テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第8話 奴隷族
雪は、五人の足跡を後ろから消していった。
旅館の灯りはもう見えない。
温泉街から延びる湯気だけが、暗い山道の所々で細い柱になっている。
直人は手の中の案内図へ小さな灯りを当てた。
紙に描かれた管路と、地面から昇る湯気の位置を何度も見比べる。
こっちだ。
声を抑え、道の左側を指した。
雪に半分埋もれた低い柵がある。
その向こうには、観光客が歩く道とは違う細い通路が延びていた。
悠斗が周囲を見回す。
管理小屋はまだ先か。
もう少し。
直人が先頭に立った。
雪は膝の下まで積もっていた。
一歩進むたび、防寒靴が深く沈む。
蓮が後ろから陽菜の腕を支えた。
陽菜は礼を言わず、代わりに蓮の手を一度だけ握った。
声を出せば、雪の向こうにいる誰かへ届くかもしれない。
五人は黙って進んだ。
道の脇には一定の間隔で丸い蓋が並んでいる。
蓋の中心から温かな湯気が漏れ、周囲の雪だけが薄く溶けていた。
美咲が足元へ手をかざす。
あったかい。
小さく漏れた声が湯気へ消えた。
直人が振り返る。
美咲は口元を押さえた。
ごめん。
悠斗は首を振り、先を見た。
山の斜面に小さな建物が浮かんでいる。
窓はなく、壁は岩と同じ茶色に覆われていた。
屋根に雪が積もり、遠くからなら地形の一部にしか見えない。
管理小屋。
入口の横には、黄緑に光る認証板があった。
蓮が建物の周囲を確かめる。
誰もいない。
直人が雪の上に残る跡を指した。
細い足跡が建物の裏へ回り込んでいる。
新しい。
悠斗が言う。
さっきまで誰かいた。
五人は建物の陰へ移動した。
管理小屋の裏には、地面へ沈む階段があった。
階段の先は鉄鋼の扉で閉ざされている。
扉の中央には、四つの季節を示す印。
その下に数字が並んでいた。
美咲の息が止まる。
これ、夢に出てきた。
蓮が近づく。
俺の場所にもあった。
直人は扉の縁へ指を滑らせた。
認証装置がある。
触るな。
悠斗が腕を伸ばした。
その瞬間。
山の向こうから低い音が響いた。
五人は一斉に身体を伏せた。
頭上を、小さな監視機が通過する。
丸い機体の下から、細い光が雪原をなぞっていた。
光が管理小屋へ近づく。
あ
847
もののあはれ
50
ふぃる汰
356
羽海汐遠
14,585
直人が扉の脇へ身を寄せた。
蓮は陽菜と美咲を建物の陰へ押す。
悠斗も雪へ膝をついた。
監視機の光が階段を横切る。
認証板が反応した。
扉が低い音を立て、わずかに開いた。
誰も触れていない。
自動点検のために開いたのかもしれない。
直人が扉を見る。
悠斗はすぐに首を振った。
入るな。
監視機が戻ってくる。
光が今度は建物の裏へ向かっていた。
蓮が扉へ手をかける。
中へ隠れるしかない。
五人が階段へ移動した。
扉の隙間は一人ずつ通れるほどしかない。
最初に陽菜。
次に美咲。
蓮が続く。
悠斗が入った直後、監視機の光が階段の上へ落ちた。
直人はまだ外にいた。
早く。
悠斗が手を伸ばす。
直人が階段を駆け下りる。
扉が閉じ始めた。
直人は身体を横へ向け、狭い隙間へ滑り込んだ。
防寒着の裾が扉に挟まる。
直人が強く引く。
布が裂けた。
扉が閉じた。
暗い通路に、五人の息だけが残った。
床の下から温かな振動が伝わっていた。
直人が灯りをつける。
細い通路。
壁に沿って何本もの管が延びている。
天井は低く、蓮は少し頭を下げなければならなかった。
陽菜が周囲を見る。
ここ、夢と同じ。
どこが。
直人が尋ねる。
