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「築島課長、咲に気があるよな」
エレベーターの中で真に言われて、私の心臓が飛び跳ねた。真も私の反応に気が付いた。
「歓迎会の後、何かあった?」
「別に……」
「ふぅ……ん」
真がにやにやしながら私の顔を覗き込む。
「残念」
「何が?」
私は心臓を落ち着かせようと、大きく深呼吸した。
「お前と課長、似合いだなと思って」
「ないでしょ」
「そうか? まぁ、恋愛関係ではなくても、味方につけておきたい人だと思わないか?」
「社長の息子を巻き込むつもりはないよ」
エレベーターの扉が開き、私と真は見慣れた総務部のフロアに降りた。
日曜の夕方五時。残業や休日出勤に無縁の総務部は薄暗く、静まり返っていた。
私は、真の部下である総務課・青山奈々のデスクに座ると、パソコンの電源を入れた。次に自分のスマホを取り出し〈発信〉ボタンを押した。呼び出し音が鳴る前に通話状態になった。スピーカーに切り替える。
「どう?」
『社内に総務部の人間はいない』
侑が即座に答えた。
「セキュリティは?」
『営業でエロサイトにアクセス』
「ぶった切れ」
『了解』
私は青山奈々のログイン画面でパスワードを打ち込む。次に、持って来たUSBメモリーをパソコン本体のUSBポートに差し込んだ。彼女のパソコンに記憶されているネットの閲覧履歴や社外メールアカウントの情報をメモリーにコピーする。
真は経理課長・清水大介のデスクの引き出しから書庫の鍵を探す。その鍵で、経理課の背面にずらりと並んだ書庫の鍵を開けた。中には月毎に領収書や申請書をファイリングしてあり、真はファイルを三冊取り出した。目的の領収書を探す。
青山奈々のパソコンをシャットダウンし、私は清水のデスクに移った。手早くパソコンのトップ画面を開く。先ほどと同じ手順で必要な情報をUSBメモリーにコピーする。コピー中のフォルダに気になる暗号化ファイルがあった。
「侑、清水のPCにアクセスしてフォルダのロックを解除して」
『ちょい待ち……。どのフォルダ?』
「アスタリスク三つのフォトフォルダ。三十二ギガのフォトって社用じゃないでしょ」
『あった』
スピーカーの向こうで、侑がカタカタとキーボードを叩く音が聞こえる。
「真、あった?」
私が振り返ると、真が自分のスマホで目的の書類を撮影していた。撮り終えると、手早くファイルを書庫に戻す。
『開いた!』
「ありがと」
私は侑がロックを解除したフォルダを開いた。
「咲、コーヒー? 紅茶?」
書庫の鍵をあるべき場所に戻し、真はエレベーター奥の給湯室の自動販売機に向かった。
「紅茶」
「わか――」
真の言葉が不自然に途切れ、私は給湯室に目を向けた。暗くてぼんやりとしか見えない。
「真?」
「えーーーっと……」
動揺を隠せない真の声とは対照的な、冷静な声が聞こえた。
「何をしているんですか? 藤川総務課長と成瀬さん」
パソコンのディスプレイの明かりで、歩み寄る人影がはっきりと映し出された。
築島課長――。
課長がスイッチを押すと、二階フロアの蛍光灯が一斉に働きだした。
数時間前まで、月曜に課長に会ったらどんな顔をすればいいのかとか、どう謝罪するべきかを考えていたけど、いざ課長を前にして私が感じたのは恥ずかしさや申し訳なさよりも、怒りだった。
「侑!」
私は背後にあるスマホに届くように、声を荒げた。
『すいません』
侑は自分の落ち度を素直に認めた。私は冷静になろうと深呼吸をして、清水のデスクに戻った。
「築島課長、事情は後で説明します」
私はディスプレイを睨みながら言った。
「説明なしでこの状況を見逃せると思うか?」
背後から冷え切った課長の声が聞こえる。
「お友達からお聞きになってないんですか?」
私はスマホを睨みつけた。
『蒼、成瀬情報システム部極秘戦略課課長は清水経理課長の不正経理と総務課の青山奈々との不倫の証拠収集してるんだ』
侑が簡潔に言った。
「極秘戦略課課長?」
『そう。お前には俺の所属を情報システム部としか言ってなかったが、実は中でも社内外の極秘情報を収集、運用するのが極秘戦略課だ。ま、課長と俺の二人だけだけど』
課長の相手を侑に任せて、私は清水のパソコンを操作した。缶がゴトンッと落ちる音がして、真が給湯室に戻ったことに気が付いた。
侑にロックを解除してもらったフォルダには更に何十ものファイルがあり、それらにもロックがかかっていた。
「侑、さっきのファイル、奥にもロックがかかってる」
課長と侑の会話を遮って、私は言った。
『ちょい待ち……』
また、キーボード叩く音が始まる。背中に課長の視線を感じて、振り向くことが出来なかった。
昨日の朝、目覚めた時の課長の温もりが思い出されて、体温が上がる気がした。
今は、仕事に集中!
