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るるくらげ
いと
#和風ファンタジー
家を出て溝口が向かったのは、西谷の実家ではなかった。
[Boulangerie カジワラ]の看板がかかった店。
閉められたシャッターには、張り紙が貼られていた。
『誠に勝手ながら、諸事情により、臨時休業とさせていただきます』
と書かれていた。
——やはり休みか……
自分の目で確かめに来たが、芽里の言った通りだと分かり、溝口は立ち去ろうとしたが……
——焼きたてのパンの匂いが……する?
そう思った時、店の横から人影が見えた。
溝口は店から少し離れた場所に、急ぎ足で移動した。
店の影から出て来たのは初老の男性だった。
どうやら店主らしく、張り紙を剥がして店のシャッターを開けた。
外から見える店内には、ほんのわずかなパンが並べられていた。
通りを歩いてた中年の女性が、店主に声をかける。
「あら、お店開けたけど……お子さん、元気になったの?」
「いえ、まだ入院していて……。何かしてないと、私が落ち着かなくて……」
そう返答した店主は、悲しげに笑った。
——あれは、梶原の父親か。じゃあ、まだ入院しているってことか。
溝口はそのまま足早に去った。
梶原が入院しているなら、何も出来ないはずだ。
清水と西谷が梶原の名前を出したのも、たまたま奴らが口にしたってだけじゃないか?
都合の良いように考えて、溝口は少し気持ちが落ち着いてきた。
日が沈み、夕闇も薄暗くなって、夜に変わっていく。
街灯の少ない路地を歩く溝口の後ろを、同じ歩調で歩く黒いフードの人物がいた。
——後をつけている?
溝口は路地の角を曲がると、直ぐに足を止めて待ち伏せをした。
溝口の後をつけてきた人物の歩調が、早まった。
見失わないように追う足音は、どんどん近づく。
すぐ近くまで、足音が聞こえるようになった時、溝口は飛び出して行手を遮った。
「お前は……」
溝口の後をつけていたのは——女だった。
溝口はその女の顔を見て、鼻で笑った。
「お前、しつこいな。俺の後をつけやがって、なんなんだよ」
女は忌々しい顔で、溝口を睨む。
「何、その目?また殴られたいのか?」
溝口は女の腹に視線を向けると、女は咄嗟に庇うように腹に手をあてた。
「……私」
「あ? なんだ?」
「流産したのよっ!」
女が声を荒げると、溝口は口角をニヤリとあげた。
「良かったじゃねーか。感謝しろ」
女は目を見開いたが、その目が憎悪の色に変わる。
「感謝しろって……あなたの子供よ!あなたが、私のお腹を……」
女が右腕を振り上げると、溝口が女の手首を掴んで捻った。
「痛いっ!」
女が苦悶に満ちた顔で声をあげると、溝口は女の腹を膝蹴りした。
「うっ!」
女が身体をくの字になってうめくと、溝口は女の手首から手を離した。
手を離された女はくの字の姿勢のまま、勢いよく後ろに倒れた。
「うざいんだよ。おろせと言ったのに、お前がうるさいから始末してやったんだ。
まだごちゃごちゃいうなら、もっと痛い目にあわすよ」
溝口が嘲笑を浮かべて、女を見下ろす。
「これに懲りて、俺に余計なことを言わなければ、また抱いてやるよ」
「——ッ!」
女は立ち上がることなく、下唇を噛んで溝口を睨みつけていた。
溝口は「じゃあな」と言って、手のひらをヒラヒラさせて、女を置いて歩いて行った。
——あー、全く、どいつもこいつもイライラさせる。
スマホを見ると、芽里からのLINE通知があった。
『ねぇ、今から会おうよ』
——こいつもうるせーな。
最後にやって、終わりにするか。
溝口は芽里にLINEを返した。
どうやら芽里は、近くにいるらしい。
溝口は辺りを見渡す。
すぐ近くにある歩道橋の向こうは、ホテル街。
歩道橋の近くまで『すぐに行く』と言ってきた芽里に、溝口は自分が行く方が早いと思った。
『そっちに行く』
と芽里にLINEを返して、歩道橋に向かった。
歩道橋の階段——その先は快楽ではない。
絶望だと知る由もなく、溝口は足を一段目に乗せた。
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