音。
陽菜は壁へ耳を近づけた。
水の音がする。
夢の森にも、地面の下から同じ音が聞こえてた。
美咲も壁へ手を当てた。
温かい。
悠斗は背後の扉を押した。
開かない。
内側に認証装置らしきものがあるが、触れても反応しなかった。
閉じ込められた。
蓮が低い声を出す。
別の出口を探すしかない。
直人は案内図を開いた。
けれど紙に描かれているのは地上の管路だけだった。
地下の構造は載っていない。
通路は前へ延び、少し先で二つに分かれている。
直人は右側を指した。
夢では、右が施設だった。
左は。
外へ続くと思って逃げた。でも途中で行き止まりだった。
美咲が直人を見る。
夢と同じなら、右へ行くの。
右にしか道がないかもしれない。
悠斗は五人の顔を見た。
戻れない以上、立ち止まっていても見つかる。
行こう。
足音を抑え、右の通路へ進んだ。
壁には一定の間隔で小さな表示板がついている。
温度。
流量。
使用区域。
表示される文字の一部だけが、地球の言葉へ自動変換されていた。
供給先。
居住区。
作業区。
記録区。
美咲が最後の文字を読む。
記録区って、私たちの記録と関係あるのかな。
直人は立ち止まらない。
あると思う。
通路は緩やかに下っていた。
進むほど、空気から雪の匂いが消えていく。
代わりに、湿った岩と古い布の匂いが濃くなった。
美咲の歩みが遅くなる。
悠斗が振り返る。
どうした。
この匂い。
美咲は口元を押さえた。
秋域で思い出した匂いと同じ。
呼ばれる順番を待っていた部屋。
土。
汗。
燃えた布。
美咲の肩が震えた。
陽菜が手を取る。
戻ろうにも戻れない。
前へ進むしかなかった。
通路の先に、弱い灯りが見えた。
五人は壁へ身を寄せる。
誰かの足音。
一つではない。
規則正しく、ゆっくり近づいてくる。
直人が灯りを消した。
闇の中で、五人は息を止めた。
やがて角の向こうから数人が現れた。
薄い服。
裸足に近い靴。
手首と足首に細い輪。
全員、額に羽根のような器官がない。
地球人に見えた。
ただし、年齢は分からない。
顔には疲れが沈み、髪は短く切られている。
一人が大きな箱を押している。
箱の上には石の塊と、古い道具が積まれていた。
後ろから四季星人が歩いてくる。
手には細長い操作棒。
先端が黄緑に光っている。
作業列三十二。
移動速度低下。
四季星人が端末へ触れる。
列の先頭にいた人物の輪が鳴った。
膝が折れる。
箱が止まる。
四季星人は声を荒らげなかった。
再開してください。
倒れた人物は何も言わず立ち上がった。
箱を押す。
列が再び動く。
五人は壁のくぼみに身を隠したまま、通り過ぎる姿を見ていた。
陽菜の指が悠斗の袖をつかむ。
力が強い。
列の最後にいた子どもほどの背丈の人物が、わずかにこちらを向いた。
茶色の瞳。
痩せた頬。
目が合った。
その人物は声を出さなかった。
ただ、唇だけを動かした。
逃げて。
直後、首元の輪が鳴る。
子どもは前へ向き直った。
列は通路の奥へ消えた。
誰もすぐには動けなかった。
美咲が壁へ背を預ける。
今の人たち。
陽菜が続ける。
地球人だよね。
蓮は拳を握った。
作業員じゃない。
直人の声は低かった。
管理されてる。
悠斗は列が消えた方角を見る。
輪。
夢と同じ。
陽菜が首元へ手を当てた。
あの子、逃げてって。
直人は通路の反対側を見る。
今すぐ戻るべきだ。
戻る扉は開かない。
別の出口を探しながら、見つけたことを覚えて帰る。
蓮は奥へ目を向けた。
放っておくのか。
今の五人で何ができる。
直人の言葉に、蓮の肩が動く。
