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なるほど。急に電話がかかって来ても対応できるように、事前に教えてくれたってわけね。
――了解
返事を入れると、天魔が涼二に「近江先生にいい返事もらえたよ。近々連絡するって」と言っている。なにも知らない夫は、飛び上がって喜んでいた。
ふふっ。どうなるか見ものね。
また天魔と打ち合わせしなきゃ。
※
「へえ、素敵なカフェね」
「ちょうどいい所があったから、すぐに押さえたんだ」
「新宿界隈で顔が広いからこそ、できるのね」
「まあね」
翌日のこと。私は昨日涼二が逃げ込んだカフェに来た。天魔に渡したいものがあったので、無理を言ってここを開けてもらった。
ちょうど有休を取っていたから、昼間にここへやって来た。この時間なら会社勤めの夫に見つかることはない。カウンターに座ると珈琲を出してくれた。
「バーにいる時の天魔とはまた違うわね」
「いつもの服じゃないから」
「そうじゃなくて、雰囲気よ。ほんとうに脚本を書いている人みたい」
「みたいじゃなくて、書いている人なんだよ。そう見えないと困る」
「さすがプロ」
感心しちゃうわ。
「私はここには来ないように気を付けるね。とりあえず現場を見ておきたかっただけだから」
涼二と鉢合わせしたら困るからね。計画が崩れちゃう。
「そういえば旦那が昨日、理咲と別れたって言ってたな」
「捨てられたの間違いでしょ? 怖いチンピラが追いかけてくるのに、置き去りにして自分だけ逃げたんですもの」
「どうしようもないクズだな」
「ほんと。見る目なかった。昔の夫はもっといい人だったんだけどね。なんか、変わっちゃった」
「ほんとにいい奴ってのは、なにがあっても変わったりしないよ。もともとクズの要素があったんだ。それが、金や欲というフィルターを通した時に、本性として漏れ出しただけさ」
天魔は事も無げに言って、ドリッパーに残った粉を捨てた。その横顔は、昨夜の「秋也」としての甘さは微塵もなく、冷徹なまでの観察者のそれだ。
「そうね。私が彼を甘やかしていただけかもしれない」
コーヒーのほろ苦さが喉の奥に熱く残る。
かつての思い出をなぞるような感傷はここには必要ない。
「そう言えば『ハリウッド帰りの大御所』の餌、食いつきすごかったね」
私が切り出すと、天魔は口角をわずかに上げた。その表情に、獲物を追い詰める悦びが滲む。「ああ。沙耶に考えてもらった通り、秋也を脚本家としてキャラ立てしたのは正解だった。今、旦那は愛人と遊んで自尊心を満たすより、自分の才能を認めてくれる俺という存在と、その先にある成功を夢見てる」
「じゃあ、これが役に立ちそうね。頼まれていたファンドアプリとは別に、天魔に渡しておきたかったの」
私はリクルート鞄から一冊の分厚いクリアファイルを取り出した。表紙には『近江健一による脚本のノウハウ』と書いておいた。
「これは?」
「私がAIで、あらゆるバイブルを読み込ませて、それっぽく作った指南書よ。盲目になったあいつにはこれが『聖書』に見えるはず」
「なるほどね」
私が脚本家なら、ここで涼二を天国へ導く演出を入れるだろう。
そして頂点から一気に叩き落とす!
「それにしても一晩でよくこんなの作ったな。アプリ制作も頼んだのに」
「あいつを地獄へ堕とすためなら、なんだってやるわ」
私がしれっと言うと、天魔は満足そうに笑った。「さすが俺の見込んだ女だ」
彼は私が差し出したファイルを受け取った。パラパラとページを捲る彼の目が鋭く光る。
「AI(人工知能)が書いた最適解の脚本術か。あいつのような、承認欲求だけで中身のない男を釣るには、これ以上の毒は無いな」
「まさかAIで作ったなんて思わないでしょうね。ありがたがるわよ、きっと」
「笑いだしたりしないように、俺も気を付けなきゃな」
「天魔はプロだから大丈夫よ。いろいろ終わったら、あなたのことを取材させてね」
「取材には応えられないな。好きに創作で書いてくれるのはかまわないけど」
「……そうね。ごめんなさい。失言したわ」
天魔の仕事を根掘り葉掘り聞くのはルール違反よね。
「わかってくれたらそれでいい。沙耶は賢い女だから分別もあるし、なにより俺を尊重してくれる」
「あなたと私は今、運命共同体よ。天魔が嫌がることはしたくないだけ」
「いい戦友だな、俺たち」
「ええ。とりあえず次に夫が来たら、そのファイル見せてみて。すごく食いついて、あなたにいろいろ質問すると思うから、その時私に電話してくれてもいいよ」
「わかった。そうしよう。秋也側の脚本は任せた。俺は神原新次郎の脚本を練ることにするよ。作ってくれたアプリをチェックする」
実は天魔に『ファンドアプリ』を作って欲しいと言われたのだ。投資家専用プラットフォームで、IDとパスワードを打ち込めば、専用のサイトにログインできるもの。
そこには、証券会社のような機能がたくさん並んでいて、実際に投資を行う『デモ取引』ができるようになっている。資金はこちらで操作できるしくみ。
「希望通りに作ってくれたな。ありがとう。完全にこれで取引できるみたいだ」
「こういう小物にもお金をかけるんでしょ。私が作ったらタダだから」
「さすが沙耶」
「もし不具合があったら教えて。すぐ直すから」
「完璧だろ。君が作ったんだ」
そうね。これは理咲を陥れる大切な武器になるものだから、不具合が起きるとは思えない。
「ありがとう。じゃ、帰るわ」
珈琲を飲み干し、立ち上がろうとしたところで天魔の『業務用』のスマートフォンが鳴った。ちょうどカウンターの上に置いていたので、着信名が見えた。
――理咲
「噂をすれば、だな」
「昨日のお礼のつもりかしら」
「飯、誘ってくると思う」
「そんなのわかるの?」
「俺がそういう風に誘導したからな」
すごい自信。さすがね。
「はい、神原です」
天魔の声が、一瞬で一オクターブ低くなった。自信に満ち溢れ、甘く、それでいて有無を言わせぬ強引さを持った成功者の響き。
目の前で繰り広げられる天魔の変貌に、私は思わず息を呑んだ。彼がこれから、神原新次郎になる瞬間が見られるのだ――
コメント
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沙耶の「地獄へ堕とすためならなんだってやる」って台詞、めっちゃ鳥肌立ちました……! 復讐の執念がひたすら研ぎ澄まされていて、ゾクゾクします。天魔が電話に出る瞬間、声のトーンが変わる描写も好き。あの一瞬で「神原新次郎」になる感じ、映像が浮かぶようでした。次は理咲との電話、どう転ぶのか続きが待ち遠しいです!