放課後の教室はいつもと違って、静寂が支配していた。窓から差し込む夕暮れの光は、オレンジ色の影を長く伸ばし、机や椅子をぼんやりと照らしている。
しかし、その光の温かさとは裏腹に、教室の空気は冷たく澄み切っていた。
遥の席は空いたままだった。
その隣に座るはずだった日下部は、誰もいない教室の中で、ただ一人、肩を震わせていた。
彼は机に額を伏せて、静かに泣いている。
音は立てない。涙は頬を伝わることもなく、こぼれることもない。
けれど、その涙は彼の内側を洪水のように満たしていた。
「なぜ、何もしなかったんだ……」
胸の奥で繰り返される言葉は、自分自身を責める罵倒のようだった。
助けたかった、でも動けなかった。声を上げたかった、でも声は出なかった。
日下部の心は張り裂けそうだった。
彼の前には遥がいない。遥の痛みも、苦しみも、彼自身の無力さも、誰にも見えないままだった。
その無力感は、重く、そして深く。
彼は涙を流すことを許されなかった。
涙は弱さの証であり、助けられなかった罪の代償だったから。
それでも、誰もいないこの場所で、日下部は初めて自分の感情に素直になった。
誰にも見せない、誰にも知られない涙。
それは彼の中の、唯一の抵抗だった。
「ごめん……」
言葉はかすかに漏れた。
しかし、その声は誰にも届かず、ただ教室の空気に溶けて消えていった。
彼の涙はやがて止まったが、心の重さはまだそこに残ったままだった。
そして、その夜、日下部は何度も夢を見た。
階段裏でのあの場面、動けなかった自分、遥の痛む表情。
夢の中でも、彼は動けなかった。
けれど、その夢の痛みだけは、真実だった。