悠斗が二人の間へ入った。
まず外へ出る。
地球へ帰れなければ、何も伝えられない。
蓮は歯を食いしばった。
やがて拳を下ろす。
陽菜は列が消えた方を見たままだった。
助けを求めてた。
美咲が陽菜の手を握る。
忘れない。
絶対に。
五人は再び進んだ。
通路はさらに地下へ続いた。
壁の表示に、新しい文字が現れる。
過去系統保管区。
美咲が読む。
保管って、人のことなの。
直人は答えなかった。
角を曲がると、大きな窓があった。
透明な壁の向こうに広い空間が見える。
幾つもの作業台。
運ばれる石や植物。
壁際には細長い寝台が並んでいる。
働いている者たちは、先ほどの列と同じ輪を身につけていた。
一人が作業台で植物の根を切っている。
別の者は根から液体を絞る。
奥では粉を袋へ詰めていた。
その袋には、五人が旅館で何度も見た印がついている。
美咲が息をのむ。
あれ、春域の入眠施設にあった香り袋。
陽菜が別の箱を指した。
夏域の温泉で使ってたものもある。
棚には冷感温泉の微細生物を保存する容器。
秋域の記憶香料。
冬域の温水調整材。
五人が楽しんできたものが、すべて地下へ並んでいる。
蓮の顎が固くなる。
観光地を支えてるのは、この人たちか。
悠斗は透明な壁へ近づいた。
作業場の上には大きな数字が浮かんでいる。
作業達成。
供給安定。
善意信用増加予定。
直人が最後の表示を見る。
善意信用。
美咲が声を落とす。
ここで働いた人の信用が増えるの。
違う。
直人は表示の下を指した。
受益者。
主催企業。
案内事業部。
冬域管理局。
働いている者の名前はどこにもない。
陽菜の表情がゆっくり変わった。
この人たちが働くと、上の人の数字が増える。
直人がうなずく。
親切を数値にする制度じゃない。
利益を善意として受け取る制度にもできる。
美咲は透明な壁の向こうを見る。
作業台で一人が手を切った。
血が流れる。
隣の者が布を差し出そうとする。
腕の輪が警告音を鳴らした。
布を差し出した手が止まる。
監視役の四季星人が近づく。
作業中の私的援助は禁止されています。
負傷者は自分で処置してください。
助けようとした者の数字が減る。
善意信用ではなかった。
夢の中で陽菜が見たものと同じ。
助ければ減る数字。
陽菜は透明な壁へ手をついた。
こんなの、善意じゃない。
悠斗はその肩を引く。
見つかる。
五人が窓から離れた直後、作業場の監視役が顔を上げた。
何かに気づいたように、透明な壁の向こうを見た。
五人は通路の陰へ走った。
警報は鳴らなかった。
代わりに、壁の灯りが一斉に消えた。
すぐに別の低い音が響く。
直人が振り返る。
気づかれた。
通路の両側から扉が閉まり始める。
走れ。
悠斗が叫ぶ。
五人は奥へ向かって走った。
一枚目の扉を抜ける。
二枚目も閉じかけている。
蓮が両手を差し込み、扉を押し返した。
陽菜と美咲が先に通る。
悠斗も続く。
直人が足を滑らせた。
雪解け水のような液体が床へ流れている。
直人の身体が倒れる。
扉が迫る。
蓮が腕を伸ばす。
直人の手首をつかんだ。
引き上げる。
直人の帽子が床へ落ちる。
扉が間へ下りた。
帽子だけが向こう側に残った。
五人は息を切らしながら走った。
前方に三つの分かれ道。
直人が足を止める。
どっちだ。
夢では左。
でも捕まった。
右は。
行ったことがない。
蓮が右へ向かう。
同じ道を選ぶな。
四人も続いた。
右の通路は急な坂になっていた。
温かな空気が下から吹き上がる。
壁には古い傷が無数についている。
文字のようにも見えた。
陽菜が灯りを近づける。
