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第十五章 二つの目覚め
第五話 前だけを向いて
ジャンの屋敷を出発し、間もなく5人はラディスの大通りへ出た。
昨夜の混乱が嘘のように街はいつもの活気を取り戻している。
道の両側には様々な店が並び、行商人達の呼び込みの声が飛び交っていた。
焼きたてのパンの香り。
果物を並べる店主。
子供達の笑い声。
平和な朝の光景。
「……昨日魔物が出た街とは思えんなぁ」
シュンタが感心したように呟く。
「復興が早いな」
ジュウタロウも周囲を見渡した。
人々は不安を抱えながらも、確かに前へ進んでいる。
その時だった。
街の中央部へ差し掛かったところで、白い尖塔が視界へ入る。
教会。
空へ向かって伸びる白亜の塔。
朝日を浴び、神聖さを感じる荘厳な建物。
けれど——
ジントの背筋を、ぞわりと悪寒が走った。
「……っ」
自然と呼吸が浅くなる。
脳裏に浮かぶ。
あの白装束。
冷たい視線。
荷馬車の暗闇。
拘束された手首。
ジントは思わず、教会から目を逸らした。
だがそれでも感じる。
あの白い扉の奥。
まるで無数の魔物が蠢いているかのような、濃く重たい闇の気配。
人々の恐怖。
狂信。
執着。
欲望。
黒い感情が、教会全体へ染み付いているようだった。
「……ジント?」
ダイチが心配そうに振り返る。
ジントは無言のまま、そっとダイチの背中へ額を寄せた。
「……あったかい……」
ぽつりと零れる。
その体温に触れると、少しだけ息がしやすくなる。
ダイチは一瞬目を見開き、そして優しく言った。
「……しばらくそうしときいや」
低く穏やかな声。
ジントは小さく頷いた。
やがて、北門が近付いてくる。
見慣れた道。
子供の頃から何度も歩いた景色。
馴染みの雑貨屋。
市場の匂い。
笑い合う街の人々。
そしてーー
この角を曲がれば、祖母の待つ薬屋がある。
温かな灯り。
薬草の香り。
「おかえり」と迎えてくれる場所。
ハヤトが一度だけ振り返った。
「……どうする?」
静かな問い。
ジントは少しだけ視線を伏せ、ゆっくり首を横に振った。
まだ立ち止まれない。
今戻れば、きっと離れられなくなる。
ハヤトは何も言わず、再び前を向いた。
馬がそのまま進み出す。
薬屋へ続く道を、静かに通り過ぎていった。
カツ、カツ、と馬の蹄の音が高らかに響く。
ジントの脳裏に、祖母の優しい笑顔が浮かぶ。
懐へしまったままの、紫色のブローチ。
ジントは服の上から、そっとそれを握り締めた。
そして顔を上げ、前を向く。
その瞳の奥には、強い光が宿る。
だがそれは、僅かに切なく揺れていた。
やがて5人は北門へ辿り着く。
門前にはいつもの馴染みの門兵が立っていた。
5人の姿を見ると、少し驚いたように目を丸くする。
「また北へ向かうんだな……」
その声には、どこか心配そうな響きが混じっていた。
「ダイチ君、ジント君、気をつけて行っておいで」
ダイチが笑って手を上げる。
「ありがとう、おっちゃん!」
ジントも小さく微笑んだ。
「はい、行ってきます」
門兵は安心したように笑い、静かに門を開ける。
5人は再び、北へ向かって馬を走らせた。
ラディスの街並みが、少しずつ遠ざかっていく。
やがて目の前には深い森が広がった。
その瞬間。
——ビュオッ……
突然、冷たい風が吹き抜ける。
木々がざわめき、枝葉が不気味に揺れた。
それはただ、季節の変わり目を告げる風ではなかった。
まるで、これから5人を待ち受ける何かが、静かに警告しているようだった。
まばらだった木々は、北へ進むにつれて徐々に数を増していった。
開けていた空は、秋の終わりの色付いた枝葉にゆっくりと覆われていく。
湿った土の匂い。
揺れる草木。
森特有の静かな空気。
ジントは馬上から、流れていく景色をぼんやりと見つめていた。
よく薬草を採りに来ていた茂み。
ダイチと作った秘密基地へ続く細道。
懐かしい景色が、次々と目の前を通り過ぎていく。
だが今は、感傷に浸る余裕もなかった。
ハヤトが前方を見据えたまま言う。
「出来るだけ馬を進める。
満月の日まであまり時間がない。
まず森を抜けた先にあるミストア村を目指そう」
4人が頷く。
そのままペースを落とさず、5人は森の奥深くへ進み続けた。
途中何度か短い休憩を挟みながら、気付けば辺りはかなり薄暗くなっていた。
ハヤトが振り返る。
「この辺りで夜営をするか」
5人は近くの少し開けた場所へ馬を止める。
荷物を下ろし、それぞれ夜営の準備を始めた。
まだ日は完全には沈んでいない。
だがジントはすでに、辺りへ漂い始めた瘴気を感じ取っていた。
冷たく、重たい空気。
森の奥の暗闇が、じっとこちらを見つめているような感覚。
ジントは無意識にその闇へ視線を向ける。
ハヤトは慣れた手付きで、周囲へ結界石を配置していった。
淡い金色の光が広がる。
ボウッ……
温かく柔らかな光が、5人と馬達を包み込んだ。
焚き火が起こされ、簡単な食事が用意される。
だがいつものような穏やかな空気にはならなかった。
「……ラディス入ってからしばらく夜営してなかったせいか、妙に緊張するなぁ……」
シュンタが珍しく真面目な声で呟く。
ジュウタロウも辺りを見回した。
「瘴気が異常に濃いせいもあるな……」
「強力な結界石ではあるが、油断は出来ない」
ハヤトが低く言う。
ジントはその間も、ただ静かに月を見上げていた。
木々の隙間から見える、少しずつ満ちていく月。
ぼうっと見つめるその横顔を、ダイチは不安そうに見つめる。
胸騒ぎが消えない。
何かが近付いている。
そんな感覚が、ずっと離れなかった。
やがて食事を終え、5人が寝袋や毛布の準備を始めようと立ち上がった、その時だった。
——バリッ。
鋭い音。
全員が同時に振り返る。
結界石の一つへ、大きな亀裂が走っていた。
「っ!?」
馬達が激しくいななく。
次の瞬間、結界の外側の闇から、黒い影が飛び込んできた。
獣型魔物。
鋭い牙。
濁った瞳。
唸り声を上げながら、数体が一気に結界内へ侵入する。
「来るぞ!!」
ハヤトの声が響く。
大剣が黄金の光を纏った。
「ジュウタロウ、右!
