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その日、相談室に現れたのは、背筋の伸びた女子生徒だった。姿勢だけを見れば真面目そうで、何も問題を抱えていないように見える。だが、彼女は座るなり、深いため息をついた。
「……お兄ちゃんと比べられるんです」
低い声だった。
遥は目を細める。
「比べられる、って?」
「ずっとです。小さい頃から、”お兄ちゃんは優秀なのに”って。テストの点数、部活の成績、全部。……高校に入っても、親の口から一番に出るのは兄の話」
彼女は机の上で手を組み、強く握りしめた。
「もう慣れたと思ってたけど……最近、息苦しい。何をやっても『兄ならもっとできる』って言われる」
遥はしばらく黙っていた。彼女の言葉は、あまりに当たり前のことのように投げられていて、けれどその裏には長年積み重ねてきた重さが見え隠れしていた。
「……兄ちゃん、嫌い?」
遥がぽつりと聞くと、彼女は首を横に振った。
「嫌いじゃない。むしろ尊敬してる。頭もいいし、人に優しいし。……だから余計につらいんです」
「尊敬してるのに、比べられるのか」
「うん。だから、私が頑張っても、”あの兄の妹なら当然だ”って言われる。……私自身を見てもらえない」
遥はゆっくりと息を吐いた。
「俺もさ、弟と比べられてた時期あるよ。弟の方が明るくて、友達多くて……俺は逆。比べられると、自分が空っぽに感じるよな」
彼女は驚いたように遥を見た。
「……遥くんも?」
「うん。だから気持ち、少しはわかる」
遥は机に手を置き、指で小さく円を描くように動かした。
「でもさ、兄弟と比べて勝つために生きるのって、正直きついよ。俺は途中でやめた。勝てなくてもいいやって」
「やめて、どうしたの?」
「……諦めた代わりに、”俺は俺”でしかできないことをちょっとだけ探すようにした。くだらないことでもいい。俺の場合は、絵描くのとか、文章書くのとか。別に褒められなくても、”これだけは俺のもの”って思える」
彼女は視線を落とし、少し考え込むように口元を噛んだ。
「……でも、それでも親は比べるよね」
「比べるよ。やめないと思う」
遥は淡々と答える。
「でも、それって親のクセであって、お前の価値じゃない。親が比べて、勝手に言ってるだけ」
彼女は小さく息を飲んだ。
「兄と比べられてもしんどい。でも、兄がいなかったら、きっと別の誰かと比べられる。……だったらさ、比べられる相手が誰でも、自分が”ここは譲らない”って思える何かを持ってれば、ちょっと違うかもしれない」
しばし沈黙が流れた。彼女は深く息を吐き、そして小さく笑った。
「……私にそんなの、あるかな」
「探せばある。すぐ見つからなくてもいい。……でも、兄と同じじゃなくていい」
夕暮れが差し込む窓辺で、彼女は初めて少しだけ表情を緩めた。
――比べられてもしんどい。けれど、比べられても消えない”自分”があるはず。
そう思えたのは、遥が「勝たなくてもいい」と口にしたからだった。