地球の言葉。
美咲が指でなぞる。
ここにいる。
忘れないで。
帰りたい。
壁の奥まで、同じ言葉が続いていた。
年代らしき数字もある。
地球ではまだ使われていない未来の日付。
何百年も前の日付。
並び方はばらばらだった。
悠斗が立ち止まる。
過去と未来。
蓮が壁を見る。
俺たちが見た夢も、どっちか分からなかった。
直人はさらに先へ灯りを向ける。
四季星は、地球の過去と未来から人を連れてきた。
美咲が首を振る。
そんなこと。
できるかどうかじゃない。
目の前にいる。
直人の声が通路へ響く。
あの人たちは、地球人だ。
そのとき。
背後から足音が聞こえた。
一定の間隔。
急いでいない。
追い詰める側の歩き方だった。
五人は坂を下った。
通路の先に、小さな部屋があった。
扉は開いたまま。
逃げ道はほかに見えない。
五人は中へ入った。
室内には古い端末が並んでいる。
机。
記録板。
壁いっぱいの映像保管棚。
直人は入口の操作板へ触れた。
扉が閉まる。
鍵の表示が点灯する。
しばらくは持つ。
蓮が扉へ耳を当てる。
足音はまだ遠い。
悠斗は室内を見回した。
ここは記録室か。
中央の机に、地球の文字で書かれた一冊の冊子が置かれていた。
紙は黄ばみ、角が擦れている。
美咲がそっと開く。
最初の頁に、大きな文字があった。
奴隷族管理記録。
陽菜の唇が震えた。
奴隷族。
直人が冊子を受け取る。
頁をめくる。
対象。
地球系統人類。
分類。
労働利用族。
利用目的。
季節地域の開拓。
環境維持。
観光資源生産。
感情反応採取。
美咲は机へ手をついた。
感情反応採取。
私たちの数字。
悠斗が次の頁を見る。
過去系統からの収容。
未来系統からの収容。
記憶処理後、各施設へ配置。
血統ごとの適性を保存。
直人の指が止まる。
選定条件。
現代地球に存在する近似血統者。
感情反応が高い者。
過去系統または未来系統との共鳴が確認された者。
五人の呼吸が同時に浅くなった。
美咲が冊子を覗き込む。
それが、私たち。
悠斗は次の頁をめくった。
地球人招待事業。
目的。
観光による高品質反応の収集。
過去系統記憶の再発生確認。
善意信用への変換。
陽菜が椅子へ手をつく。
楽しいと思った気持ちが。
直人が続ける。
案内役や企業の善意信用になる。
蓮は壁を殴りかけ、拳を止めた。
俺たちは客じゃない。
冊子の最後に、五人分の名前が並んでいた。
朝倉悠斗。
藤原美咲。
高瀬直人。
結城陽菜。
真田蓮。
それぞれの名前の下に、血統番号が記されている。
過去系統。
未来系統。
収容世代。
労働適性。
感情発生予測。
美咲は自分の名前へ触れた。
来る前から決まってた。
陽菜の目に涙が浮かぶ。
無作為じゃなかった。
直人は自分の頁を開く。
そこには、逃走傾向という文字があった。
高瀬直人。
過去系統逃走者との近似率、高。
警戒行動の発生を期待。
直人の顔から表情が消える。
期待。
悠斗が自分の記録を見る。
集団安定役。
他対象の安心反応を誘発。
美咲。
感情共鳴役。
記憶香料への反応を期待。
陽菜。
幼年系統反応。
保護意識の発生を期待。
蓮。
労働記憶反応。
怒りと共感の両方を期待。
五人の旅で起きたことが、一つずつ予定として書かれていた。
春域の眠り。
夏域の花火。
秋域の香り。
冬域の飛行。
すべてが観光工程ではなく、反応を引き出す順番として並んでいる。
蓮が冊子を閉じた。
持って帰る。
直人が首を振る。
冊子が消えれば、すぐに分かる。
もう分かってる。
蓮が扉を見る。
直人は机の端末へ近づいた。
