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「おはよう」
「おはようございます」
2328号室の遮光カーテンを開けたのは黒木だった。
午前五時半とまだ早かったが、シャワーをして身なりを整え朝食となれば丁度良い時間だった。
ベッドの上から目にした黒木はフレームレスの眼鏡を掛けていなかったので、素顔で寝ぼけ眼、髪の毛ボサボサの瑠璃もすっかり安心し切っていた。
ところがその眼鏡は「印象を変える為に掛けている、度数の入っていない眼鏡だよ」そう言われて、瑠璃は慌ててシャワールームに駆け込んだ。
(え、黒木さん、視力2.0とか、昨夜のもクッキリはっきりって事!?)
瑠璃は愕然としながらも、まぁ見せてしまったものは仕方ないと開き直って、2階のレストランでモーニングビュッフェを堪能した。
「あぁ、美味しかったです!」
(昨夜頑張ったからね)
「く、黒木さん!」
「ね」
「はい」
瑠璃は白いブラウスと紺色のスカート、今日の分の着替えはしっかりと持参していて問題はなかったが、黒木はワイシャツを持参するのをすっかり失念してしまっていた。当然ネクタイも持ち合わせていない。
昨日と同じスーツ、同じワイシャツ、同じ色のネクタイ。自宅以外で一晩過ごした事は明白だった。
(……ま、良いか)
「黒木さん、もうチェックアウトしないと時間ですよ」
「あぁ、そうだ、瑠璃さん」
「はい」
「会社では係長、でお願いします」
瑠璃は目を白黒させた。
「う、間違いそうです」
「その時は黒木係長で誤魔化して下さい」
「は、はい!」
二人は腕を組んで出勤したい心情だったが、JR北陸本線や北鉄バスで通勤している社員も多い。
金沢駅のコンコースから会社まで皆、同じ方向にゾロゾロと歩いて行く。
営業部署内で二人の交際は公認されていても、他の部署となれば話は別だ。
係長と部下が並んで出勤するなど噂話の格好の餌食だ。
「少し、離れて歩きましょうか」
「はい」
「寂しいけれどね」
「は、はい」
昨夜とは違うオールバックの黒木に瑠璃の頰は思わず赤らんだ。
身も心も黒木に委ねた朝、瑠璃はその五歩後ろを小さな旅行鞄を肩に担いで会社へと向かった。
その朝、営業部署内はざわめいた。
黒木が昨日と同じグレーのスーツ、しかも同じ白にグレーの細いストライプのワイシャツ(襟がよれて皺が付いている)、ネクタイまで同じ色柄と来れば答えは一つしかなかった。
しかも黒木も瑠璃も妙に落ち着いた雰囲気で、昨日までの浮き足だった感じが無い。
おはよう
既読
おっす
既読
あれはしたね
既読
やっとか
既読
でもなんだか微妙やったのかーーーー
既読
グループLINEはざわめいた。
「おはようございます」
瑠璃がスチールデスクに座ると、周囲の視線が自分に集中したような気がして顔を上げて見たが、皆あちらこちらを向いている。
そして部署内の雰囲気がそわそわと落ち着かない。
(……あれかな、建が出勤して来るからかな)
けれどそんな暗い雰囲気でもない。
視線を感じてもう一度顔をあげると、向こうの島で寿がひらひらと手を振った。
ひらひらと手を振り返すと寿はペロっと舌を出して胸の辺りで指を曲げハートマークを作ってみせた。
いつもなら「寿!」と怒る瑠璃だが今朝は少し違う。
同じようにハートマークを作って頰を染めると、寿は肘を曲げて手を広げ(あ〜あ)と呆れたような顔をした。
その時だ。
「おはようございます」
聞き慣れた声に思わず振り向いた瑠璃の身体は強張った。
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周囲の雰囲気も一転し、何やら険しさすら感じる。
横目で黒木の表情を窺うと息を呑んでいる。
そこにはファイルが入った小さめのダンボール箱を持った奈良が立っていた。