とある午後の日。シュバルツとマリアンヌ、その二人からの『一人で来てね♡』という招待に応じ、ルスが山猫亭までお茶会に参加する為来ている。この店はルスが借りている部屋からは目と鼻の先である為、呼ばれていないスキアは来なかった。だが『一時間で戻って来るんだぞ』と釘を刺され、ルスの手の甲にはカウントダウンの、無駄にオシャレなフォントを使用した数字がうっすらと浮かんでいる。この数字がゼロになった瞬間、ルスの体は自動的に自室まで戻されるという転移魔法的なものをスキアが掛けた。
——事にして、実はこっそりルスの影の中に溶け込んで、ちゃっかりついて来ている。
そもそも影を自在に操り利用出来るスキアが使える移動系の魔法は、スキア本人が居なければならないからだ。だが、三人はその事に気が付いてはいない。影の状態に戻っている彼の存在に気が付ける者など、この世ではせいぜい生物の頂点にあるドラゴン族くらいなものだろう。
ちなみに弟のリアンは同じ敷地内に住んでいる獣人の子供達の部屋に遊びに行っている為、今日はちょっとした気分転換が出来そうだ。無自覚なままルスに執着心を抱き始めているスキアを除いて、だが。
「——え?マリアンヌさんって、異性愛者なのかい?」
男性の拳程もありそうなサイズのシュークリームを両手で掴んでかぶりつきながら、シュバルツが驚きの声をあげた。つるぺたな胸の子が好きだと言っていたので同性も恋愛対象であると思っていたのだが、彼の勝手な判断でしかなかったみたいだ。
「えぇ、そうよ。確かに私は、自分の胸以外は平胸が大好きよ?絶壁であればある程ゾクゾクするわ。でもだからって、真っ平らであることが当たり前な年少者や比較的胸が無い人が大半である男性には興味が無いのよねぇ。女性で、真っ平って事が尊いのよぉ。きっとコレが『ギャップ萌え』って言うやつね!」
もうすっかり性癖を隠そうともしていないマリアンヌが、赤く染まる頬に左手を当ててうっとりとした瞳をルスの方へちらりと向ける。その視線はどう見ても彼女の絶壁に釘付けで、ルスはそっと自分の胸を表情も変えぬまま両腕で隠した。
「そうか、別に合法ロリ・ショタに興味があるって訳でも無いんだな」
装備品や衣類を購入する時にあんずと知り合ったせいでシュバルツはいつの間にか変な単語を覚えてしまった様だ。この住宅群の大家であるマリアンヌも同じである為、自然と意味は通じている。
「当然よぉ、幼子の代替え品とお付き合いしたいなんて趣味は持ち合わせていないの」
マリアンヌが右手に持っていたフォークをチョコモンブランにぶすりと突き刺す。そして深いため息をついて、鋭い視線をシュバルツに向けた。馬鹿な勘違いをされていたのだと知り、怒りが隠しきれないみたいだ。
「ちなみにぃ、胸が無いなら、アンズみたいに背が高かったり、綺麗系でも可愛いでもOKよ。でもまぁ内面に惚れないと『好き』まではいかないけどね」と言い、マリアンヌがルスの方へウィンクを投げかけた。
「ルスちゃんは年上の男性が好きみたいよねぇ」
「んー…… どう、なんでしょうね?正直な所、年上の女性が苦手では…… ありますけど」
軽く首を傾げ、手に持っていたグラスに入るストローを吸ってリンゴジュースをごくりと飲み込む。氷でしっかりと冷えたジュースは果汁がたっぷり入っていてとても美味しい。
「ボクの好みはねぇ——」とシュバルツが語り出そうとしたら、マリアンヌが「あぁ。アンタのは興味無いから別に言わなくてもいいわよ」と遮った。だが彼の勢いは止まらない。
「ボクはね、ボクはね、好きになった相手が、好みの相手だ!」
胸に手を当て、シュバルツがドヤ顔で宣言した。店の最奥を陣取ってのお茶会なのだが、声が大き過ぎて食事をしに来ている他の客達の視線まで引き付けてしまっている。
「…… や。だから、訊いてないってば」
「あはは」
マリアンヌもルスも少し呆れ顔になっている。だけどシュバルツは全く気にしていないみたいだ。
「でもまぁ、正直な所、恋愛とかはまだよくわからないんだけどな」
「は?」
「んんんっ⁉︎」
シュバルツの発言に二人が驚き、変な声を出した。どちらも彼から『嫁になって!』とプロポーズをされている身なので当然の反応といえよう。
