📩 相談
高校二年生・仮名:Sさん
“また明日ね”って言葉が、最近つらく感じます。
みんなが笑いながら言う“また明日”の中に、
自分だけ入れない気がして。
本当は、明日なんて来なければいいのにって思ってしまう時があります。
そんな自分が、すごく嫌です。
遥
「……その気持ち、痛いほどわかる。
“また明日”って、優しい言葉なのに、
自分がそこにいない未来を想像してしまうこと、ある。
オレも、“明日が怖い”夜があった。
でもさ、“怖い”って思えてる時点で、
まだ“明日を感じ取ってる”んだよ。
それは、ちゃんと生きてる証拠だと思う」
蓮司
「“また明日”って言葉、実はすごく残酷な時があるよね。
生きることに疲れてる人にとって、
“明日”って“続き”じゃなくて“試練”みたいに感じる。
でも、それでも今日ここでSさんがこうして話してくれてるのは、
“本当は終わらせたくない”って心のどこかが叫んでるからだと思う」
日下部
「……“明日が怖い”って、
“今日をなんとか生き抜いた”人の言葉なんだよ。
それだけでもう十分すごい。
“また明日”が怖い夜は、
“今日”をちゃんと終わらせられた自分を、
ほんの少しだけ褒めてあげてほしい。
明日を待たなくてもいい。
今を、生き延びるだけでいい」
遥
「“また明日”って言葉に無理して笑わなくていい。
“じゃあね”だけでも、“おつかれ”でもいい。
自分のペースで、次を作っていけばいいんだ」
蓮司
「“明日が来るのが怖い”って思うのは、
まだ“生きたい”をあきらめてないから。
怖さの中に、ちゃんと生きようとする力がある」
日下部
「……Sさん、“また明日”がつらい夜は、
“今日はここまででいい”って、自分に言ってあげて。
それでも十分、生きた証になるから」
🗝 三人からのことば
遥:「“明日が怖い”って言葉は、生きてる証。無理に笑わなくていい」
蓮司:「“また明日”が苦しい夜は、“今ここにいる自分”を見てあげて」
日下部:「“今日を生きた”ってだけで、もう立派な奇跡なんだ」
──明日を怖がる心の奥にも、確かに“生きようとする声”がある。







