その日の午後、良輔は堀内部長に呼び出され会議室にいた。
良輔の顔は顔面蒼白だった。それは無理もない。
二人の間にある机の上には、良輔と絵里奈がふしだらな行為に及んでいる写真が何枚も並べられていた。
「で、会社側としては、社内でこんな事をする社員には他所へ行ってもらうという結論に達してね……急で悪いんだが、君には来週から出向してもらう事になった」
「しゅっ、出向? どこへですか?」
「ちょうど横浜の倉庫に欠員が出てね…そこへ行ってもらう。もちろん異論はないね?」
「ちょっ、ちょっと待って下さい。私はずっと営業畑で来た身です。今まで培ってきた経験を生かして、このまま営業部で頑張って行きたいと思って…」
良輔の言葉を遮るように堀内は大声で言った。
「黙りなさい! あんな不貞を働いておいて…しかも社内で…それで自分の意見が通るとでも思っているのか?君は奥さんを裏切っただけじゃなく、同じ会社の仲間達も裏切ったんだぞ! 不誠実にもほどがあるじゃないか!それにな、営業っていうのは全てが信頼関係で成り立っているんだよ。結婚してまだ二年目なのに不倫? それも妻と同じフロアで働く女性と?こんな事を平気でする人間に、営業職なんて勤まる訳がないだろう? 甘く考えるのもいい加減にしろっ!それとな、もう一つ忠告しておく。奥さんをこれ以上苦しめるような事はやめなさい。帰り道後をつけるなんて、まるでストーカーじゃないか! 弁護士事務所からの通達はきちんと守って、最後くらいは奥さんに誠実な態度を示しなさい!」
「…………」
良輔は黙り込んだ。部長から言われた言葉に相当なショックを受けていたからだ。
「私もショックだったよ。君を課長に推していたのに、直前でこんな事になってしまって…今まで君には目をかけてきたが、まさか恩を仇で返すような真似をされるとはな。仲人までしたっていうのに凪子君をあんな目に合わせるなんて…あちらのご両親には申し訳なくて合わせる顔もないじゃないか…お前もあちらのご両親にきちんとお詫びをするんだぞ! それが男のけじめってやつだからな!」
良輔はそれを聞いてゾッとした。
凪子の実家は地方の田舎町にある。凪子の父は市議会議員を務めており地元では子供達に空手も教えている有段者だった。
結婚前に凪子と挨拶に行った際、その堂々たる風貌と威厳に満ちたオーラで、良輔は緊張のあまり上手く会話をする事も出来なかった。
結婚の挨拶でさえそうだったのに、自分が不貞を働いた挙句離婚をする事になったと報告に行ったら生きて帰れないのではないか?
良輔は挨拶に行くなど到底無理だと思っていた。
憂鬱になっている良輔を無視して堀内は続けた。
「まあ、倉庫勤務がどうしても嫌だというなら、無理にとは言わんよ…」
その言葉に良輔は、ハッとして顔を上げる。
「えっ? 部長! 他にどこか紹介して下さるのですか?」
堀内は呆れた顔をして良輔を見た。
「お前は馬鹿か! お前はもう二度と本社には戻れないんだ。だから、いっその事どこか他所へ移ったらどうかと言ってるんだよ」
堀内はそう言うと高らかに笑った。
その言葉を聞いて、良輔はガックリと肩を落とす。
自分はもう会社からは必要とされていない人間なのだとわかると、急に身体中の力が抜けてしまった。
堀内との話を終えた良輔は、力なく立ち上がると堀内に向かって形だけの一礼をし、項垂れて会議室を後にした。
堀内との面談の後、良輔はボーっとして常に放心状態だった。
緊急を要する仕事だけはなんとか気力で片付けたが、それ以外の事には手をつけられない状態だった。
良輔は最低限の仕事だけを終えると早めに帰宅した。
良輔の左遷の噂はあっという間に広まり、社内中その話で持ちきりだ。
どうやら良輔と絵里奈の不倫に気付いていた社員は江口以外にもいたようで、
あっという間に二人が不倫関係にある事も広がり、とうとう良輔の居場所はどこにもなくなってしまった。
駅前のスーパーで弁当だけ買った良輔は、マンションへ帰りドアの鍵を開けて中へ入った。
するとツンとした嫌な臭いが鼻を突く。
凪子がいなくなってから、家の中は荒れ放題だった。
弁当の空の容器や宅配ピザの箱がテーブルの上を埋め尽くし、
その隙間には缶ビールやペットボトルが散乱している。それが異臭の原因だろう。
残暑が厳しいこの時期、生ごみを放置して家を出れば当然そうなるだろう。
臭いだけじゃなく、最近はコバエが湧いているようだ。
小さなハエが良輔の顔の周りにしつこく纏わりつくので、良輔はイライラしながら顔の前を手で振り払う。
こうなってみると、
いかに凪子が毎日部屋を心地よく整えてくれていたのかと気付く。
自分と同じようにフルタイムで働きながら、家に帰っても家事のほとんどをしてくれていたのだ。
そんな凪子に甘え、いつの間にかそれを当然だと思うようになっていた。
