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第30.8話:まひろのおばちゃんが消えた日
朝のアパートの廊下は、まだ眠っているように静かだった。
まひろは水色のパーカーに灰色のズボン。肩までの髪は寝癖が残り、指先で何度もはねを押さえている。
玄関の外には、淡緑の制服を着た街守隊の隊員が二人立っていた。胸元には街守局生活監査課の表示。腰の端末が低く光っている。
一人は短く整えた髪に灰のインナー、もう一人は肩までの髪をまとめ、黄緑のラインが入った腕章をしている。
端末を操作しながら、落ち着いた声で状況確認が進められていた。
市民登録番号の照合。
体温反応なし。
心拍停止確認。
淡々とした言葉が、部屋の空気だけを切り取っていく。
奥の部屋の扉は半分開いたまま。
おばちゃんは、いつもの茶色の部屋着のまま横になっていた。
髪はきちんと整えられ、顔色も変わらない。ただ、動かない。
まひろは足元の冷たさに気づき、無意識にパーカーの裾を握った。
小さな声がこぼれる。
おばちゃん、もう起きないの。
隊員の一人がしゃがみ込み、目線を合わせる。
淡緑の制服越しに、やさしい表情が見えた。
心配しなくていい。痛みはもうない。
これから安心センターで、きちんと還安処理をする。
安心センター、という言葉だけが部屋に残る。
ほどなくして、搬送用の簡易カプセルが運び込まれた。
灰色の外装に、黄緑のライン。透明部分は曇りなく、中は空だ。
おばちゃんの身体が静かに収められる。布も飾りもない。
玄関を出ると、目立たない車両が停まっていた。
街守隊のマークと安心センター直結ラインの表示。
近所の人の姿はない。カメラだけが、廊下の天井で静かに回っている。
搬送が終わると、隊員は端末に最終確認を入力した。
自宅で行われるのはここまで。
これ以上の工程は、安心センターの内部で完結する。
昼過ぎ。
まひろは母と一緒に安心センターの外を通り過ぎた。
建物は元寺院だった場所を再整備したもので、灰と緑を基調にした直線的な外観。
中が見えない構造になっている。
地下にはセイレン処理ラインがあり、遺体は到着後すぐに移送される。
立ち会いはない。
説明は端末に届く。
夕方、母のヤマトフォーンが静かに震えた。
還安処理完了。
循環工程正常終了。
安心ポイント付与。
それだけだった。
夜。
部屋に戻ると、おばちゃんのマグカップがテーブルに残っていた。
まだ少しだけ温度があるような気がして、まひろは両手で包む。
おばちゃんはどこに行ったの。
その問いは、声になる前に消えた。
学校では、死は再循環だと習っている。
影は信じなければ現れない。
安心センターが全部やってくれる。
わかっているはずなのに、胸の奥が少しだけざわつく。
その夜、ニュースでは安心センターの運用安定が報じられていた。
市民の不安は最小限に抑えられ、処理は滞りなく進んでいる。
それが良い社会の証明だと、繰り返される。
布団の中で、まひろは天井を見つめた。
おばちゃんの声を思い出そうとしたが、うまくいかない。
代わりに浮かんだのは、
静かなカプセルと、緑のラインの車両と、
安心センターという名前だけだった。
大和国では、人は消える。
きれいに、静かに、安心の名の下で。
その日、まひろのおばちゃんは、
誰にも見送られず、安心センターの地下で水へ還った。
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