あれからかなりの月日が経ち、茜は70歳になっていた。
あの後、拓海は帰らぬ人となってしまった。茜は当時の事をまだ鮮明に覚えている。
茜は70になる今も独身のままだった。
あれからいくつかの出会いがあったが結婚には至らなかった。
なぜ結婚に至らなかったのか……その理由はわかっていた。
それは31歳で逝ってしまった拓海の面影が茜の中に鮮明に生き続けていたからだろう。
そして茜は今、拓海が逝ったあの日と同じ病院のベッドの上で最期の時を迎えようとしていた。
(天に召される時は眠るように逝きたい…死ぬ時は後悔なく死にたい…ずっとそう思って生きてきました。その願いはどうやら叶えられそうです。拓海、あなたがいなくなってから私はあなたへの想いをずっと胸に抱き続けてきました。そして誰にも邪魔される事なくあなたを想い続ける事が出来たの。だから私は今とっても幸せです。あなたへの愛を貫き通した充足感で何の悔いもありません)
そこで茜は深く息を吸う。
(もし神様が最後に一つだけ願いを叶えて下さるのなら、私は生まれ変わってまたあなたに会いたい。あの藤の花の下であの時と同じようにあなたに会いたい……)
茜の表情はとても穏やかだった。
そして徐々に薄れゆく意識の中で、茜は手を差し伸べる拓海の姿を見た。
(ああ、あなたは迎えに来てくれたのね……)
茜は喜びの表情を浮かべながら拓海の手をしっかりと掴んだ。その瞬間拓海が茜の手をギュッと握り返す。
そして二人は手を繋いだまま微笑みを交わすと、眩しい光の中へゆっくりと歩いて行った。
「おばちゃんっ、おばちゃんしっかりしてっ! 今先生が来るから頑張って!」
茜の姪の悲痛な叫び声が響き渡る。
そんな優しい姪に感謝の気持ちを伝えるように、茜はとても穏やかな表情で静かに旅立って行った。
それから幾年もの月日が流れた。
福島県の山の麓で、一人の女性が山肌に茂る野生の藤の花を眺めていた。
「うわぁー素敵―! 野生の藤の花って初めて見るー」
女性はしばらくの間うっとりと藤の花を眺めた後、スマホを取り出して撮影を始めた。
女性は20代半ば。傍には小型のレンタカーが停まっている。女性はここまで一人で運転してきたようだ。
夢中になって写真を撮っていると、女性の車の横にもう一台車が滑り込んできた。
その車はガッチリとしたSUV車で女性の車よりもかなり大きい。
そしてエンジンが止まると中から一人の男性が出て来た。
「すげーっ! 野生の藤の花なんて初めて見たぞー!」
男性があまりにも大きな声で呟いたので女性がクスッと笑う。
それに気付いた男性が女性を見てこう言った。
「あれ? 君さっき道の駅にいたよね?」
「あ、はい。あの道の駅のお蕎麦が美味しいって聞いたのでちょっと寄ってみました」
女性ははにかむような笑顔を見せた。その可愛らしい笑顔に男性の目が釘付けになる。
そしてなぜか男性の脳裏にはこんな言葉が浮かんだ。
『また会えたね』
なんでそう思ったのかはわからない。しかし男性は女性とどこかで会ったような気がしていた。
一方、女性も男性の声の響きにどこか懐かしさを覚えていた。男性の穏やかで優しい声を聞いているととても心安らぐ。
なんとも言えない不思議な気持ちだった。
それから二人はしばらく立ち話をした。話をしていると二人とも東京からの一人旅だという事がわかる。
すっかり意気投合した二人はその後連絡先を交換した。
そして楽しそうに話をしている二人の姿を、空を染めている夕日の茜色が優しく包み込んでいった。
『もちろん僕はずっと茜と一緒だよ。でももし互いの寿命が尽きる時が来たら、その時は生まれ変わってまたこの藤の花の下で会おう! 約束だよ』
山肌に咲く藤の花は、毎年毎年同じ場所に花を咲かせる。
その優しい薄紫色の花を見ると、あの人と出逢ったかけがえのない瞬間を思い出させてくれる。
あの日あなたと交わした約束は、決して忘れる事のない…永遠の約束……。
【約束】<了>
***この小説は「神はサイコロを振らない 『徒夢の中で』」を聴いてイメージを膨らませました***
コメント
19件
素敵なお話!幸せなら気持ちになりました。
またまた失礼します🙇 旦那から目が腫れてるぞ、具合悪いのかと聞かれ、小説読んで泣いたとは言えませんでした😢
2人の魂は何度でも巡り逢い愛し合う…そこには必ず藤の花…ஐ⋆*♡・:*ೄ‧͙·* また読む事ができて嬉しかったです🥹