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「私とチェスをやる時、わざと負けている時がありますね。私がそれで気持ちよくなると思っているのですか?」
エクトルは私のチェスをやる時に、わざと焦った素振りをして自分が負ける時がある。実際は彼の掌で踊らされている事に私は気がついている。
「⋯⋯」
「エクトルには、毎回、私を負かして欲しです。私は自分がこのような有能な男性を恋人にできるんだって実感したいんです」
「恋人?」
「申し訳ございません、まだ愛人ですね」
離婚届を受け取ったはずなのに、マテオが私との離婚を受け入れてくれていない。聖女の力があるから利用価値があるとでも思われたのだろう。聖女の力ならルチアナもあるし、皇帝になったのだからロランド公爵家との関係は切り離せば良い。
合理的な選択をできる男だと思っていたのに、マテオの行動は謎。妻を略奪された男という不名誉を受け入れられないのかもしれないが、相手はエクトル・ゲラ。権力闘争の外にいる男。私が金と手慣れた男の手練手管に惑わされた世間知らずの女という設定にして評判を保てば良い。
「謝らないでください。アドリアーナ。僕は君と過ごす毎日に満足しています。別に立場など気にしません」
「本当ですか? エクトルは、かなりプライドの高い方ですよね」
「そう見えますか?」
私は彼の言葉に静かに頷いた。彼は爵位こそあれど、商人と変わらないような存在。しかし、その振る舞いには非常に品格を感じた。ノブレスオブリージュの精神もそうだが、それ以上に権力に屈しない個の力への自信を感じる。
「私の結婚式の後、他の国賓は様子見で一ヶ月はペレスナ帝国に居残っていますわ。交流会が何度かあるので、顔を出した方が良いという判断です。エクトルは速攻帰りましたね。そもそも私の結婚式はロランド公爵家から島を買い受ける商売のついでに来てたでしょう」
同調圧力とでもいうのだろうか。交流会や舞踏会が催されるので、他の国賓が参加するならばという考えで、いつまでも各国の要人が帝国に留まっている。
「そんなこと知ったことか自分は忙しい」とばかりに、颯爽と帰国したのはエクトルだけ。その我が道を行く振る舞いに私は魅力的に感じていた。彼は自分の存在にプライドを持ち、自分の時間に価値を見出している。
「ハズレです。遠くペレスナ帝国の結婚式にお呼ばれしたので、ついでにペレスナ帝国で儲けて来ようと思いロランド公爵に接触しました。結果、命を狙われると思ってはいませんでしたが、非常に強い女性に助けられたので結果オーライです」
エクトルが肩をすくめながら照れ笑いを浮かべる。
「非常に強い女性とは私ですよね。ならば、私はチェスでもエクトルを圧倒できるようになりたいのです。私を完膚なきまでに毎回叩き潰してください。私は叩かれる程、強くなる女ですよ」
「では、どんどん打ち負かして、もっと君を僕に夢中にさせます」
エクトルの言葉に頬が熱くなる。私が既に彼に心を奪われつつある事が見透かされているようだ。再戦したチェスであっさり負けた後、私はエクトルと食堂に向かう。手を繋いだ掌から伝わってくる鼓動が早いのは私のせいか、彼のせいか分からない。
夕食のデザートのマスカットのソルベを口にした瞬間、徐にエクトルが口を開いた。
「今晩、アドリアーナの部屋に行っても良いですか?」
「はい。お待ちしております」
周りにメイドも待機しているし、とてもじゃないが断れない。私は自分が急速にエクトルに惹かれている自覚もある。そして、そろそろ私の秘密と復讐計画を話したいと思っている。
メイドが薔薇の花びらを浮かべた浴槽で念入りに私の体を洗う。
私はまだマテオとの離婚が成立していない。でも、エクトルは愛人。ペレスナ帝国法上、彼と行為をしたところで、それは不貞行為に当たらない。
皇族の私は何人愛人を持とうと許される。それなのに、私の心には迷いがあった。
真っ白なバスローブに身を包み、部屋でエクトルを待つ。紐を引くだけで裸になるバスローブが、夜着よりも嫌らしく感じて着替えようとしたその時だった。
扉をノックする音と共にエクトルが現れる。
「アドリアーナ、お待たせしました」
「いえ、着替えようかと思っていたところです」
「えっ? 着替え?」
変な事を口走ってしまったかもしれない。エクトルが目を瞬かせている。彼と私の格好のせいか、部屋の雰囲気がロマンチックなものに変わっていて緊張してきた。
エクトルは私の緊張しているのを察して、私の手を引きベッドに座らせる。
彼は夜着の上に濃紺のバスローブを羽織っていた。私よりも重装備で、私が彼を襲わなければいけないような気になってくる。
私は暗殺術は身につけているが、夜伽の技に関しての知識はないに等しい。
エクトルと部屋に二人きり。彼の瞳に映る自分の赤い瞳を見ていたら、無性に母の話がしたくなった。
秘密でもなく、復讐の話でもなく母の話をして、母を失った悲しみを分かち合いたい。私が母の話を出来るのはきっとエクトルだけだから。エクトルが私の隣に座り、優しく髪を撫でて来た。その柔らかな感触と温もりに心が落ち着いてくる。
「エクトル⋯⋯私、母の話をしようと思っています」
私の言葉に息を呑むエクトル。
母の話は国際問題に関わる事だ。時を遮る前はそれ故に父が二年も隠蔽していた。母が自殺した事が明らかになれば、叔父であるダニエル・ガルシアン国王が黙っているとは思えない。
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