翌朝、涼平は出かける準備をしながら部屋の中を見渡した。
昨日海から上がって必死で段ボールの中の荷物を片づけたが、まだ数箱残っている。
とりあえず人が住める状態にはなっていたので、後はのんびりでいいだろうと思い仕事へ向かう。
マンションの駐輪場にある自転車に乗ると、涼平はすぐに走り出した。
出社時刻まではまだ時間があるので、今日の朝食はカフェでとろうと思っていた。
先日行ったカフェは朝七時からオープンしているので、そこで朝食をとってから出勤しても充分間に合う。
涼平はカフェの駐輪場に自転車を停めると、店の中へ入って行った。
店内は空いていた。
駅からは少し離れた立地なので、平日の朝はいつも空いているのだろう。
涼平がカウンターへ行くと、男性スタッフが注文を受けていた。
涼平はいつものグランデサイズのコーヒーとマフィンを注文する。
感じの良い男性スタッフはすぐに用意してくれた。
涼平は、空いた窓際の席に腰を下ろすとすぐに淹れたてのコーヒーを一口飲んだ。
(やっぱりここのコーヒーは美味いな)
満足気に頷くと、今度はマフィンを食べ始める。
食べながら手元の携帯でニュースをチェックしていると、カウンターの方から声が聞こえてきた。
「詩帆ちゃん、今度の日曜のシフト、変わってくれてありがとう」
「いえいえ。お子さんの運動会なんでしょう?」
「そうなんだよ。うっかり忘れてシフト入れちゃっててさ、嫁さんに叱られたよ」
先ほどの男性スタッフがそう言って笑った。
すると女性スタッフが、
「運動会、楽しみですね」
と言って棚の影から姿を見せる。
その女性スタッフは、先日クレーマーの対応をしていた女性だった。
そして昨日の朝砂浜にいた女性だった。
涼平は思わず
「あっ!」
と声を出す。
(見た事があると思ったらこのカフェのスタッフだったのか)
漸く謎が解けた涼平は、納得したように頷いた。
そして再び視線を携帯へ戻す。
その後詩帆というその店員は、アルコール消毒液と布巾を手にして空いているテーブルを拭き始めた。
涼平はつい詩帆の行動を目で追ってしまう。
しかしあまりにも露骨に見ている自分に気付き、慌てて視線を逸らしてコーヒーを飲み、
食べかけのマフィンに手を伸ばした。
すると詩帆は、涼平の近くへ来て隣のテーブルを拭き始める。
涼平はつい詩帆の顔を見上げた。
その時二人の視線が合った。
涼平と目が合った詩帆は、落ち着いた様子で言った。
「どうぞ、ごゆっくり」
詩帆は微笑みながらさらにその奥のテーブルへと移動して行った。
その時詩帆は、涼平がずっと自分を見ていた事に気付いていた。
詩帆の敏感なアンテナが涼平の視線を察知していた。
(なんであんなに驚いた顔をして私の事を見ているのかしら?)
詩帆は不思議に思いながらも、そのまま作業を続けた。
涼平は朝食を食べ終わるとすぐにトレーを片付けた。
詩帆の事が気になるが、そろそろ職場に向かわないと遅刻してしまう。
仕方なくカフェを出て駐輪場へ向かった。
職場に着くと、二つ年下のサーフィン仲間の佐野が言った。
「涼平さん、とうとうローカルデビューしたんっすね」
すると加納がニコニコして言う。
「こいつ、運がいいんだよ。初日からいい波当てやがった」
「ラッキーでした! なんか引っ越してからツイてます」
涼平がの言葉を聞いて、同じ辻堂に住む同僚達が言った。
「そうだろう? だから早く越して来いって言ったんだよ」
「そうそう。ここに住めば私生活も充実するぞー!」
「毎日海水に浸かってたら運気アップ間違いない!」
皆が口々に言う。
これで自分も漸く皆の仲間入りができたような気がして涼平は嬉しかった。
その翌日、涼平は仕事を切りのいいところで終わらせ、定時で事務所を出た。
涼平が自転車に乗ろうとした瞬間、携帯が鳴った。
携帯を見ると、玲子からメッセージが入っている。
玲子は以前勤めていた横浜の設計事務所に出入りしていたインテリアコーディネーターだ。
歳は涼平よりも5つ下で、スタイルの良いなかなかの美人だ。
涼平と玲子は、以前深い関係だった。
深い仲だったが、正式に付き合っていた訳ではない。
二人が深い仲になるきっかけは、玲子からの涼平への猛アタックだった。
涼平は、自分は今誰とも付き合う気はないと何度も断った。
しかし、玲子は引き下がらない。
付き合わなくていいから
彼女じゃなくてもいいから
身体だけの関係でもいいから
と、何度もしつこくアタックされ、押し切られてなんとなくそういう雰囲気になってしまった。
今回、涼平が勝手に転職や引っ越しを決めた事を玲子はものすごく怒っていたが、
玲子とは正式に付き合っている訳ではなかったので、
涼平からすれば相談する必要性は全く感じていなかった。
その玲子から久しぶりにメッセージが来ている。
「今、車で辻堂に向かっています。新しい住所を教えて」
いきなりそう書いてあった。
涼平は、辻堂に引っ越す事は玲子に伝えてはいたが、
新しい住所は教えていなかった。
なぜなら、涼平は今回の転職と引っ越しを機に、
玲子との中途半端な関係を終わりにしようと思っていたからだ。
その証拠に、涼平が四月に転職して以来二人は会っていなかった。
玲子からの突然のメッセージを見て困惑した涼平は、
「とりあえず、辻堂の若草書店にあるmoon backs coffeeにいます」
と返信をした。
コメント
4件
で、詩帆ちゃんのカフェに行くんだ⁉️
玲子しつこい‼️条件をひっくり返してしつこく付き纏うのは迷惑千万💢 でもこういうプライド高い美人な女はすぐ自分本位の流れに持ち込むのが上手いから涼平さんもしっかり締めないと〆
麗子→玲子、ですね