記録を写せるか試す。
端末には古い接続口があった。
地球の機器とは形が違う。
直人は冬域でもらった観光案内板を取り出した。
端を開き、内部の薄い記録板を外す。
美咲が驚く。
いつ外し方を覚えたの。
船の板を見たとき。
直人は記録板を端末へ押し当てた。
反応しない。
位置を変える。
一瞬だけ光が走る。
画面に転送の文字が出た。
入った。
転送が始まる。
数字がゆっくり増えていく。
七。
十二。
十九。
扉の外で足音が止まった。
五人の身体が固まる。
鍵の操作音。
直人が画面を見る。
二十六。
蓮が扉の前に立つ。
何秒必要だ。
分からない。
悠斗が室内を探す。
ほかの出口。
美咲が棚の奥を指した。
壁に隙間がある。
陽菜が机を動かす。
背後に小さな扉が隠れていた。
作業員用の通路かもしれない。
直人。
悠斗が呼ぶ。
三十八。
扉の鍵が一つ解除される。
蓮が取っ手を押さえる。
五十一。
外から声が聞こえた。
扉を開けてください。
リセラだった。
五人の動きが止まる。
陽菜が扉を見る。
リセラさん。
直人は転送画面から目を離さない。
開けるな。
外から再び声がする。
警備が来ます。
今なら、私が皆さんを地上へ戻せます。
蓮が悠斗を見る。
信じるか。
悠斗は答えられない。
リセラは旅を案内した。
何度か記録を隠そうとした。
立入禁止区域へ向かう五人を止めなかった。
けれど選ばれた理由を知っていた。
帰還前に記憶が失われることも。
外から別の足音が近づく。
数が多い。
リセラの声が強くなる。
早くしてください。
直人が画面を見る。
七十二。
まだ無理だ。
悠斗が扉へ近づく。
何を知っていた。
外のリセラが黙る。
俺たちが選ばれた理由を、どこまで知っていた。
足音がさらに近づく。
全部ではありません。
でも、無作為ではないことは知っていました。
美咲が口元を押さえる。
悠斗は扉へ額を近づけた。
俺たちの記憶を消すことも。
長い沈黙。
知っていました。
陽菜の涙が頬を伝う。
どうして黙ってたの。
外から聞こえるリセラの呼吸が震えた。
私が話せば、善意信用を失います。
直人が扉へ目を向ける。
その程度か。
違います。
信用を失えば、案内役ではいられません。
住居も、仕事も、移動権も失います。
家族にも影響します。
だから私たちをだました。
リセラは答えない。
トウラの声がした。
リセラ、もう時間がありません。
警備班が到着します。
直人が画面を見る。
九十一。
あと少し。
扉の外で強い警告音が鳴った。
管理官の声が響く。
施設管理官セムです。
地球招待客五名へ告げます。
無許可侵入を確認しました。
扉を開放し、床へ手をついてください。
蓮の表情が険しくなる。
誰がやるか。
セムの声は変わらない。
皆さんは保護対象です。
危害は加えません。
直人が乾いた笑いを漏らす。
地下の人たちも保護対象か。
外が静かになる。
悠斗は扉へ向かって続けた。
奴隷族管理記録を見た。
作業区も。
感情反応採取も。
今度の沈黙は長かった。
やがてセムが答える。
古い分類です。
現在は使用されていません。
蓮が扉を叩いた。
今も働かせてた。
現在の制度では、保護労働族と呼びます。
陽菜が声を上げる。
名前を変えただけじゃん。
彼らは地球の時代から切り離された存在です。
四季星の管理下でなければ、生存できません。
美咲が冊子を強く抱く。
連れてきたのはそっちでしょ。
歴史的事情です。
私たちには、過去の決定を変更できません。
悠斗は目を閉じた。
目の前にいる人の言葉なのに、誰も話していないように聞こえた。
