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放課後の相談室は、今日も静かだった。蛍光灯の白い光が、机の上の傷をやさしく照らしている。
窓の外では、野球部のかけ声が遠くに響いていた。
ドアが小さく開く音。
日下部はペンを止め、顔を上げた。
「……入っていい?」
振り向くと、同学年の女子が立っていた。
彼女は笑っていた。でもその笑顔は、どこか張りついたみたいに見えた。
「別に、たいしたことじゃないんだけどさ」
「たいしたことじゃない、って言うやつほど、けっこうたいしたこと言う」
「……そうかも」
彼女は少し笑って、向かいの椅子に座った。
机の上に置かれたペンを指で転がしながら、ぽつりとつぶやく。
「最近、ずっと“笑ってる自分”が嘘っぽく感じるんだ」
「嘘っぽい?」
「うん。
友達と話してるときとか、SNSに写真あげるときとか、
笑ってるのに、なんか中が空っぽな感じ。
でも笑ってないと、みんな心配するし……離れてく気がして。
だから、怖くて笑ってる」
日下部は、少し間を置いて言った。
「“怖くて笑ってる”ってのは、悪いことじゃねぇと思う」
彼女が驚いたように顔を上げる。
「だってさ、人と関わるのって、けっこう痛いじゃん。
本音出したら引かれるかもしれねぇし、傷つくかもしれねぇ。
それでも繋がりたいって思うから、笑ってる。
それって、防衛じゃなくて、“生きようとしてる”ってことだろ」
彼女は少し黙り、手元を見つめた。
「でも、そんな自分がイヤなんだ。
本当の自分を見せられないまま、作り笑いばっかりして……。
“本気で笑ってた頃”が、思い出せない」
「……無理に思い出さなくてもいい」
「え?」
「たぶん、また“本気で笑えるとき”がくる。
でもそれは、前みたいな笑い方じゃなくていい。
少し違う笑い方で、少し違う人と笑えれば、それでいい」
彼の声は静かだった。
慰めるでも、突き放すでもない。
ただ、同じ場所に立っているような響きだった。
「俺もさ、無理して笑ってた時期あった。
“平気そう”に見せるのって、めちゃくちゃ疲れる。
でも……その笑いがあったから、今の自分がいるんだと思う。
“嘘の笑顔”も、自分を守ってくれてたんだよ」
彼女は目を伏せ、ゆっくり息を吐いた。
「……守って、くれてたか」
「うん。だから、そんな自分を責めんな。
ちゃんと、生き延びてきた証拠だろ」
沈黙のあと、彼女の口元がほんの少しだけゆるんだ。
それは、さっきの笑いとは違う。
形のいびつな、小さな“本音の笑顔”だった。
「……なんか、少しだけ楽になったかも」
「そうか。
ま、ここは“笑わなくていい場所”だからな」
彼はそう言って、窓の方を向いた。
夕暮れの光が、ふたりの間に淡く広がっていた。