自分に言い聞かせて、呼吸を整えた。
『全部ファイル名がパスワードになってる』
「これって日付だよねぇ」
『だろうな』
私は一番最近の〈2017.03.11〉のファイルを開いた。
この日付には覚えがあった。
「げ……」
開かれたファイルの一覧画像を見て、思わず声を漏らした。
「うわっ――」
頭の上で課長の声が聞こえた。
「なした?」
真が紅茶をデスクに置きながら、ディスプレイを覗き込んだ。
「マジか……」
私たち三人はディスプレイを見ながら、言葉を失った。スマホの向こうで侑がマウスをクリックする音が聞こえた。
『これ……』
ファイルを開いたらしく、侑も言葉を失った。
ファイルの中の画像は、いわゆるハメ撮りというもので、モザイクは一切なかった。
『どうします……? 課長』
吐きそうだ――。
けれど、目を背けてはいられない。
「侑は一年以内のファイルを開いて顔認証かけて。男も女も。終わったらかけ直して」
『了解』
「真は三月十一日の領収書と申請書を探して。顧客管理部の近藤和也の名前で出張と接待の領収書があるはず」
「わかった」
真はもう一度清水のデスクから書庫の鍵を取り出す。
「俺は何をすればいい?」
築島課長が静かに言った。私は課長を見上げた。
ふいに、課長にキスされそうになったことを思い出し恥ずかしくなったが、同時に感傷に浸っている場合ではないと自分に言い聞かせた。
仕事、しろ!
「侑がロックを外しているので、ファイルを開いておいてもらえますか?」
私は力なく立ち上がった。
「わかった。成瀬さんは?」
「すぐに戻ります」
私は紅茶を手に、給湯室に向かった。
「気持ち悪い……」
私は呟きながらしゃがみこんで、しばらく立ち上がれなかった。
まさか人のセックス写真を大量に見せられるとは――。
しかも築島課長まで巻き込んで……。
私は紅茶を一口飲んだ。喉がスーッと冷えていく。
「成瀬さん、大丈夫?」
声とともに、給湯室の電気が点いた。築島課長が顔を覗かせた。
「今、行きます」
紅茶のキャップを閉めて、私は立ち上がった。課長は自動販売機に小銭を入れている。
「課長……昨日はきちんとお礼も言わずに失礼しました」
課長はゆっくりと振り返り、私を見た。
「泊めていただいて、ありがとうございました」
私は深々と一礼した。
「今日のことについては、また改めて説明しますので――」
「成瀬さん」
私の言葉を遮って、課長が私に触れそうで触れない距離に近づいた。
自分の心臓の音が直接頭に響いてうるさい。
「俺さ、昨夜はひとり寝のベッドで君の寝顔を思い出したよ」
課長が私の耳元で囁いた。
「成瀬さんは……?」
課長が……近いっ――。
私は心臓の音に気付かれないように、一歩後退った。
「先に……戻ります」
何とか言葉を絞り出して、私は足早に給湯室を出た。
仕事に集中しろっ! 私‼
清水のデスクに戻り、私は課長が開いておいてくれたファイルに目を通す。
セックスしている本人が撮ったと思われる写真、明らかに第三者が撮った写真、快感に酔う女の顔、苦痛に涙ぐむ女の顔――。
「咲!」
突然座っていた椅子が回り、私はようやくディスプレイから目をそらすことが出来た。
「咲、完全にイッてたぞ」
「写真の女たちみたいに?」
自分でも驚くほど低い声で言った。
「悪り――言葉が悪かったな」
真が心配そうな顔で私を見ている。築島課長も。私は深呼吸をした。
「集中しすぎだ」
「うん……。領収書、あった?」
「あった。お前の読み通り、三月十一日に顧客管理部の近藤和也がセミナー出席のために大阪に出張して二泊分の宿泊費や交通費、接待費を申請している。処理したのは清水だ」
真はファイルを開いて私に見せた。
「近藤と清水は横領のグルってことか?」
今度は課長が言った。
「それだけじゃない」
私は向き直って、デスクのスマホから侑を呼び出した。
『はい』
「顔認証はどこまで進んだ?」
『半分』
「三月十一日の分は?」
私はディスプレイに三月十一日のファイルを開いた。真と課長も覗き込む。
『終わってる』
「何人いた?」
『五人』
「五人?」
真が言った。
「ヒットしたのは?」
『清水と近藤の二人』
「残りの三人をネット検索かけて」
『通常の検索でいい?』
「とりあえず」
『了解』
「それから、半分でいいからヒットした人間の情報を私のPCに送って」
侑との通話を終えて、私はクルッと椅子を回転させた。
「藤川課長、築島課長」
「はい」
二人は同時に返事をした。
「ファイルの日付の、清水が処理した領収書と申請書をピックアップしてもらえますか? コピーもお願いします」
「了解」
また、同時に言った。
真はファイルの日付をメモするため、私と場所を交替した。私は隣のデスクに移る。足元に置いたバッグから、私物のノートパソコンを取り出す。
「しばらく集中するので、放っておいてください」
その後の物音や話し声は、私の耳には入らなかった。