TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

シェアするシェアする
報告する


この女……本気で喰われたいのか?


タクシー会社に電話をして、行き先を聞こうと振り返ると、成瀬はソファに丸くなっていた。タクシーを断って、俺は成瀬の肩を揺すった。

「成瀬さん、成瀬さん!」

だめだ、ピクリとも反応しない。

数分前に自分を襲おうとした男の前で寝るか?

俺はもう一度大きくため息をついて、どうしようか考えた。


とりあえず、ベッドに運ぶ……か?


俺は成瀬の肩と膝裏に手を回し、抱き上げた。

寝室のベッドに成瀬を寝かせ、俺もベッドに腰かけた。ネクタイを外し、シャツのボタンを二つ外した。


疲れたな……。


俺は気持ち良さそうな寝息を立てる成瀬の髪にそっと触れた。次に手の甲で頬に触れた。


私の理想は、私を『メス』にしてくれる人です。


会社で彼女を見ている限り、『メス』なんて彼女に最も不似合いな表現だと思った。仕事は手際よく、ミスもない。周囲をよく見ていて気配りができるし、それでいてでしゃばることもない。ここまで隙のない女に出会ったことがなかった。それだけなら、優秀な部下って存在だったと思う。

先週末、侑から庶務課についての調査報告を受けた時、『成瀬咲についての報告は出来ない』と言われた。

『出来ないとは?』

『言葉通りだよ』

『いや、意味が分かんねぇ』

『察してくれ』

それだけ言って、侑は電話を切った。


出来ない、ってことは、圧力か?

でも、庶務課の女子社員に関する情報で圧力なんて……。


俺はますます成瀬咲に興味を持った。職場での完璧な彼女を見ていると、その彼女が乱れる様を見てみたいと思うことがあった。


惚れた男の前でも、ベッドの中でも、そんなに冷静で完璧なのか――。


乱れる彼女を見るチャンスが訪れたのに、手が出せなかった。


さすがに……『へたくそ』なんて言われたら立ち直れないな。


いや、それよりも思い出してももらえない『記憶だけの男』の方が嫌だな。


そんなことを考えているうちに、俺もベッドに倒れこんだ――。

くすぐった……。


顔をくすぐられて、俺はゆっくりと目覚めた。


いつの間に寝たんだ……?


左腕が痺れて動かない。

甘い香りにもう一度瞼を閉じかけて、ハッとした。

そうだ、成瀬!

俺の顔をくすぐっていたのは、成瀬の長い髪だった。どうしてこうなったかは思い出せないが、成瀬は俺の腕の中で眠っていた。


まさか――!


慌てて布団の中を覗いて、自分も成瀬も服を着ていることにホッとした。布団の中に冷たい空気を感じたのか、成瀬が俺の胸にすり寄ってきた。腕枕をしている左腕がピリピリと痺れていた。


女の隣で眠るなんて初めてじゃないか……?


誰と付き合っても、朝まで一緒に過ごすことはなかった。ベタベタと恋人ごっこは性に合わない。それがまさか、手も出してない部下と朝まで抱き合っていたとは――。


無防備に熟睡してくれちゃって……。


俺は彼女の寝顔を覗き込んだ。


まつ毛なげー。

てか、眉毛がある……。


誰だったか、シャワー浴びたら眉毛がなくなってた女がいたな。

そんなことを考えていたら、成瀬がまたすり寄ってきた。


くそ、可愛いな――。


俺は成瀬を抱く腕に少し力を込めた。彼女の身体が強張る。

「あのっ、課長……」

成瀬の上ずった声。

「おはよう」

「おはよう……ございます。あの、離して……」

離れがたい気持ちを殺して、俺はぱっと成瀬を離して、起き上がった。

「言っとくけど、すり寄ってきたのは成瀬さんだよ」

「すみません……」

「自分に下心を持ってる男の前で熟睡するなんて、なにされても文句言えないよ?」

わざと意地悪を言って、成瀬の顔を覗き込んだ。意外にも、成瀬は顔を真っ赤にして硬直していた。

「すみま……せん」

「心配しなくても、何もしてないよ」

成瀬が泣き出すかと思って、俺はベッドから出て、腕を伸ばし、大きく伸びをした。

「コーヒー淹れようか」

「いえっ! 帰ります‼」

成瀬は飛び起きると、瞬く間に寝室を出て行った。


へっ――?