「だって、この世界に来た事でボクは今十五歳って事で書類上は登録されているけど、元の世界では十二歳だったからね。——あ、でも!ルスにもマリアンヌさんにも、強い好意を持っているのは間違いないよ!ずっと側に居たいって思っているから、プロポーズをしたんだしね」
シュバルツが少年らしい笑顔を二人に向ける。彼に対して全く恋愛感情の無い二人へ向けたものでもなければ胸をときめかせた者もいただろうが、その笑顔は無駄に消費されて終わった。
「あら。どおりで、発言も行動も子供臭いと思ったら」と言ってマリアンヌがため息をつく。
「十五歳になる事を自分で選んだんなら、もうちょっとちゃんと大人らしい行動を心がけなさいな。この町はまだ治安がいいけど、他に行ったらカモられるわよぉ」
「じゃあ、ひとまず引っ越す気は無いから大丈夫だな。嫁候補達を放ってこの町を離れるワケがないだろう?」
顔立ちが整っているのでキリッとした表情までよく似合っている。ルスはそんなシュバルツの顔をじっと見ながら、『勿体無いなぁ』と思った。『その笑顔をもっと別の場所で振り撒けば、結婚相手もよりどりみどりだろうに』とも。
そんなルスの表情をマリアンヌが複雑そうな顔でじっと見ている。テーブルに頬杖をつき、せっかく用意したお菓子はフォークを突き刺してばかりなせいですっかり形が崩れていた。
「オーナー!フィナンシェが焼けましたよー!取りに来て下さーい」
厨房の方から声が聞こえた。既にもう三人の前には結構な種類の茶菓子が並んでいるのだが、まだ提供する気でいるらしい。
「あら、もう焼けたのね。シューバールーツー」
「なんだい?」
「アンタが取ってらっしゃい!」
そう言って、マリアンヌが厨房を指差す。 綺麗に整えられた指先にはつけ爪が貼られていて美しい草花が丁寧に描かれている。よく鍛えた体のラインを強調する様な衣装を着ていながら上品さもあるコーディネートにもよく合っていて、ルスは感嘆の息をついた。
「もちろん任せて!」とシュバルツが即答した。忠犬並みの素直さで厨房へ向かう彼の背中を見送り終えると、マリアンヌは複雑そうな視線をルスの方へ向ける。
「…… ねぇ、ルスちゃん」
「何ですか?」
「気が付いてる?あの子の、本当の好みの相手」
「え?…… あ、いえ。でもさっき本人が言っていた通りなのでは?」
「まぁ…… 本人はそうだと思っているのは間違いないわね。きっとそう、なんでしょうね」と言って座っている椅子の背もたれに体を預けると、マリアンヌは天井を見上げて口をへの字の曲げた。
「…… あのね、シュバルツが本気で好きになる相手って、『絶対に自分に惚れないヒト』なのよ。たまたま目に付いた相手で問題ないなら、あの顔だもの、とっくに婚約者だらけだったでしょうに」
「まぁ、確かにかなり整っていますよね」
完全に他人事として話しているルスの表情を前にして、マリアンヌがクスッと笑う。『やっぱり私の考えに間違いはないわね』と彼は思った。
「難儀よね、あの若さで。まず間違いなく父親の半生を見聞きしていたせいでしょう。好きになってくれる相手を好きにはなれないだなんて、完全に歪んじゃっているわ」
目を細めるマリアンヌはすっかり保護者のようだ。自分の子供、と言っても無理がない程には年齢が離れているからか違和感は無い。
「私ね、あの子に愛情は返してあげられないけど、幸せにはなって欲しいと思っているの。『結婚しよう』『嫌だ』だんて言い合いながらも、年上の友達くらいにはなれるんじゃないかしら、きっと」
そう口にしたマリアンヌの表情にルスは母性を感じ取った。“彼女”だと思っていた人が“彼”であった時は正直驚いたルスだったが、ある意味間違いじゃなかったのかもしれないと思う。
「もちろん、ルスちゃんもよ!」
優しく頭を撫でられ、ルスが嬉しそうに目を細める。そんなやり取りをしっかり目撃していたスキアだったが、邪魔はしなかった。出来なかった。まるで母親に甘えるみたいに表情を崩しているルスの幸せそうな時間を壊したくはなかったからだ。ただちょっと、その表情を引き出したのが自分では無い事に苛立ちを感じながらも、黙ってこのお茶会が終わるまで三人の楽しそうな会話に耳を寄せたのだった。
【幕間の物語③『とある日のお茶会』・終わり】
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