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第十三章 繋がる願い
第五話 貧民街の灯火 後編
空気が凍り付いた。
ジントの顔から血の気が引く。
思わず息を呑んだ瞬間、ツヨシの手が素早くジントの肩を押した。
「奥行け」
小さく、だが有無を言わせない声音。
ジントは反射的に立ち上がる。
まだ身体は重い。
足元がふらつく。
ツヨシは苛立ったように舌打ちすると、部屋の奥を顎で示した。
「そこの棚、動かせ」
ジントが目を向けると、古びた木棚が壁際に置かれていた。
一見ただの収納棚だ。
だがその下に、僅かな隙間が見える。
隠し部屋。
ジントは息を飲む。
「早く」
ツヨシが低く急かす。
その間にも、再び扉が叩かれた。
「聞こえてますか?」
先程より少し強い声。
ジントは急いで棚へ手を掛けた。
重い。
だが動く。
隙間から暗い空間が現れる。
「入れ」
ツヨシは短く言った。
ジントは一瞬迷う。
この人を巻き込んでいる。
自分のせいで。
だがツヨシはそんなジントを睨むように見た。
「今は生き残ること考えろ」
その言葉に、ジントは小さく目を見開く。
そして唇を噛み、狭い隠し空間へ身体を滑り込ませた。
中は真っ暗だった。
埃の匂い。
冷たい木材の感触。
狭い。
人が一人、しゃがみ込んで座れるだけの広さ。
息を潜めるしかない。
次の瞬間、棚が閉じられた。
視界が完全な闇に沈む。
すぐに、ギィ……と扉が開く音がした。
「何だ?」
ツヨシの声。
いつものぶっきらぼうな調子だった。
「突然申し訳ありません」
教会の男の穏やかな声が聞こえる。
「この辺りで逃亡者を捜しています」
「黒髪の少年を見ませんでしたか?」
ジントの心臓が大きく跳ねた。
暗闇の中で、自分の呼吸音がやけに大きく聞こえる。
ーー見つかる。
そんな恐怖が全身を支配する。
だが外ではツヨシが平然と答えた。
「知らねぇな」
「そもそもウチら、表の厄介事には関わらねぇよ」
「そうですか」
男の声は穏やかなままだ。
それが余計に恐ろしい。
「では、少し中を確認させていただいても?」
その瞬間、空気が変わった。
ジントは暗闇の中で息を止める。
外の沈黙が妙に長く感じた。
やがて、ツヨシの低い声が響く。
「……貧民街の家を、教会様がわざわざ調べるのか?」
「俺ら、そんな信用ねぇ?」
軽い口調。
だが、僅かに棘が混じっていた。
教会の男は少し黙る。
外では他にも人の気配がしていた。
近所の住人達だろう。
貧民街は狭い。
騒ぎがあれば、すぐ周囲に人が集まる。
教会側も、ここで無理に踏み込めば目立つ。
しばらくして男は静かに言った。
「……失礼しました」
「もし見かけた場合は、教会へ知らせてください」
「はいはい」
足音が遠ざかっていく。
だが、ツヨシはすぐには棚を開けなかった。
完全に気配が消えるまで、じっと待っているのが分かった。
暗闇の中で、ジントは震える指を握り締める。
心臓の音が、まだうるさいほど鳴っていた。
しばらくして
「……もう大丈夫だ」
低い声と共に、棚がゆっくり動いた。
細い光が差し込む。
ジントはようやく息を吐いた。
狭い空間から這い出ると、一気に力が抜けそうになる。
ツヨシはそんなジントを見下ろし、
深く息を吐いた。
「危ねぇ……」
珍しく本気で疲れたような声だった。
ジントは俯いたまま、小さく呟く。
「……ごめんなさい」
ツヨシは眉を顰める。
「何が」
「俺のせいで……」
「教会に目を付けられたら……」
言い切る前に、ツヨシは呆れたように笑った。
「今さらだろ」
「え……?」
「言ったろ。オレらは元々“表”に好かれてねぇんだよ」
ツヨシは近くの椅子へ腰掛け、乱暴に頭を掻く。
「それに、あいつらの目」
「ありゃ普通じゃねぇ」
ジントの肩が小さく揺れた。
ツヨシは続ける。
「追われてる理由は知らねぇ」
「でも少なくとも、“ただの犯罪者”相手の目じゃなかった」
「……」
「まるで化け物でも捕まえるみたいだった」
その言葉に、ジントの呼吸が止まりそうになる。
胸の奥が冷たくなった。
化け物。
その言葉は、昔から何度も聞いてきた。
黒髪黒眼。
不吉。
災い。
月蝕の子。
皆、自分を恐れる。
ジントは無意識に、自分の腕を掴んだ。
そんなジントを見て、ツヨシは少しだけ困ったような顔をする。
「……悪い」
「そういう意味じゃねぇ」
ジントは首を横に振る。
「……慣れてるので」
掠れた声だった。
その瞬間、ツヨシの表情が険しくなる。
「慣れてる、って何だよ」
「……」
「そんなの慣れるもんじゃねぇだろ」
強い口調だった。
ジントは目を見開く。
ツヨシは苛立ったように立ち上がる。
「追われて、縛られて、怯えてんのに」
「何でお前が“仕方ない”みたいな顔してんだ」
ジントは言葉を失った。
胸の奥がざわつく。
そんなふうに怒られたことはなかった。
皆、“恐れる側”だったから。
ツヨシはハッとしたように息を吐く。
「……悪ぃ」
「怒鳴るつもりじゃなかった」
乱暴に髪を掻き上げ、視線を逸らす。
その時だった。
バンッ!!