制度。
管理。
歴史的事情。
責任を薄く延ばし、形が見えなくなるまで遠ざける言葉だった。
直人が画面を見る。
九十九。
転送完了。
記録板を抜き、防寒着の内側へ入れる。
終わった。
悠斗が隠し扉を開けた。
狭い通路が奥へ続いている。
先が地上へ出る保証はない。
それでも、ここに残れば記録板を奪われる。
五人が通路へ入ろうとしたとき。
外のリセラが声を落とした。
その通路は記憶処理室へ続いています。
五人の足が止まる。
進まないで。
では扉を開けろ。
直人が言う。
私だけを入れてください。
信用できない。
分かっています。
リセラの声は細かった。
それでも、今は私を使ってください。
悠斗は四人を見る。
蓮は反対するように首を振った。
陽菜は涙を拭い、扉を見つめる。
美咲は冊子を抱えたまま動かない。
直人は記録板の位置を確かめた。
扉の外でセムが言う。
案内役リセラ。
独断行動は善意信用規則に違反します。
すでに私の信用は減少しています。
リセラの返事は静かだった。
なら、今さら同じです。
扉の外で何かがぶつかる音がした。
トウラの声。
リセラ。
続いて警備装置の作動音。
悠斗は扉の操作板へ手を置いた。
一度だけ開ける。
蓮が悠斗の腕をつかむ。
本気か。
ほかに道がない。
悠斗は認証板へ触れた。
扉がわずかに開く。
隙間からリセラが身体を滑り込ませた。
直後、蓮が扉を押し戻す。
外から操作棒が差し込まれた。
黄緑の光が走る。
トウラが棒をつかみ、外側へ引いた。
扉が閉じる直前、五人にはトウラの顔が見えた。
丸い瞳が揺れている。
行って。
扉が閉じた。
リセラは壁へ手をつき、息を整えた。
灰色の外套の袖が裂けている。
胸元の端末には警告が並んでいた。
善意信用低下。
案内資格停止。
移動権制限。
家族信用への影響。
陽菜が画面を見る。
全部、今ので。
リセラは端末を外した。
床へ置く。
踵で踏みつける。
薄い板が割れた。
警告音が止まる。
美咲が目を見開く。
リセラさん。
急いでください。
リセラの声から、いつもの柔らかさが消えていた。
この施設には、五人を旅行客として扱う者はいません。
最初からいなかった。
直人が答える。
リセラは直人を見る。
その通りです。
蓮が一歩近づく。
奴隷族って何だ。
リセラは冊子へ目を落とした。
地球の過去と未来から連れてこられた人々です。
何世代も前から、四季星の開拓と維持に使われてきました。
使われてきた。
美咲が繰り返す。
道具みたいに言わないで。
そう記録されています。
あなたはどう思ってる。
美咲の問いに、リセラはすぐには答えなかった。
間違っていると思います。
だったら、どうして案内してたの。
制度の中で生きる方が簡単だったからです。
リセラは壊れた端末を見る。
善意信用を得れば、私は良い案内役になれる。
家族も安全に暮らせる。
地球の方を喜ばせれば、その分だけ信用が増える。
笑顔を見ているうちに、目的を考えなくなりました。
悠斗はリセラを見た。
夏域で花火を見た夜。
端末への送信を止めようとした手。
冬域で施設を見られたときの視線。
全部、嘘だったのか。
全部ではありません。
リセラは悠斗の目を見た。
皆さんに楽しんでほしかった気持ちは、本当です。
それが一番、扱いに困る。
直人が言う。
本当の親切と、数字のための親切が混ざってる。
だから誰も、自分が加害する側だと気づかない。
リセラは何も返さなかった。
扉の外で強い衝撃が鳴った。
中央がわずかにへこむ。
リセラが隠し通路へ入る。
こちらです。