シュンタは後方援護!
ダイチ、前衛!」
「了解!」
「おう!!」
ダイチが真っ先に飛び出す。
バチィッ!!
青白い雷が拳へ迸る。
飛び掛かってきた獣型魔物へ、真正面から拳を叩き込んだ。
「っらぁ!!」
轟音。
雷撃が魔物の身体を駆け巡る。
巨体が吹き飛び、木へ激突した。
だが、その横から別の魔物が牙を剥く。
ダイチは地面を蹴った。
足元に纏わせた水流で、鋭い刃のように魔物の体を切り裂く。
同時に回転しながら放った蹴りが、
横から迫る魔物の側頭部へ叩き込まれた。
「どけぇっ!!」
激しい水飛沫が上がる。
魔物が地面を転がる。
一方、ジュウタロウの周囲では、冷気が吹き荒れていた。
細剣が銀色の軌跡を描く。
「遅い」
一閃。
氷が魔物の身体を貫き、そのまま凍り付かせる。
その背後でシュンタの赤いリュートが高らかに鳴った。
鋭い旋律。
炎が森を裂く。
「燃えろ!!」
火柱が鳥型魔獣を包み込み、夜空へ悲鳴が響く。
そしてハヤト。
黄金の光を纏った大剣が、迫る魔物をまとめて薙ぎ払った。
「はぁぁっ!!」
凄まじい衝撃。
吹き飛ばされた魔物達の身体から、
大量の瘴気が溢れ出す。
だが。
終わらない。
——バリッ!!
別の結界石にも亀裂が走る。
「くっ……!」
さらに背後から、新たな魔物達が侵入してきた。
挟み撃ち。
森全体が、まるで生き物のように唸っている。
その中心で、ジントが静かに目を閉じた。
黒い瘴気が、次々と彼へ吸い寄せられていく。
魔物達の苦痛。
怒り。
憎悪。
負の感情が黒い奔流となって流れ込む。
ジントの呼吸が乱れる。
それでも、逃がさない。
闇を全て受け止めるように。
戦闘は長く続いた。
雷光。水。
氷。
炎。
黄金の剣閃。
そして黒い瘴気。
夜の森を、幾度も光が切り裂いていく。
やがて最後の魔物が崩れ落ちた。
その身体から溢れた瘴気も、静かにジントへ吸い込まれていく。
シン……
辺りの瘴気が、ようやく薄くなった。
静まり返る森。
聞こえるのは、荒い呼吸だけ。
「……はぁ……っ」
ダイチが拳を下ろす。
腕は痺れ、全身が重い。
シュンタはその場へ座り込み、
ジュウタロウも木へ寄り掛かる。
ハヤトは大剣を地面へ突き立て、
深く息を吐いた。
そしてジント。
大量の瘴気を吸収した彼は、ふらつきながらも、なんとか立っていた。
全員、限界に近い。
だが夜はまだ、これからだった。
そしてこの森では、夜が来るたび戦いが待っている。
そのことを、5人はまだ知らなかった。
満月まで、あと六日。
コメント
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comiさん、第15話読みました!教会の前でジントが過去の記憶に苦しむシーン、すごく胸に響きました。ダイチの背中に額を寄せて「あったかい」って呟くところ、あの一瞬の温かさが切なくて。祖母の薬屋を通り過ぎる覚悟も、紫のブローチを握る仕草も、ジントの強さと脆さがぎゅっと詰まってるなあと。戦闘シーンも迫力満点で、特にダイチの水と雷を駆使したコンビネーションがかっこよかったです。でも「夜が来るたび戦いが待っている」という一文で、これからの過酷さがひしひしと伝わってきました。満月まであと六日、気になります!