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|メンシス・ラン・セレネ《自分》が『月の大神官・ナハト』の生まれ変わりであるという事実は、一歳にも満たない時期にはもう自覚していた。そのせいか行動や言動の全てが幼少期から大人くさくなったが、この頃にはもう既にセレネ公爵家で働く者の大半がルーナ族であり、たとえヒト族の者であっても自分からこの家門に忠誠を誓った者達なので、誰も私を『不気味な子供だ』とは思わなかっただろう。
生まれた時にはもう、猫の姿をした“ララ”と“ロロ”が傍に居てくれたおかげで、幼いが故に自由には動かぬ体と滑舌の悪さには苦戦しつつも、|カルム《彼女》に逢えない苦悩を紛らわしながら日々の生活を送る事が出来たのは大きな救いだった。
大神官・“ナハト”として生きていた時。自分はもっと何度も生まれ変わりを経験し、その度に私と伴侶となるべき“カルム”を探して苦しむ事になるであろうと覚悟して自害した。それなのに、五百年近い期間の間の記憶が無かった事には本当に驚いた。過去世からの側近であり、今は“テオ・エルミール”と“リュカ・グリフィス”と名付けられている二人と共に何度も転生をしていたらしいのに、私だけがその時の記憶を有していなかったのだ。欠損している分の人生の記憶を彼らに訊くと、私は毎度、彼女に逢えぬ苦しみにより次第に精神を病んでいき、最後は“カルム”の絵画の前で自害してしまっていたそうだ。
この記憶の欠如はきっと、月の女神の配慮によるものだろう。
何度も何度も何度も、恋心に苦しみ精神を病んで死んだ記憶など、女神の美学に反していたのかもしれない。
常に側近となってくれている二人は、生まれ変わるたび、私と共にセレネ公爵家の繁栄に尽力してくれていた。おかげで当家は大陸で最大とも言える財力を持つ家門となった。密約のおかげもあって王族との関係も今尚良好なままだ。
(これならば、彼女達を絶対に幸せにしてあげられる)
そう断言出来るだけの地位も財力も、今の自分にはある。
ヒト族の中に紛れて暮らしているルーナ族達にはそれらしい赤子が生まれたら知らせるようにと大陸全土に命令してあるから、取りこぼしは絶対に無いと断言出来る。過去世では平民だった彼女が今度は貴族に産まれようが、再び平民として産まれようが関係無い。公爵令息という立場があれば貴族であろうが娶れるし、平民であれば自分がこの地位を次の者に引き継げばいいだけだ。
今世で出逢える保証も根拠も無いクセに、まだかまだかと待つ日々は呆気なく終わりを告げ、私が二歳の頃にはもう朗報が届いた。
『メンシス様!火急のお知らせがあります!——シリウス家に、ストロベリーブロンドの髪を持つ女児が誕生しました!』
あの瞬間の喜びといったら、もう……。シリウス公爵家が、憎っくき“五人の罪人”を祖に持つ家門である五大家の一つである事だけが気に入らなかったが、同じ時代に再び生まれてくれた事を月の女神・ルナディア様に心から感謝した。
だが、喜んだのも束の間。
大半の者には見えない事を良い事に、我先にと赤子の様子を見に行ったララとロロがとんでもない知らせを持って戻って来た。
『……あんナノ、カカ様じゃナイ』とロロが今にも泣き出しそうな声で言った。
どういう事だと訊くと、ララが不貞腐れながら説明してくれた。
『あのネ、体と中身が一致していないノ。カカ様の体にあのゴミムシガ、ゴミムシの体にカカ様の魂が押し込まれているせいデ、酷く歪な生き物になっていたワ』
愛らしいシャム猫風の顔の眉間に皺を寄せ、ララが深い溜息をついた。
「……まさか、体を乗っ取られているのか?」
『そうだネ、それしか考えられないワ』
『ボクもそう思ウヨ』
