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白波 灯
196
#王子
すっこ
376
三人が面談室で対峙した日から、莉央のスマートフォンへ沙耶のメッセージが届くようになった。
『あなたの子だけ、生まれると思わないで』
『遼介先生は、子どもができてもあなたを妻にはしない』
『私が一人で待った時間を、あなたも知ればいい』
莉央も最初は挑発を返した。
『選ばれなかったからって、八つ当たりしないで』
『私は中絶しない』
『お義兄さんは私の子を抱くよ』
母がやり取りに気づいた時には、数十件へ増えていた。
「どうして隠したの」
「お姉ちゃんへ言ったら、私が悪いって言うでしょう」
「あなたが私へしたことと、沙耶さんの脅しは別よ」
「私のこと、嫌いなくせに」
「今は許せない。でも危険を放置していい理由にはならない」
私は莉央の同意を得て画面を保存し、橘と病院の医療安全管理部へ相談した。
沙耶を莉央の診療や病棟対応から外し、勤務中も接触を避ける。正式な申し送りが決まった。
「警察にも相談できる可能性があります」
橘は莉央へ説明した。
「直接、殺すとは書いてないでしょう」
「判断材料は文言だけではありません。同じ病院で診療へ関与できる立場にいることも含めます」
「お義兄さんが、嫉妬してるだけだから放っておけって」
「七年間放置した人の判断へ、安全を預けるの?」
莉央は警察への相談を拒んだが、受診先を別の病院へ移すことには同意した。
紹介状は私ではなく、現在の担当医が正式に作成する。予約日は翌週に決まった。
その前夜、莉央に出血と腹痛が起きた。
母が救急車を呼び、最寄りの東央大学病院へ搬送された。
母から連絡を受けた時、私は自宅へ戻る途中だった。タクシーへ乗り換え、病院へ向かう。
「莉央、今どこ?」
電話の向こうで、浅い呼吸が聞こえる。
『救急の待つところ。お腹、痛い』
「医師は来た?」
『まだ。助産師さんが、妊娠初期にはよくあるって』
「出血量は増えてる?」
『さっきより多い。お母さんがナースコール押したけど、順番だからって』
「担当者の名前を確認して」
背後で女性の声がした。
『スマートフォンはしまってください。待機中ですから』
聞き覚えがある。
「莉央、スピーカーにして。その人の名札を見て」
『桐生……沙耶さん』
血の気が引いた。
「もう一度ナースコールを押して。産婦人科医と話したいと言って」
『でも、迷惑じゃ』
「押して!」
電話の向こうで呼出音が鳴る。
私は産婦人科の当直責任者へ直接連絡した。
「高瀬莉央が、妊娠初期の出血と腹痛で搬送されています。私は実姉で私的な問題があるため、診療判断には入りません。桐生沙耶さんとの接触回避が決まっている患者です」
『勤務表では桐生さんの担当ではありません。患者情報を確認します』
端末を操作する音が続く。
『高瀬莉央さんの受付記録が見つかりません』
「もう到着しています」
『救急入口へ確認します。先生は運転中ですか』
「タクシーです」
『到着しても、まず家族として待機してください。こちらで責任者を立てます』
「分かりました」
言われたことは正しい。私は家族で、しかも利益相反のある医師だ。勝手に診療へ入ってはいけない。
分かっている。それでも、今すぐ処置室へ駆け込みたかった。
医師として待てと命じる頭と、妹を助けろと叫ぶ身体が、ばらばらになりそうだった。
母へ連絡すると、泣きそうな声が返ってきた。
『莉央、顔色が悪い。私がもっと強く言えば』
「お母さんのせいじゃない。今、別の医師を向かわせてる。莉央を一人にしないで」
数分後、当直責任者から折り返しが入った。
『患者を確認しました。すぐ診察へ移します』
「状態は?」
『電話では伝えられません。到着後、家族として説明します』
唇を噛み、了承した。
車窓の外を、夜の街灯が流れていく。
まだ、莉央を許すことなんてできない。
顔を見るのもつらい時がある。妹だと思いたくないとさえ。
それでも、出血が増えていると聞けば、胸の奥を握り潰される。嫌いになれたら楽なのに、妹であることまで消せなかった。
胎児の父親が遼介であることも、計画的に妊娠したことも、今の救急対応には関係がない。
私は頭の中で、家族として知っている情報と、医師へ伝えるべき情報を分けた。
妊娠週数。出血開始時刻。腹痛の増悪。既往歴。服薬。
怒りも、姉妹の過去も、遼介との関係も、緊急診療に必要な範囲を越えて話さない。
タクシーが病院前へ着く。料金を支払う指が震え、カードを床へ落としたのを、拾って走り出す。
ナースステーションには、沙耶が一人で立っていた。
「桐生さん。莉央は?」
「診察へ移りました」
「いつ症状を確認した?」
「到着後、順番に対応しています」
「接触回避の申し送りを知っていた?」
「夜間救急の担当表にはありませんでした」
「本来の担当者は?」
「別の分娩へ呼ばれたので、私が代わりました」
自分から担当へ入った。
「医師へ報告した時刻は?」
「記録を確認してください」
視線が一瞬だけ逸れた。
処置室から、母の叫ぶ声がした。
「千紘! 莉央の出血が止まらない!」
駆け込むと、妹が横たわるシーツは、広い範囲まで赤く染まっていた。
コメント
1件
もう……胸がギュッてなったわ。沙耶さんの嫌がらせが実際の医療現場で動き出して、しかも莉央の担当になるとか怖すぎるでしょ。千紘は「許せない」って言いながら、それでも妹を守ろうとする姉としての本音が痛いほど伝わってきた。ラストの『出血が止まらない!』で画面が染まる描写、やばかった……続き気になりすぎる🔥