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第1話:世界一人を殴れない人
その男の名前はカシワ。
四十代前半。無精ひげに、くたびれたスーツ。
180cmを超える大柄な体躯を持ちながら、彼はどこか縮こまっていた。
「あなたは、“世界一人を殴れない人”に認定されました。」
その通知が来た日、カシワは笑わなかった。
その言葉は、“かつて誰かを守れなかった自分”を、また責めるように見えた。
彼は元・ボディーガードだった。
依頼人を暴力から守るはずが、最後の任務で“動けなかった”。
それ以来、彼の拳は誰にも向かうことなく、開いたままだ。
ある日、ミナはその投稿を見つけた。
「俺は、人を殴れない。……いや、殴る価値があるのは、殴られた側だけだ。」
ミナは彼にリプライを飛ばした。
「じゃあさ、私、あなたに殴られに行ってもいい?」
カシワはしばらく考えた後、渋谷の雑踏に現れた。
待っていたミナは、鮮やかな赤のジャケットに身を包んでいた。
華奢で小柄。だが目は、真っ直ぐだった。
そのとき、不良グループに囲まれる騒ぎが起きた。
ミナが軽口を叩いたことが原因だった。
「おい女ァ、ナンバーワン様か? 世界一煽り力でもあんのかよ?」
鉄パイプを構えた男が、ミナの肩に手をかける。
その瞬間――カシワが動いた。
黒いコートが翻り、静かに彼の体が間に割って入る。
「その手を……下ろせ。」
――だが、拳は出ない。
代わりにカシワは、相手の肩を押し返し、足をかけて倒した。
まるで武術のように、流れる体捌きで相手の力を“そらす”。
暴力ではなく、守るための動きだった。
「俺は……人を殴れない。でも、“殴らせない”ことなら、できる。」
事件のあと、ミナはカシワの投稿にこう書いた。
「強さって、誰かを倒す力じゃない。
倒さなくても守れる人が、“世界一”でよかったと思う。」
そしてその日、カシワの通知欄にはもう一つの新しい認定が加わっていた。
「あなたは、“世界一、人を守る構えが美しい人”に認定されました。」
END