その日仕事を終えた楓は、定時に会社を出た。
南の話によると残業はほとんどないらしい。裏社会の会社なのに内部はホワイトだと知り驚く。
部屋を出る際、楓はフロアに残っている組員達に挨拶をした。
「お先に失礼します」
「「「お疲れ様でしたっ!」」」
出社した時にいやらしい目つきで楓を見ていた組員達は、朝とは違う爽やかな笑顔で挨拶を返してくれた。
(社長の力って凄いのね……)
エレベーターに向かいながら楓は思った。
ビルを出ると一旦立ち止まりスマホに表示された地図を見ながら楓は悩む。
マンションまでは電車で一駅なので歩いても帰れそうだ。
(どうしよう……この辺りもちょっと見てみたいし今日は歩いて帰ろうかな?)
そう思い楓は地図を見ながら歩き始めた。
初日を無事に終えた楓の気分は少し高揚していた。
まさか自分がオフィス街で働けるとは思ってもいなかった。
今まではまだ真っ暗な早朝から働いていた。世間一般の人達とは違うリズムで生活していた。
ホテルの仕事は嫌いではなかったが、朝が早い分様々な制約があった。
しかしこれからは普通の生活が出来るのだ。それが嬉しくてつい足取りも軽くなる。
軽やかに歩く楓の20メートル後ろを、藤堂組の若い組員が歩いていた。一樹が指示した護衛だ。
若い組員は楓に気付かれないようにしろと指示されていた。
楓はその事にはまったく気付かずに辺りの景色を眺めながら歩いている。
(この先にスーパーがあるみたいだからそこで買い物をして帰ろう。あ、でも社長は今日夕飯いるのかな?)
楓がそう思いながら歩いていると、突然誰かが楓の名を呼んだ。
「楓? もしかして楓じゃない?」
びっくりして楓が振り向くと、そこには見覚えのある女性が立っていた。
女性の名は立花栄子(たちばなえいこ)。楓と同じ施設にいた女性だ。
栄子は楓の兄・良と同学年なので現在32歳。栄子は高校の時に良と付き合っていた。
「栄子さんっ」
「うわぁ~、久しぶりー、元気にしてた?」
「はいっ。栄子さんは?」
「元気元気! 元気過ぎて体力だけは無駄に余ってるわよー」
栄子は笑顔で言った。
栄子は高校卒業と同時に生命保険会社へ就職し施設を出たが、その後もしばらくは顔を見せに来ていた。
しかし入社して数年後、転勤で福岡へ行ってしまった。
だから楓と会うのは10年ぶりくらいだろうか?
「福岡にいたんじゃないんですか?」
「先週東京の本社に戻って来たばかりなんだ。愛育園にはそのうち顔を出そうと思っているー」
「本社に?」
「そう。福岡で死に物狂いで頑張ったからさー、高卒では異例の出世よ」
「栄子さん凄い! だからバリバリのキャリアウーマンみたいなんだ!」
栄子は少し明るく染めたウェーブのロングヘアにメイクとネイルをきちんとし、とてもエレガントだった。
楓の記憶にあるまだ垢抜けていない10年前の栄子とはまるで別人だった。
上品なブラウンのパンツスーツを見事に着こなした栄子は、同性でも思わず見とれてしまう。
「アハハ、そんなに褒められたらなんか奢らなくちゃねー。楓、お茶する時間ある? 本当は食事って言いたいとこなんだけど、この後また会社に戻らなくちゃならないのよ」
「いいんですか? 時間がないならまた今度でも」
「一時間くらいなら大丈夫よ。あ、あそこにちょうどカフェがある。あそこに行こうか?」
「はい」
楓は施設で栄子の事を姉のように慕っていたので嬉しくなる。
まさかこんな所で再会するなんて縁とは不思議なものだ。
二人はカフェに入ると注文カウンターの前でメニューを見た。
「楓はカフェラテだよね?」
「あ、覚えてた?」
「フフン、忘れる訳ないじゃん、あんたは私の妹分だもの。あ、せっかくだからケーキも食べようよ。うーん、この中だったら楓はバナナのショートケーキかな?」
「何でわかるの?」
「だってあんたはバナナが好きだったでしょ?」
「うん」
「じゃあ私はニューヨークチーズケーキにしようっと。すみません、これとこれを一つずつと飲み物はホットのブレンドとカフェラテでお願いします。あ、サイズは一番大きいので」
支払いは栄子がしてくれたので楓は素直にご馳走になる。
そして二人は窓辺の席へ行くと向かい合って座った。
「で、その後どうしてた? 確かホテルで働いてたよね?」
「はい……でもホテルは最近辞めました。ちょっと色々あって……」
「色々って職場で何かあったの?」
「いえ、ホテルの仕事は特に問題なかったです。でも……」
「なーにー? 何があったの? 全部姉ちゃんに話しなさいっ! そういえば良は元気にしてるの?」
その質問に楓は答える事が出来なかった。
