゃん、早く出てって」
諒はやれやれとでも言いたげな顔をして、部屋を出ていこうとした。しかしドアのところで足を止めて振り返り、私に向かって笑いかける。
「瑞月、クッキーありがとう。こういうのって嬉しいな」
「また作ったら食べてくれる?」
「あぁ、楽しみにしてるよ」
頷く諒に、私はふと思い出して言った。
「あのね、いとこが諒ちゃんと同じ高校に入ったんだよ」
「例の仲良しのいとこか?そう言えば、今まで名前を聞いたことなかったよな。なんていう人?」
「凛。高山凛って言うの。だからね、もしも会ったら仲良くしてほしいな」
「高山凛さんね。よし、覚えとくよ。じゃ、またな。宿題頑張れよ」
諒が部屋を出て行った後、栞が頬杖をついて私に訊ねた。
「そのいとこさんって、お菓子作りが得意な人なの?」
「そうなの。料理もね、すごく上手なの。将来好きになった人の胃袋を掴むんだ、なんて言ってるよ」
私は四つ年上のいとこの顔を思い出して、くすくす笑う。
「ふぅん……」
「どうかした?」
私は首を傾げた。栞が何か言いたそうな顔をしている。
「そのいとこさんのこと、お兄ちゃんに紹介して大丈夫だったの?」
「へ?仲良くしてもらいたいと思ったから話したんだけど。だめだった?」
「別にだめじゃないけど……。いいや、なんでもない」
栞の顔に苦笑が浮かんでいる。それを不思議に思いながら、私は教科書を開いた。
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