勢いよく扉が開く。
「ツヨシ兄ちゃん!!」
コウが飛び込んできた。
息を切らしている。
「大変!!」
「白い奴ら、まだ街中探し回ってる!!」
「しかも……」
コウはジントを見て、息を呑んだ。
「……黒髪の”月蝕の子”を探してるって……」
部屋の空気が凍り付いた。
ジントの顔から血の気が引く。
コウはハッとして口を押さえた。
「あ……」
しまった、という顔だった。
ツヨシが鋭い目でコウを見る。
「どこで聞いた」
「東通りの方……!」
コウは慌てて答える。
「教会の奴らが門番とか商人に聞き回ってて……」
「黒髪の少年を捜してるって」
「それで……」
コウは少し言い淀む。
「“月蝕の子”とか何とか……」
ジントの呼吸が止まりそうになる。
ーー月蝕の子。
教会がその名を使って自分を探している。
やっぱり、隠しても意味がない。
知られている。
自分は、月蝕の子だ。
ジントは深く俯き、唇を噛んだ。
ツヨシは静かにジントを見た。
黒髪。
黒い瞳。
異様なまでに白い肌。
ーー月蝕の子。
その言葉を、知らないわけではなかった。
不吉な存在。
災いを呼ぶもの。
でもそれは、昔話のようなものだった。
本当に存在するのかも分からない。
ただの古い伝承。
そう思っていた。
だが……。
ツヨシは眉を顰めた。
「……お前が?」
掠れた声。
責めるような響きではなかった。
ただ、信じられないという顔だった。
ジントは固く目を閉じる。
逃げられない。
もう隠せない。
震える唇を小さく開く。
「……ごめんなさい」
最初に出た言葉は、それだった。
「俺のせいで……」
「ここも危険になる」
ツヨシは黙っていた。
コウも不安そうに二人を見ている。
ジントは続ける。
「だから、俺……」
出て行きます。
そう言おうとした瞬間。
「待て」
ツヨシの声が遮った。
ジントが顔を上げる。
ツヨシは苛立ったように眉を寄せていた。
「何でそうなる」
「え……」
「追われてるから一人で出て行く?」
「それで捕まったら意味ねぇだろ」
ジントは言葉に詰まる。
ツヨシは大きく息を吐いた。
そしてジントの前へしゃがみ込む。
視線を合わせるように。
「……月蝕の子が何なのか、オレは知らねぇ」
「教会が何を隠してるのかも知らねぇ」
「でも」
ツヨシの目が真っ直ぐジントを捉える。
「あんたが怯えてる普通の人間だってことくらいは分かる」
その瞬間、ジントの瞳が揺れた。
普通の人間。
その言葉が、胸の奥へ静かに落ちる。
「だから少なくとも、オレはあんたを化け物扱いする気はねぇよ」
ぶっきらぼうだった。
でも、その声は驚くほど真っ直ぐだった。
ジントの喉が震える。
何か言おうとして、でも声にならない。
そんなジントを見て、ツヨシは立ち上がった。
「……とは言え、このままここに置いとくのも危ねぇな」
腕を組み考え込む。
教会はまだ街中を捜索している。
しかも、“月蝕の子”という単語まで出している。
想像以上に本気だ。
ツヨシは小さく舌打ちした。
「面倒なもん拾っちまったな……」
だがその口調とは裏腹に、追い出す気配はなかった。
その時。
ーーゴーン……
ーーゴーン……
遠くで鳴り響いた夕刻を告げる鐘。
窓の外は、ゆっくり夜の色へ染まり始めていた。
コメント
3件
ジントのことを見た目で判断するんじゃなくて性格とか中身を見て接してくれているのが優しいなぁと思いました。
ちょっとツヨシさんの「慣れてるって何だよ」のとこ、すごく響きました…。自分を化け物扱いする世界に慣れてしまったジント、でも「普通の人間だ」って言ってくれる人がいる。それだけで胸が熱くなりました。隠し部屋の緊張感もすごくて、息止めて読んでた。この重くて優しい空気感、大好きです🌙