すると栄子は何かを察する。
「楓、何があったか話しなさい。全部よ。包み隠さず話して!」
栄子に再会して一気に気が緩んだ楓は、ついポロポロと泣き始める。
栄子になら全てを話せると思ったが、どうも口からうまく言葉が出てこない。
「良が何かしたんだね。怒らないから正直に言ってごらん」
栄子は急に優しい口調になると、バッグからポケットティッシュを取り出して楓に渡した。楓はそのティッシュで溢れる涙を拭うと、意を決して栄子に話し始めた。
楓の話を全て聞き終えた栄子はかなりショックを受けている様子だった。しかしすぐに怒り出す。
「何で私に連絡くれなかったの? あんたはどうしてそんな馬鹿な事を勝手にしたの? いくら良に命令されたからってそんな事は絶対にしちゃ駄目だってわかってるでしょう? 楓!」
「でも……私のせいで両親が亡くなったのは事実だし」
「あんたのせいじゃないって何度も言ったでしょう? 人にはね、決められた寿命ってものがあるの。だからご両親が亡くなったのは決して楓のせいなんかじゃないんだよ。残念だけどご両親はそこで寿命が尽きる運命だったの! それにしても一体良は何をやってんだか……実の妹を裏社会に売るなんて……ほんとどうしちゃったの? 頭がおかしくなったの?」
栄子はかなり怒っている。
そこで楓は栄子に聞いた。
「栄子さんはお兄ちゃんと連絡を取ってたの?」
「今は取ってないわ。私と良が別れたのは良が社会人二年目の時だったからそれ以降やり取りはしてないわ」
「そうなんだ…」
「で、楓は今はヤクザがやっている会社にいるって……そこ、本当に大丈夫なの? まさかまた売られたりしないでしょうね?」
「それは大丈夫だと思う。仕事も経理で入ったし。それにAV女優を辞めなさいって言ってくれたのは今の会社の社長なの」
「そっか。でも本当に大丈夫なのかなぁ…そんな会社にいて」
「今日が初出勤だったんだけど、社内はごく普通の会社みたいだったしヤクザっぽい人もいなかったし……だから多分大丈夫だと。あ、でも転職先がヤクザの会社っていうのはお母さんには言わないでね」
「もちろんよ。そんな事知ったらきっと卒倒するわ!」
栄子は苦笑いをする。
「それにしても借金かぁ。何やってんのかねぇ、良は」
「今は商社の重役のお嬢さんと高級タワマンに住んでるみたい。でももしサラ金に借金がある事がバレたらクビになるかもしれないしお嬢さんとも……」
「恋人の父親が重役ならヤバいよねー。娘を傷モノにした挙句、借金だらけで嘘をついていたのもバレたらクビどころじゃ済まないんじゃない?」
「うん」
「それよりも楓の方はどうなの? 今一緒に住んでいる人は藤堂組のかなり上の地位の人なんでしょう?」
「うん。でも大丈夫。何もされていないから」
「意外だよねー、ヤクザって言ったらすぐ女に手を付けるイメージなのに」
「私もそう思ってたけど全然そんな事ないの」
「そっか。まあとにかく今後何かあったら必ず私に連絡しなさいよ、すぐに助けに行くから」
「助けなんて…..多分大丈夫です」
「念には念を入れてよ。兄ちゃんが当てになんないんだから私が目を光らせないと!」
そこで栄子は手帳を一枚破り自分の新しい住所を書いてから楓に渡した。
「まだ全然片付いてないけど、何か困った事があったらいつでもうちに来なよ」
「うん」
「いい? もしまた何かあっても一人で勝手に行動しない事!」
「はい」
「あ、それと良に楓の居場所を聞かれても絶対に教えないから安心して」
「お願いします」
栄子の優しさが嬉しくて楓の瞳にまた涙が溢れてきた。
すると栄子は楓の頭をポンポンと撫でながら言った。
「色々と大変だったね、楓。でも私が東京に帰って来たからもう大丈夫よ。さぁ、ケーキ食べなさい」
楓はコクリと頷くと、もう一度涙を拭いてからケーキを食べ始めた。
そんな楓を優しい瞳で見つめながら、栄子は何かをじっと考えている様子だった。
★年末までお読みいただき心から感謝ですm(__)m
皆様どうぞ良いお年をお迎えくださいませ(^^)/✨ 瑠璃マリコ🌠
コメント
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コメ隊の皆様良いお年をお迎えください💐💐
瑠璃マリ先生、ペコメ隊の皆様よいお年をお迎えくださいね! ところで、栄子さんって信じられる人なんだろうか?? 住所教えて大丈夫だったの?? おばさんは、心配だわ!!
ん。栄子は何を考える。考える栄子。栄子の架け橋。あ、ありゃ『栄光の架け橋』やった。 良いお年を~。