二匹が揃って頷き、小さなキャッツアイを憎悪に染める。今にも呪い殺してくれそうな程の怒りだったが、安易に行動するのは得策ではないと、まずは情報集めようと奔走する日々が始まった。
その結果、私の愛する者の魂を持つのは“カーネ・シリウス”公爵令嬢で間違い無い事、彼女は“鏡”の聖痕を持って生まれ、今は“魔法陣”の聖痕をも有しているのだが、それらが本物の“聖痕”であるが故に誰にも見えず、冷遇されている事がわかった。本物の聖痕はその能力が発動した時にしかその印が現れない為、前世の記憶を持たないヒト族の赤子ではどうしょうもないだろう。ましてや“鏡”の聖痕に至っては『死に至った状況を跳ね返す能力』なので存在の立証はもう不可能に近い。私だって、ララとロロが居なければ一生知る事も無かったに違いない。
(あの時の君にも、“鏡”の聖痕があったなら……)
今までに、赤黒く胸に刻まれた罪人の烙印を『これは“聖痕”である』と勘違いしている“スティグマ”持ち達が色々な能力を発揮してきたが、“鏡の聖痕”の話は今回初めて聞いた。
祝福の破片である“聖痕”も、罪人の烙印である“スティグマ”も、全て、私の愛おしい妻である聖女・カルムの持っていた能力に基づいている。実に多彩な才能の持ち主ではあったが、そんな彼女でさえ“鏡”は有していなかったから、もしかすると今世では太陽神・テラアディアの配慮が働いたのかもしれない。
(母体の中で既に体を乗っ取られていたのだとしたら、それを不快に思った神の采配があっても不思議ではないからな)
双子であったが故に彼女達の縁は強固なものだ。被害者と加害者であっても再び双子として生まれてきてしまうくらいには、前世ではカルムの妹であったあのクソ女の執念が強いものであったに違いない。カルムの輝かしい魂に、蛇や鎖のように縁を纏わりつかせ、罪人が沈む闇の中から這い出てきた姿が安易に想像出来た。
(あんな者にまで挽回の機会をお与えになるなんて、テラアディア様は寛大過ぎる)
苛立ちはしても神を恨みはしない。神の愛し子であった聖女・カルムを失った事へ怒りを感じているのは自分だけではないと、神の加護を失った人々を見てきて充分過ぎる程に実感しているから。
時は流れ。私は六歳に、彼女は四歳という可愛い盛りの年齢となった。
今年は二年おきに王家主催で子供同士の交流を深める為のお茶会が開かれる年だ。本来なら貴族の子供達は皆絶対参加の行事なのだが、前回開催されたお茶会に私は参加しなかった。当然、カーネが病気で欠席していたからだ。
だけど今回は抜かりなく王家経由で部下を派遣させ、悪意から少しでも彼女を守り、出来うる範囲で体調管理をさせたから絶対に逢える。
彼女が生まれてからの四年間。“五大家”は何処もガードが固く、家長以外の“スティグマ”持ちや、特殊な髪色のおかげで聖女候補となった“あの女”どころか、恋しいカーネに接触する事すら叶わなかった。歪な者と化しているからかカーネにはララとロロの姿も見えず、二匹が会いに行っても話し相手にすらなってやれないと肩を落としていた。
(だが今日は、やっと、やっと逢えるんだ)
胸が高鳴り、いつも以上に服装や髪型に気を使った。全てが全て、恋しい恋しい彼女に私を気に入って貰いたい一心だった。
だけど、問題が一つある。
もちろんそれは、二人の体が入れ替わっている件だ。
王家との密約で『聖女はセレネ公爵家に嫁がせる』との約束がある。今の“あの女”には神力が無いのでまだ『聖女候補』止まりではあるが、『聖女』となり得る器には違いないので、約束通り私と婚約する事になるだろう。当家は公爵家の中でも力があり、古参であり、王家からの信頼も厚いおかげで最上位にある。いくらシリウス公爵家が『“五大家”以外には嫁がせない!』と騒ごうが、そんな主張は絶対に通らない。
(……果たして、私は“あの女”を『婚約者』とする事に耐えられるだろうか?)
