「琦《ぎ》国王、清順《せいじゅん》覚悟っ!!」
波瑠《はる》は、刀をぐっと握ると、前にいる男へ突進した。
男であるから、力がある。背は、波瑠よりも頭ひとつ分以上は高くそして、がっしりとした体格。何よりも、武術にたけている。すべて、波瑠より優っているのに、正面切っては、分が悪い。
案の定……。
かたん、と音がして刀は、床に落ちた。
波瑠が差し向けた刀は、男の手刀で、叩き落とされていた。
「あーー!いつになったら!!」
くやしがる波瑠を、男は、笑っている。
「王妃よ、まだまだだな。この、私には、一生かかっても、勝てまい」
「か、勝たなきゃいけないんですっ!そうで、ないとっ!」
「お前の国が、我が国に侵略される、のだろう?」
波瑠の台詞を、男が先に言ってくれた。
「あー、手は痛くないか?木刀は、重くなかったか?」
どらどらと、男は、波瑠の手を取ると、いとおしげに眺めた。
「ああ、お前のこの美しい手に、何かあったら……、私は、耐えられん」
(いえ、何があったって、良いんです!!ここで、あなたを仕留めておかないと、私の国含め、諸国は、大変なことになるのですから。)
波瑠の胸の内などお構いなしで、男は、女官に声をかけ、床に転がる刀、もとい、木刀を、片付けるように命じている。
初めは小刀だったのに──。
男の正体を知ったとたん、波瑠は、覚悟を決めた。
この男の寝首をかかねばと、近寄ったのに──。
なぜかしら、小刀は、お前が怪我をするといけない、と、木刀に変えられ、毎夜、男を襲撃する時が、波瑠に与えられ、と、なんとなく、思っていることと、ずれて来ている。
「恐れながら、陛下」
床から木刀を拾い上げた、女官が口を開いた。
「どうした?言ってみよ」
はい、と、返事をした女官は、木刀では、王妃様には、重すぎます。と、言ってくれた。
(いやいやいや、あなたね。 井戸から、組み上げた水を、運ぶ事に比べれば、木刀なんて、なんのことはない、軽々した物なのですよ。)
「なんと!それは、うかつであった!刃物は、危ない。ただ、それだけで木刀と、思いついたが、この、華奢な手には、確かに負担がかかりすぎる!すぐに、代わりの物を用意せよ!」
この言葉で、部屋は、騒然となり、控えていた何人もの女官は慌てふためいている。
「もうー!だから!なんで、こんなことになっちゃったのよー!!」
波留の叫びに、男が、答えた。
「だからも何も、王妃、お前が、倒れたからであろう?」
事の発端は、琦《ぎ》国の王妃が、散歩中、転んで頭を打ったことだった。
王妃は、気を失ったまま、意識が戻らない。
国中から、名医を集めるが、打ち所が悪かったのでしょうか。で、終わってしまう。
このまま、目覚めることがないのではと、皆が、諦めたその時、王妃は、むっくり起き上がり、「ここ、どこ?」と、言ったのだ。
いや、正確には、王妃ではなく、波留、が、言ったのだが……。
波留は、徹夜で仕立てた衣をお得意様へ、届けていた。
街の中心部を流れる河に架かる、石造りの、めがね橋を渡っていた時の事。背後から勢いを付けて来た荷車を避けようと、脇へ寄ったところ、同じく避けた人の波に押され、波留の体は、欄干を越えてしまった。つまり、橋から落ちたのだ。
あっ!と、声を挙げることもなく、気がつけば、ザブンと自分が河へ落ちる音を聞いていた。
ダメだ。と、思う暇もなかった。衣が水を吸い、水底へ沈んで行く。
来週には、琦栄祭《ぎえいさい》が開かれる。街は、いつも以上に人出も多く、準備に沸き立っていた。
国という国を侵略し、民達《たみたち》を、底辺の身分、奴婢《どれい》として拘束し続け、悪政を行う琦国を尊ぶ催しであるのに、皆は、祭り、即ち、琦国の始祖、清順王の生誕日を祝う日を心待にしていた。
この日だけ、酒と米が、配給され、女達は、着飾る事を許されるからだ。
禁止されていた事が、解禁される。沈んでいた街は、華やかで賑やかになっていた。
そんなこともあいまって、波瑠のところへは、仕立ての仕事が、山のように舞い込んで来た。母親と細々と仕立て仕事を請け負っていた波瑠にとっては、祭りまでが、勝負、と言えた。
父は、国境警備の為に、連れていかれ、便りは途絶えている。
属国の奴婢が、命令に逆らうことはできない。波瑠の父親だけではなく、働き盛りの男は、あちらこちらへ、連れて行かれていた。
たった一国の思惑、領土拡大という野望の為に、皆、耐えるしかない惨めな暮らしを課せられていたのだ。
そして、河に落ちた波瑠が、目覚めたのは、まさにその憎むべき、琦国の、それもなぜか王妃の寝室だった。
「あーー、私、もう休んで良いですか?」
波瑠の手を握り、あれこれ心配していた宿敵は、おお!!もちろんだ!!木刀が重かったか、体に負担がかかったか、などと、その端正な顔立ちを、ひきつらせ、
「寝台まで歩けまい」
王は言うと、波瑠を抱き上げた。
「ぎゃーー!!やめてーー!助けて!!!」
波瑠の叫びに、悪の根源である男は、そっと寝台へ下ろし、
「では、王妃よ、また、明日、共に過ごそうぞ。勝てるかどうか、楽しみにしておる」
などと、言って、部屋から出ていった。
「あー、もうー、なんで、こうなったんだろう」
波瑠は、憂いた。
目覚めたら、琦国の王妃になっていた。それも、憎き清順王の妻だなんて。
でも……、その王は、確か。
波瑠が知っている限り、清順という王は、千年前の歴史上の人物なのだ──。
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