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ジオンはついに出陣した。
雪溶けを待つ間、東の国、寧との睨み合が続いていたが、かたをつける時が来たと、動いたのだ。
最初の狙いは、北の国、健州国。
寧への給養を絶つため、真成国と健州国との国境《くにざかい》に陣を置いた。
――その陣から十里程西へ行った里外れ。とある屋敷……。
豪奢な作りの屋敷に、大きな荷をくくりつけた馬の列が到着した。
下男があわてて飛び出し、着いたばかりの馬の手綱を預かる。
馬列を引き連れてきた男は、身繕い整った姿とは裏腹に背筋が凍りつくような相貌を持っていた。
屋敷の者達と、にこやかに、挨拶を交わしているが、さて、下男含め、屋敷に詰める者も、不自然に双眸だけが鋭く光っていた。
「いや、チホ殿みずからお越しとは」
部屋の上座で、赤ら顔の男が笑った。
「久々に、大きな商いですから」
屋敷の主らしき赤ら顔の男に、来訪者──、チホは作り笑いを浮かべる。
この男こそ、陸の隅々にまで顔が利く、武器商人――、サンウその人だった。
チホは、わざわざ緊迫する自国の境を超え、ここ、真成国へやってきた。
「で?」
さきほどから、サンウの視線はチホの背後に注がれていた。
チホは、小さく頷き自分の後ろに控える女に目をやった。
「ああ、これは、私の女……ショウと申します」
チホの言葉と共に、女は頭を垂れる。
頭から纏《まと》う長衣が揺れた。
部屋の中で顔を隠す女の装いは、一種異様さを発している。
いぶかしそうに、サンウは眺め続けた。
「昔、ちょっとありまして。その時、顔に傷を負わされました。以来、このように。とはいえ、傷があるというだけで、捨てるわけにもいかずで……」
サンウは、チホの言葉を聞くなり目を細め、
――囲う女通しで、いさかいでも起こしたのだろう。
女が集まれば嫉妬の一つや二つ起こるもの。互いに陥れるぐらい、どこにでもある話。
だが、チホが手放さず、商いにまで同行させるとは、よほどの女にちがいない――。
と、下世話な思いを巡らした。
通された離れの設《しつらえ》はとてつもなく淫らで、チホは思わず苦笑した。
女を連れての来訪だからか、主の趣味なのか、異国に見られる赤いランタンが、なまめく照らすさまは、妓楼の一室に思えてならなぃ。
母屋から、にぎやかな笑い声が響いてきた。
チホが用意した、酒と珍味そして女達が、屋敷の男相手に、献上品の役目をはたしているのだろう。
「とんだ部屋だ。……おつかれでしょう?」
チホは、ショウこと、ミヒに、やさしく声をかけた。
「ご辛抱を、顔を見られてはなりませんからね」
今素性がわかってしまえば、すべて水の泡――。
目にする清らかな微笑を受け、チホは思わずミヒを抱きしめた。
チホの首に、ミヒのやわらかな腕が回される。
ランタンの灯が、二人の体躯《からだ》をほのかに染めた。
――ジオンに会わなければ……。
ミヒの言葉が、チホを動かした。
切羽詰まったミヒの表情。
そこに秘められた思いが何なのか、チホは、考えたくなかった。
わかってしまえば、おそらく、ミヒを止めることになる。
だが、今のチホは、しもべのキル──。
主《あるじ》の思いを叶えるのが務めなのだ。