記憶処理室へ行くんじゃなかったの。
陽菜が尋ねる。
途中に保守用の分岐があります。
地上へ出られます。
五人はリセラに続いた。
通路は一人ずつしか通れない。
壁の隙間から冷たい風が入ってくる。
少し先に細い階段があった。
上へ続いている。
背後で扉が破られる音がした。
警備班が記録室へ入った。
セムの声が通路に響く。
リセラ。
これ以上の違反は、家族保護資格の停止につながります。
リセラの足が一瞬止まる。
美咲がその背中を見る。
家族、大丈夫なの。
大丈夫ではありません。
リセラは再び歩き出した。
ですが、ここで皆さんを渡せば、私は一生、自分を善意ある者だとは思えません。
陽菜が小さく息を吸う。
善意信用がなくても、善意はあるんだね。
リセラの肩がわずかに揺れた。
階段の上に、小さな扉が見えた。
扉を開けると、冷たい風が吹き込んだ。
外は雪原だった。
立入禁止区域の内側。
二重の柵。
遠くに地下施設の入口。
監視機が何機も飛んでいる。
旅館へ戻るには、柵を越え、山を一つ回り込まなければならない。
リセラが柵沿いの道を指した。
東へ進んでください。
温水管の排出口があります。
その下に管理車用の通路があります。
悠斗が尋ねる。
リセラは。
私はここに残ります。
陽菜が首を振る。
一緒に行こう。
私がいなければ、追跡が早まります。
リセラは雪の中へ足を出した。
五人とは反対側へ向かう。
美咲が腕をつかんだ。
捕まるよ。
もう捕まっています。
リセラは自分の額にある器官へ触れた。
制度から逃げようと思った瞬間から。
美咲の手が緩む。
リセラは直人を見る。
持ち出した記録は、帰還式まで隠してください。
帰還前には記憶処理が行われます。
悠斗が息をのむ。
いつ。
予定では最終日の夜です。
ですが、今夜へ前倒しされる可能性があります。
蓮が拳を握る。
させない。
リセラの水色の瞳が五人を映す。
地球へ帰る方法も、記憶を残す方法も、帰還施設にあります。
そこへ着くまで、知らないふりをしてください。
直人が尋ねる。
奴隷族の人たちは。
リセラは施設を振り返る。
今すぐ全員を解放すれば、行き先も食料もなく、多くが生きられません。
四季星の社会そのものが、彼らの労働に依存しています。
だから放置するのか。
違います。
リセラの声が強くなる。
一度に変えられないことを、変えなくてよい理由にしてきました。
その結果が、今です。
遠くで警報が鳴った。
監視機が一斉に向きを変える。
リセラが美咲の手を外す。
行ってください。
あなたは。
陽菜の声が震える。
リセラは初めて、案内役としてではない笑みを浮かべた。
私は、皆さんを見失ったことにします。
五人は柵沿いを走った。
雪が足へ絡みつく。
後ろでリセラが反対方向へ向かい、わざと足跡を残している。
監視機の光が彼女を追った。
悠斗たちは温水管の陰へ身を伏せた。
直人が排出口を見つける。
格子を蓮が持ち上げる。
陽菜と美咲が先に入る。
悠斗。
直人。
最後に蓮が格子を戻す。
狭い管理路を這う。
雪解け水が手袋へ染み込む。
それでも止まらなかった。
外から警報が響き続けている。
やがて前方に町の灯りが見えた。
温泉街。
昨日まで、ただ美しいと思っていた場所。
屋根に積もる雪。
軒下の灯り。
湯気。
料理の香り。
誰かの笑い声。
すべての下に、地下で働く人々がいる。
五人は排水路から外へ出た。
陽菜が町を見上げる。
同じ景色なのに。
美咲が続ける。
もう、前と同じには見えない。
直人は防寒着の内側にある記録板を押さえた。