おまけに、仕事と家事で大変な凪子に対し、そろそろ子供でも作らないかと気安く言ってしまった。
良輔はあまりにも自分の身勝手さが情けなくなる。そして重いため息をついた後呟いた。
「少し片付けるか……」
良輔は重い腰を上げると、とりあえず散らかったゴミを集め始めた。
集めたゴミは、全てキッチンへ持って行き、キッチン用の大きなゴミ箱へ捨てようと思った。
そしてシルバーのスタイリッシュなごみ箱を開けた瞬間、
良輔は、
「うっ!」
と呻いた。
なぜ良輔が呻いたかというと、
そのゴミ箱の中には、良輔が凪子へプレゼントした花柄のワンピースが放り込まれていたからだ。
よく見ると、その下にはもう一枚の黒いワンピースもある。
(たっ、高かったのに……)
良輔は慌てて二着のワンピースをゴミ箱から取り出そうとした。
しかしワンピースを手に取った瞬間、生地の一部がはらりと手からこぼれ落ちた。
なんとワンピースは無残にもハサミで切り裂かれていたのだった。
その瞬間、良輔の背中に寒気が走る。そして服の切れ端を持つ手がブルブルと震えた。
良輔は今しっかりと凪子の怒りを感じ取っていた。
それから良輔は思い出していた。付き合い始める前の凪子の事を。
モデル経験もある凪子は、入社した時から社内で注目の的だった。
スタイルはモデル時代と同じままで、立ち居振る舞いはまるでキャビンアテンダントのような優雅さだった。
華やかで整った顔立ちは社内一美人で人目を引く。
更に柔らかな物腰と細やかな気遣いで、凪子はあっという間に男性社員の憧れの的となった。
凪子は普段は気さくでフレンドリーだったが、その裏にはエベレストのように高いプライドを秘めていた。
まさに最上級、最高級の女だった。
そしてそのプライドの高さに良輔は惚れたのだ。
なんとしても凪子を手に入れようと、良輔の狩猟本能が動き出す。
凪子を射止める為ならなんでもした。
凪子がどんな我儘を言っても、常に凪子が望むように尽くした。
良輔の地道なアピールが徐々に功を奏し、最初は全く見向きもしなかった凪子が徐々に良輔を頼るようになる。
そしてその後も根気よくアタックし続けた結果、良輔は晴れて凪子を妻にする事が出来たのだ。
最上級の女と一緒にいると、傍いる男も自然と磨かれていく。
最上級の女にふさわしい男性になる為に、必死で努力するからだ。
その努力は、次第に仕事へも良い影響を与え、良輔は営業成績をグングン伸ばしていった。
良輔は凪子のお陰で、同期の中で一番先に昇進出来たのだ。
しかし良輔は、それは自分の実力だと勘違いするようになる。
結婚してしばらくは、良輔も付き合っていた頃のように凪子に尽くしていた。
もちろん、凪子もそのお返しに妻として良輔に尽くしてくれる。
しかし、勘違いをしたまま天狗になっていた良輔は、妻が夫に尽くすのは当たり前だと思うようになっていった。
俺は凪子を射止めた有能な男だから、尽くされて当然だと。
良輔の傲慢さは徐々に大きくなっていく。そして、自分は有能だと勘違いしたまま結婚生活を続けていたのだ。
それでも凪子は、文句も言わずに良き妻を演じてくれていた。
良輔と同じくらい忙しい日々なのに、平日の家事はほとんど全て凪子がやってくれていた。
(俺は苦労して手に入れた最上級の女を家政婦がわりにしていたんだ。それだけじゃなく、ただの尻軽女に騙されて、挙句の果てに仕事まで失ったんだ)
良輔は今絶望のどん底にいた。
そして、切り刻まれたワンピースには凪子からのメッセージが込められているような気がした。
そのメッセージとは、
『私はあなたを決して許さない』
おそらくこうだろう。
(凪子は俺の事を決して許さないだろう……)
良輔はそう悟ると、がっくりと項垂れてその場にへたり込んだ。
凪子は良輔と離婚しても、最上級の女である事に変わりはない。
しかし、凪子の夫という地位がなくなった良輔はただの冴えない男へと戻るのだ。
「俺はなんて馬鹿な事をしてしまったんだ…」
良輔は両手で頭を掻くと、そう悔やんだ。
そしてもう取り返しがつかない所まで来ている事に気付いた。
しばらくその場でぼーっとしていた良輔は、深いため息をつくと漸くのろのろと片付けの続きにとりかかった。
コメント
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お🎠🦌としか言いようがない良輔🙅♀️❎ 結婚生活2年。きっと絵里奈が現れなくても他の尻軽女と浮気しそうな気がする🤪 頑張って凪子をモノにしたその裏では手のひらを返すような事もしてだのでは⁉️と性根の悪さが見え隠れする良輔😱 この際倉庫仕事を一生懸命して、もう一度自分だけの人生を取り戻したら??それすらもできるかどうかはわからないけどねー🤬 人の人生狂わせたしっぺ返しは自分にもかえってくるからね🙏