器は好きになれたとしても、中身は不可能だ。でも他の者と婚約されても困る。耐えきれず絶対に相手を始末してしまうか、その家を没落させてしまいかねない。
(よし。まずはアレと婚約だけはしておいて、カーネが正しくその器を取り戻すまで、私が傍で見守っていよう)
そう決めて、私は側近の二人を引き連れ、王家主催のお茶会へと足を運んだ。
お茶会は王城の庭にて開催されていて、私が到着した時にはもう始まってしまっていた。逢いたい気持ちはあれど、大きな問題も抱えているからか少し足が竦む。だがそんな様子は一切見せず、私は『セレネ公爵令息』らしく完璧な所作で皆の前に姿を現した。側近として私に同行している褐色肌のテオも、茶色い髪に白いメッシュの入るリュカも、まだ子供とは思えぬ程の見目麗しさを持っているからか、視線の全てが一気にこちらに集まる。
『トト様見テ、あの奥に居るのがカカ様ヨ!』
『……変なドレスを着せられてルネ。カカ様には似合わなイヨ!』
共に来ているララが振り返りながら私に教え、ロロは真っ先に文句を口にする。
「メンシス様。あちらの方に、シリウス家のご令嬢達がいらっしゃいます」
少し遅れてテオが私に耳打ちをしてきた。今世では初めて見舞える事に不安と期待を胸にしながら、視線をララ達が教えてくれた方向へやる。その次の瞬間、私は後悔の念に叩き落とされた。
(——何なんだ、あの歪な生き物は……)
手前には“美しい容姿”という仮面を被った醜い化け物が立ち、奥には悍ましい容姿をしているのに美しい輝きを隠しきれていない少女がひっそりと立っている。恋しいのに気持ちが悪く、吐き気がするのに愛らしいとも思う。どうやったって一致しない、そんな相反する感情を一気に抱き、足元がふらっとしそうになったのを辛うじて耐えたが、今にも胃の中の物を吐き出してしまいそうになり、私はそっと口元に手をやった。
「大丈夫ですか?メンシス様」
「……お気持ちはお察ししますが、今はどうにか耐えて下さい」
リュカとテオが身を寄せて小声で気遣い、励ましてくれる。ララとロロは心配そうに見上げてきて、自分の不甲斐なさで申し訳ない気持ちになってきた。
気を取り直し、足を進めて予定通り“あの女”の前に立つ。そして私は作り笑いを浮かべた。
「初めまして。私の名はメンシス・ラン・セレネと申します。突然の申し出で驚かれるでしょうが、美しき貴女様のお名前を伺ってもよろしいですか?」
どうにかそう言えはしたが、目が笑えていない。口ほどにものを言うとは本当だなと苦笑したくなった。
(このくだらない茶番劇を早く終わらせたい。そしてカーネと話がしたい)
その一心で用意してあった言葉をただ口にし、私は予定通りに|“カーネの器”《ティアン》との婚約を取り付け、早々にカーネとの交流を深めに行った。
この場合、カーネが『婚約者の妹』というのはありがたいと思った。『いずれは家族になるのだから』と言えば心優しく押しに弱い彼女は私の願いを聞いてくれたからだ。見た目は普通の少女なのに、憎悪しか感じられない不可思議な体をしていようが、彼女と言葉を交わしている間は幸せだった。『婚約者との交流の為に』という名目で毎月開催されるお茶会の席で、器と魂が一致していないせいで、私の目には歪んで見える顔で、今日の天気や美味しかった料理の話し、どうでもいい噂話などをしてくる“婚約者”を黙らせるのには毎度苦戦したが、この後はカーネに逢えるのだと思えば何とか耐える事が出来た。
(ハンマーでも持って来て、骨の一片すらも残らない程にその顔面を叩き続けたいが、私が手を下す訳にはいかないんだよな……)
どうしたら“この女”とカーネの間にある“双子の縁”を切る事が出来るだろうか?と毎度毎度考えながら出されたお茶を黙って飲んでやり過ごし、旧邸に住むカーネに寄り添って、今の彼女にも恋心を募らせる。
だがそんな日々も長くは続かず、カーネの顔の火傷を一件を機に、状況は一転した。
このまま自分が傍に居てはカーネが苦しむだけだと思い知らされた。いっそ殺してくれれば“鏡”の聖痕で全てをひっくり返せるのに、“あの女”は無自覚なまま加減をわかっていた。死なない程度に苦しませる事に喜びを感じている節さえあった。火傷の一件は例外中の例外で、そのほとんどが命には別状の無い攻撃ばかりだったのだ。
(今はまだ、私は離れているべきだった……)
苦渋の決断ではあったが、二度も彼女を失いたくはない。ただでさえ間違った器に押し込まれている不快な状況だというのに、このうえ心の壊れた人形を愛したいわけではないのだから。
以降、私はシリウス公爵家との交流を表面的には一切しなくなった。“あの女”の婚約者ではあり続けたが、仕事と爵位の引き継ぎを理由に会いにもいかず、贈り物もせず、パーティーやお茶会への同行も全て断った。
一方でカーネにはひっそりと贈り物を渡し続けた。年に一度、誕生日の時だけではあったが、シリウス家に潜入させておいた従者を経由して。可能な限り食事抜きにはならないようにさせたり、旧邸の近くで色々な噂話をあえてさせて彼女に色々な情報を与えたり。時にはこっそり読み書きを教えてやったりもさせた。家内では冷遇されている彼女が不信感を抱かない程度に、少しづつ、ひっそりと。
(——次に逢える時には、どうか私を嫌いではいないでいて欲しい)
日々そう願いながら、今日もまた、シリウス公爵家に潜入させている間者からの報告を待つのだった。
【番外編『死が二人を別とうが、そんなものは関係無い』・完】