でも、見えなかったものが見えるようになった。
蓮が雪を払い落とす。
旅館へ戻るぞ。
悠斗は四人を見る。
誰も無事ではなかった。
直人の防寒着は裂けている。
陽菜の手袋は濡れている。
美咲の髪には雪が張りついている。
蓮の手には扉を押さえたときの傷がある。
それでも五人はそろっていた。
悠斗は町へ足を向けた。
何も知らない顔をする。
帰還式まで。
そのあとどうする。
美咲が尋ねる。
悠斗は温泉街の向こうを見る。
まだ分からない。
でも、地球へ帰るだけじゃ終われない。
旅館へ戻ると、入口にトウラが立っていた。
黄緑の髪には雪が積もり、丸い瞳の下には疲れがにじんでいる。
胸元の端末は点灯していなかった。
五人が近づく。
トウラはいつものように頭を下げなかった。
リセラは。
陽菜が尋ねる。
管理官と一緒にいます。
無事なの。
身体には何もされていません。
今のところは。
直人がトウラを見る。
俺たちを連れ戻すのか。
トウラの瞳が細くなる。
皆さんは夜の散歩中に道へ迷い、私が見つけました。
記録にはそう残します。
美咲が息をのむ。
トウラも。
リセラは私に、案内役として最後まで責任を果たせと言いました。
蓮が一歩前へ出る。
責任って、監視することか。
昨日までなら、そう答えました。
トウラは旅館の扉を開ける。
今は分かりません。
悠斗が中へ入ろうとしたとき、トウラが小さく言った。
皆さんの部屋は調べられます。
持ち帰ったものがあるなら、部屋へ入る前に隠してください。
直人の手が防寒着の内側へ動く。
どこに。
トウラは温泉水路を見る。
旅館の庭に、記念樹があります。
根元の石は動かせます。
それ以上は何も言わなかった。
五人は庭へ回った。
雪の中に、枝を大きく広げた記念樹が立っている。
根元の石を蓮が持ち上げる。
直人は記録板を布で包み、土の奥へ入れた。
冊子は持ち出していなかった。
けれど記録は残った。
奴隷族。
地球系統人類。
感情反応採取。
五人の名前。
選ばれた理由。
石を戻す。
雪をかぶせる。
足跡を枝で消す。
旅館の窓から、係員たちがこちらを見ていた。
昨日まで笑顔で料理を運び、温泉を案内してくれた者たち。
今は誰も笑っていない。
腕輪の表示を気にしながら、五人から目をそらす。
扉の前に立つ管理官セムだけが、まっすぐ五人を見ていた。
濃い紫の制服。
腰の操作端末。
整った姿勢。
歓迎する者の顔ではなかった。
夜の散歩は楽しまれましたか。
悠斗は答える。
雪がきれいでした。
セムはわずかに目を細める。
そうですか。
皆さんには、明日から新しい安全規則が適用されます。
外出には案内役が二名同行します。
施設内でも、許可された場所以外へは移動できません。
直人が尋ねる。
客に対する規則ですか。
セムは穏やかな声で答えた。
保護対象に対する規則です。
五人の背後で旅館の扉が閉じた。
その音は、歓迎の終わりを告げるように重く響いた。
コメント
1件
第8話、めっちゃ重かった…でも一気読みしてしまったわ。 管理小屋からの地下潜入、奴隷族の真実、そして五人が「選ばれた理由」が記録されてたところ、ゾッとした。 美咲が「夢に出てきた」って言った扉、まさかそのまま現実になるとは思わなかったし、通路の壁に刻まれた「帰りたい」の文字が胸に刺さった。 リセラが端末を踏み壊したシーン、あの覚悟はすごかったな。 「善意信用」って制度の気持ち悪さがじわじわ来るし、今までの楽しい観光が全部「反応を引き出す工程」だったって皮肉が効きすぎてる。 続き、本当に気になる。このまま帰還式まで耐えられるのか…?