不意を突かれて出遅れているうちに、カチャッと玄関の鍵が外される音がした。

「ご迷惑おかけしました。失礼します!」

慌てて寝室を出ると、玄関のドアがバタンと閉まった。


*****


「悪かったな、お楽しみの邪魔をして」

俺はワイングラスを手渡しながら、言った。

昼間の電話の向こうで女の声がした。侑に女がいることは気が付いていたが、直接そのことで話をしたことはなかった。

「全くだよ」

侑はグラスにワインを注ぐ。

「付き合い長いのか?」

「ああ……三年くらい?」

侑はテーブルに広げたチーズやナッツに手を伸ばした。

「お前、これまでにそんなに長く続いたことあったか?」

「ないな」

即答。

「結婚とか……?」

「相手次第だな」

「マジか――」

「子供が欲しいとか思うわけじゃないけど、別れが想像できないからな。選択肢の一つとしてあり得ないことではないって感じだな」

侑はワインを一口飲んで、ソファに深く座り直した。

「格好いいな」

侑は少し驚いた表情で俺を見た。

「なんとなく、お前は俺と同じで結婚には興味ないのかと思ってたよ」

「あいつと会う前はそうだったな」

「ベタ惚れか」

「俺が必死で口説き落とした女だからな。今も気ぃ抜くとあっさり捨てられそうだし」

「へぇ、どんな女か興味あるな」

侑は少し考え込んで、言った。

「成瀬咲」

俺は言葉を失った。


成瀬が侑の女――?


脳裏に今朝の、無防備に俺の胸にすり寄ってきた成瀬の姿が浮かんだ。

「なんて顔してんだよ。嘘だよ」

「お前……焦らせんなよ――」

俺は頭を抱えて、大きく息を吐いた。

「成瀬咲と寝たのか?」

「寝てない」

俺もワイングラスに口をつけた。

今日一日、何度成瀬のことを考えただろう。電話してみようかとも思ったが、結局やめた。

成瀬の寝顔や抱き締めた感触が生々しく思い出される。

「職場の女には手を出さないんだっけ?」

「一応……」

「でも、興味あるんだ」

「お前が『成瀬咲についての報告は出来ない』とか意味ありげなことを言うからだろ。なんなんだよ」

俺はまた大きなため息をつく。半日を悶々とした気持ちで過ごして、結局侑に直接聞くことにした。

「お前、成瀬咲とは面識があるのか? 同期だよな」

「ああ、よく知ってるよ」

「成瀬って藤川総務課長と付き合ってんのか?」

「かなり親しいけど、健全な関係だよ」

侑はニヤッと笑って俺を見た。


何ホッとしてんだよ、俺……。


「成瀬に惚れたか?」


惚れ――?


侑にはっきりと言葉にされて、すとんと胸に収まった。

「惚れて……る……か?」

「お前、思春期のガキみたいな顔してるぞ」

「いやいや、ないだろ!」

俺は慌てて口元を手で覆った。


俺が成瀬に惚れてる――?


「蒼、お前が本気で成瀬に惚れてるなら、俺が知ってる成瀬のことを教えてもいい。親友としてな」

「仕事上の好奇心なら?」

「この話はこれで終わりだ」


くそ、なんなんだよ!


俺が返事に困っているうちに、侑がグラスを飲み干して立ち上がった。

「蒼、俺は今の女と出会わなかったら、成瀬に惚れてたかもしれない」

「は?」

「いい女だよ、成瀬は。けど、遊びで手を出していい女じゃない」

侑はソファに掛けておいたジャケットを羽織り、テーブルに置いてあったスマホをジャケットの内ポケットに入れた。

「それは……わかるけど」

「お前の気持ちがはっきりしたら、連絡しろ」


はっきりって……。


「蒼、成瀬にならお前を任せられる」

「逆じゃないのかよ」

「ああ」

侑はそのまま帰っていった。

玄関のドアがバタンと閉まる音を聞いて、俺はまた顔を赤らめて出て行った成瀬の姿を思い出していた――。

女は秘密の香りで獣になる

作品ページ作品ページ
次の話を読む

この作品はいかがでしたか?

61

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